アニメックの頃… 著/小牧雅伸

家庭用VTR

たしかに、数年前から金持ちの家にはあった物だけど、無理をすれば普通の家にも置けるようになったのはこの年(1980年)からと記憶している。趣味の高級品だったものが、家庭用の家電として急成長したわけで、そうなると各社の価格競争が激化。さらに増産ラッシュと、急成長する家電量販店の影響で、とうとう10万円を切るようになった。我々は録画さえできれば良いのだけど、一般家庭では8ミリに変わって子供の成長記録をビデオ撮影するようになるわけだ。専門店で買うしかなかったビデオテープも各社増産体勢で、秋葉原に行かずとも安売りが入手できるようになった。しかしながら、特撮マニアとアニメマニアは、そうそう安いVTRを入手できるわけではない。
なにしろマニアなので、ここはβ方式。コマ再生ができないと仕事にならないという理由もそこにはあった。

この数年前に通産省で規格統一会議みたいなものがあったわけだが、もう時効だから、ここでばらしてしまうことにしよう。
この当時、家庭用VTRは3タイプが実用化されていた。3タイプ? そう思う人も多いでしょう。VHSとβと、もうひとつVコードという方式があったのだった。
ただし爆発的に普及させるには絞り込みが必要というわけで、課長クラスが審査員になったわけだが、これに選出された5人の判定結果たるや、VHS支持が2名、β支持が2名、Vコード支持が1名で、「しばらく様子を見よう」になった。いかにもお役所仕事だが、丁度こっちも通産省で防爆検定員のアルバイトをしていた時期なんで知っていたのだ。
しかし、Vコード方式のビデオは、あまり見かけなかったねぇ。石丸電気の特価品コーナーに並んでいたのを見たきり。

そういえば「ビデオ貰ったんですよー」と大喜びしていた品田冬樹先生のビデオが、なんとVコード!もちろん人から借りたテープが見れないと泣いていたのが印象的だった。
VHSはテープハウジングが大きいので長めのテープが入れられるという事もあり、テープ薄膜技術によって2時間が通常に、βも倍速のβ2、三倍速のβ3の登場で3時間が基本になった頃だった。
もっとも当時のビデオ、肝腎のモーター回転速度を電力周波数に依存していましたから、関西60ヘルツで録画した物を関西50ヘルツ区域で再生するとスロー画像になりました。逆に関東で撮った物を関西で再生すると早送り。今は、全て電子制御なのでこういう事はありませんし、裏側のパネルに関西・関東の切り替えスイッチもない。いや、今更ビデオを使っている人そのものが激減しているような気も……。
100円ショップにビデオテープを置かなくなったら、それがビデオの終焉なんでしょうね。
そんな買い換えラッシュの最中だったので、ほとんど調度品となっていたβが編集部にやってきた。
β2やβ3はまだ再生時の機種互換性がなく、スロー再生もいい加減だっので、この旧型VTRはノーマル録画専用機。ランニングコストの高さには苦労させられた。
なにしろ、純機械式。チャンネル切り替えがダイアルをガチャガチャ回すタイプで、録画も再生ボタンと録画ボタンを指が白くなるほど強く押すという機械だったのだから。

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