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Joe's Labo
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2008/09/22のBlog
先日、あるドイツ人経営者と会話した時の話。
日系メーカードイツ現地法人トップである同氏が、日本型雇用についてとても興味深い指摘
をしていたので簡単に紹介。

まず、日本人従業員についてどう思うか、と聞いてみたところ、ずばり
「あまりにも生産性が低すぎる」だと。
ちなみに根拠はちゃんとあって、残業基本的にゼロ、夏季休暇3週間という彼の会社に比べ、
毎晩9時過ぎまで残業している本社様の利益率が低いから、そう言わざるを得ないのだそうだ。
(ちなみにドイツ経済全体ではどっちかというと日本同様落ちこぼれなのだが
 理由は東西統一コスト、社会保障費が重すぎて雇用が国外流出した等だ)

まあここまではいい。日本企業に無駄な残業が多すぎるというのは、誰でも肌で感じている
ことだろう。マクロで見ても91年以降、労働時間が年間数百時間長い日本の経済成長率は、
先進国平均に遠く及ばない。

感心したのは、その理由は何だと思うか質問した後だ。
「それは、日本企業では従業員に『権限と責任』が与えられていないからだ」
この指摘はずばり本質を突いている。職務給ではなく属人給である日本型組織においては、
責任も権限も常にその存在が曖昧なのだ。たとえば僕自身、ある企画を通す際に以下のような
プロセスを延々とたどったことがある。

①業者と打ち合わせ。決定権が無いので持ち帰ってプレゼン資料作成。

②課長に説明「ふーん、わかった。じゃあ部長に相談して」

③部長に説明「ふーん、わかった、じゃあ事業部長に(略)」

④事業部長「これ、こうした方がいんじゃない?課長ともう一回相談して」(①に戻る)

要するに、延々と社内プロセスにリソースを消費しているわけだ。
ちなみにこれが非日本的組織であるなら、同じ程度の案件であれば、一般的には以下の
プロセスだけで済む。

①業者と打ち合わせ。その場で決定か、上司一人に報告して決定。

それだけの権限が持たされていることが前提となる。当然、結果は処遇にダイレクトに
反映され、場合によってはクビにもなる。それが責任の部分だ。


上司とのコミュニケーションを重視する“ホウレンソウ”的なカルチャーは、日本型組織特有の
ものである。それがこれまで評価され根付いてきたのは、責任と権限の所在を曖昧にする
ことで、組織の致命的な欠陥を見えにくくしてくれたからだろう。
「何かあったら逐一俺に報告しろ」という関係は、裏を返せば
「おまえにゃ何も期待してないし、ご褒美も期待するなよ」というに等しい。

「いいじゃないかいっぱい仕事してみんなで残業すれば」なんて意見も多そうだが、無駄な
仕事はなるべく減らして余裕を持たせるほうが良い。生産性を上げるとはそういうことだ。
なにより、そんなカルチャーだと新兵器たるイノベーションなんて沸いてこないから、
いつまでたってもコストカット一本槍で、インド人や中国人とガチンコで殴りあう羽目になる。

竹槍でB29を落とそうとしてた頃と、本質ではあまり変わっていないのかもしれない。

“ホウレンソウ”の弊害を主張する本も一部にはあるが、いまだに新人研修などで熱心に
指導している企業も多い。
まあ経営方針なので一概に良い悪いは言えないが、そういう会社は社風も古いと考えて
間違いないだろう。

ちなみに彼の会社内では「ホウレンソウ」という日本語がポピュラーなのだそうだ。
用法的には「優柔不断に決断を先伸ばすこと」らしい(笑)
2008/09/19のBlog
論壇誌界のトキと呼ばれる『世界』(岩波)。
10月号で若年層雇用を特集していたのでとりあえず購入。
この雑誌をきちんと読むのは初めてのことだ。
いや別に嫌いとかじゃなくて、売ってるの見たことなかったから。
論座より先に逝くと言われつつしぶとく残っているのは、たぶん直販だからか。

正直、内容にはまったく期待してはいなかった。どうせまた困窮するフリーターを
連れてきて
「みて、こんなに彼は苦しんでいるの。だからもっと規制で保護してあげてね正社員を」
という理解不能なロジックを展開するだろうと予想していたから。

だが、意外や意外。本特集の「共同提言」は、はっきりと
「若者の貧困化を克服するためには、日本の賃金制度の改革が不可欠である。」(158p)
と宣言しているのだ。

長期的には、ヨーロッパのように、最低賃金制の賃金水準の上に、職種別賃金が企業
を超えた社会的な基準として存在し、賃金序列を形成しているような方向が望ましい。
ヨーロッパではその賃金序列を前提にして、正社員と非正社員との間における
同一労働同一賃金の原則が確立している。(中略)
しかし、日本では正社員は属人的な要素からなる年功賃金であり、非正社員は仕事を
基準とする賃金であり、両者の賃金決定基準は異なっている。
つまり、非正社員と正社員との賃金の均等処遇をはかろうとしても基準が存在しない
のである。この、一国における賃金決定の二重性が、非正規雇用の賃金を生活できない
低賃金に押し下げる要因となっている。


つまり、現在の雇用における格差問題は、年功序列制度が原因だと言っているわけだ。
“世界”がこれを載せた意義はとても大きい。

もっとも、特集全部がこんな調子というわけでもない。
冒頭のような電波飛ばしまくりの記事もしっかり併記されている。
ここに一々書くのもアレだし、というかそもそも皆さん現物は読まないだろうから
内容については特に書かないけど。

逆に言えば、岩波にダメだしされた年功序列制度を後生大事に抱えようとする既存左派とは
いったい何なんだろうか。

労働者視点を強調する“自称リベラル”な方は、これをきっかけに一度冷静に考えて
みることをオススメしたい。
2008/09/16のBlog
「m9」というオピニオン誌がわずか3号で休刊。
一応説明しておくと、晋遊舎という出版社から出ていたもので、既存誌よりも
ネット、若年層を意識したライト・オピニオン路線が特徴的だったらしいが…。

フォローしておくと、数号でぽしゃるというのは実は割と多い話で、創刊号を
出すと同時に少なくとも2,3号目も走らせておくから、
一発目大コケ→撤退決定、まあでも作っちゃってるしついでに出すか、
という流れなわけだ。
(最近は感触をつかむために、まず不定期刊いう形でβ版的なものを出すケースが多い)

発想としては面白いと思うが、正直“ライト”的なものは、もう活字では生き残れないと思う。
別に極右極左でやれと言っているわけではなくて、「薄く広く」ではネットに勝てないから。
ライトではなく、ディープになる必要があるわけだ。
そういう点では、新聞とテレビ地上波の低迷も同じ文脈で語れる話だと思う。

逆に、マスの情報リテラシー全体は増えているのだから、深く掘り下げた情報を提供できる
メディアは逆にチャンスでもある。ダイヤや東洋経済といった経済誌が逆に好調なのは
その典型だ。終身雇用が終わって若年層の人材流動化が始まった結果、キャリアや転職に
関する情報へのニーズが高まったことと同じアングルだ。

ここで気になるのが週刊SPA!の存在。他社の総合誌・情報誌が軒並み崩れる中、
10年前からあの調子で踏みとどまっているのは凄いと思う。
が、ちょっと開いてみればわかるとおり、内容はけっしてライトではない。右も左もない
ニュートラルではあるが、相当ディープなもんである。

論座なんてどっちみち内容も読んでるヤツもサブカルみたいな存在だったんだから、
一か八かでサブカル雑誌に転身してみれば良かったんじゃなかろうか。
2008/09/10のBlog
Voiceの最新号に、上記のタイトルで寄稿している。
(なぜか「民主党の政権担当能力」特集に入れ込まれているが、
民主党はあまり関係ない)

今回はこれまでの原稿とはちょっと違う。
普通、こういうのは編集サイドから「こういうので一筆書いてください」
というオファーが来る。
が、今回は初めて「一筆書かせろ」とこちらからお願いしたものだ。
つまり、それだけ力が入ったものだということ。

最近、いろいろな意味で格差論がクローズアップされることが多いが、
門外漢の意見や便乗者、そして貧困ビジネスで食ってる人間などが入り乱れ、何が論点なのか
見えづらくなっている。多分、真面目に問題を考えている人間は半分もいないのではないか。

もっとも、見分けるのは簡単だ。彼らがいったいどういった解決策を描いているか。
その点に注視すればいい。
商売でやっている人は格差の是正なんてからっきし興味は無いから、たいてい現実性
のある対策などはまったく持ち合わせていないものだ。


結論から言えば、対策は貰いすぎの中高年正社員に対する賃下げ・首切りを認める以外に
ありえない。
その点をきっちりと活字で示しておくために、今回はこちらからお願いしたのだ。

名前を出された人間は、これまでの不勉強を恥じるもよし。
省みる気すらないのなら、もう同じテーマで商売するのは止めることだ。
2008/09/08のBlog
先週、あるNPOの若年層の雇用に関する調査結果が公表された。
これについて、先日フォーラムが開催され、僕も出席してきたので、以下雑感。

基本的には、若年の非正規雇用を中心にコストカットのしわ寄せが集中している状況
がはっきりと浮かび上がっているのだが、感心したのは「周辺的正社員」という概念を
ちゃんと打ち出していること。
一応、雇用期間の定めの無い正社員ではあるのだが、昇給や賞与のどちらかが無く
処遇全般も非正規雇用とほぼ同じというグループで、全体の25%に相当する。
要するになんちゃって正社員なわけだ。

本NPOでは、これとフリーター等の非正規雇用を、共に「中心的正社員の外部労働市場」
と位置づけ、企業のコスト調整のツールとして使われていると分析。
つまり、中堅以上の企業やその正社員の既得権を守るために、一方的にしわ寄せが
押し付けられているということになる。


この概念はとても重要だ。
以前から「正社員も厳しい。原資を引き下げるなんて無理に決まっている」という意見は
割とポピュラーで、特に連合などは上記の論理を使って流動化に反論している。
「だからこっちにもっと金をよこせ」というロジックだ。

だが、企業規模による大手と中小の格差を生み出してきたものは、他ならぬ賃金の硬直性
であり、年功序列的な体質だ。さんざん下請けとして苛め抜いてきた中小企業の従業員を
人質にとるようなもんだろう。
はっきり言って、このやり方は汚い。

日本全国、諸事こんな調子で、大手は中小に(例:テレビは制作会社に)それでも足りずに
非正規雇用労働者にツケを押し付けているわけだ。
この構造自体をまずは認識しないことには、真の格差是正は実現不可能だ。

実は、NPOや活動家のすべてが、そういった認識を共有できているわけではない。
中にはすっかり毒を食らわされ、
「正社員と非正規の対立は無い。だからとにかく労働規制の強化を!」なんて言わされてる
おつむのおめでたい人もいる。
それが実現可能か、それでお喜ぶのは誰なのか。一度冷静に考えてみるべきだろう。
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