アニメックの頃… 著/小牧雅伸

その他色々

この年、ロボットアニメの黎明期というか『機動戦士ガンダム』が終わり、『伝説巨神イデオン』が始まっている中、「アニメック」が触れていない作品がある。
『宇宙戦士バルディオス』である。3クール予定で始まり、最終的に全39話の放送が予定されていたものの、低視聴率で第31話で打ち切りとなった悲運のアニメである。どれくらい急な打ち切りかといえば、完成済みの未放映フィルムが3話分存在するのだが、それは放送されずラストとは言えないラストで終わっていた。熱狂的なファンの支持により最終部分を中心とした劇場版が1981年年末に劇場公開された作品である。
ある種の空前のアニメブームの中でありながら、『宇宙戦士バルディオス』の正否については、当時どこも語らなかったのではなかろうか? 1年か2年早く放映されていれば、それなりの評価を受けた作品なのだが、70年代アニメの総棚ざらえ的な雰囲気があり、「アニメック」では最後まで扱わなかったと記憶する。

そして、劇場映画「ヤマトよ永遠に」が公開された。
これは最初から劇場用に制作され、前人気と前宣伝が完璧で空前のヒットとなった作品で、劇場用アニメが商業ベースとして成り立つと実証したアニメ史に残る作品である。この年の洋画で大ヒットを飛ばした『スターウォーズ2/帝国の逆襲』の興行収益を上回る動員数はアニメファンの潜在的な購買力を周知させた作品と言えるだろう。

今は携帯の写真機能なので、そう目立たないがアニメファンの科学知識の無さは、この頃から目立っていた。
「映画館でフラッシュ焚くなぁ」
となんどキャンペーンを繰り返しても、改まる事はなかった。この当時のカメラはフィルム式のコンパクトカメラが主流であった。
「使い捨てカメラ」と呼ばれる「レンズ付きフィルム」の富士の「写ルンです」が発売されるのは、ずっと後の1986年である。古くからのアニメファンは、テレビ画面撮りに馴れていたので1/30のスローシャッターでストロボを使わない。そもそも劇場のスクリーンを撮影する事もしない。だが、急造したアニメファンにはモラルが欠如していた。モラルどころか常識も欠如していたのでクライマックスでストロボを平然と焚く人間が増え大変困った。

が、この状態でも写真は写るのだから困った物。つまりストロボが焚かれる夜間モードになっているわけで、絞りは開いてスローシャッターである。さらにコンパクトカメラのストロボは、有効範囲が5メートル程度である。ようするに夜間撮影モードで10メートル以上離れた画面を撮影するのだから写ってしまうのだ。一度撮影に成功するとモードを切り替える等はしないので、これが続く事になった。
「こいつら、映画の原理わかってるわけ?」
我々は途方にくれたのであった。こうした青少年たちはパパになった現在も、美術館や動物園や水族館でフラッシュを焚き続けているわけなのだ。

テレビのどこに回しても(わっ、この表現も死語だね。この当時はまだチャンネルを回すのが主流でリモコン普及率は数パーセントだった)出ていたピンク・レディーが9月に解散し、次いで山口百恵が10月に引退し,12月になるとビートルズメンバーのひとりジョン・レノンが射殺された年でもあった。
まっ、この年の事件で後世に影響を残した物をひとつと言われたら、私は「自宅引き籠もりの2浪生が、金属バットで両親を惨殺した事件」をあげる。俗に言われる金属バット殺人事件だ。なにしろ相手にしている読者と紙一重の位置にいる青年の起こした事件は、その後は日常的な事件になってしまったのである。金属バットが凶器として度々新聞を賑わすのは、この事件からだろう。

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