アニメックの頃… 著/小牧雅伸

アニメック8号の中身

アニメック#号表紙画像

そのような待遇とは関係なく、編集部のスキルは上昇していた。人間は実戦で揉まれる方が成長するようだ。プロのデザイナーを借りて作っていた初期のムックに匹敵する本になっていたからである。表紙には特色も使って良いと許可が出たので夕焼け空に立つガンダムと拳銃を構えるアムロという背景を際立たせようと蛍光ピンクを使ってみた。
大失敗である。
配色がもろ絵本になってしまい、予想通り東映戦隊物と並んで絵本棚に並べた本屋さん続出であった。目立つから買えたという読者と、こんな恥ずかしい本を買う身になってみろという読者は半々という感じであった。

そしてピンナップ表。これ、ある意味で貴重品。出渕裕のプロ初カラー画稿である。ジャブロー洞窟内のズゴックを背景に、見下ろすシャアとフラウを庇うアムロという構図は、完全オリジナルなのだが、いかにもありそうなシーンで大好評であった。裏面は14話のマチルダの生セルを流用している。もう一枚ピンナップが欲しいところだが、予算が尽きた。白黒ならできるという話で、青インク一色印刷を試みた。つまりは設計図のブループリントのような雰囲気にしてしまおうという企画だ。ありそうでなかったコア・ファイターの三面図を、U杉が製図した。設定書の対比を崩さないで三面図を起こすのには時間がかかったが、これも完成を見た。これがあまりにも良くできていたので、後に公式図面と間違って掲載するアニメ雑誌もあったくらいである。このあたり図面描きのプロのさがで、コア・ファイターの翼の付け根に、U杉は「H・U」とイニシャルを入れていた。それくらい消せばいいのに、そのまま掲載したのだから言い逃れができないという始末になってしまったようだ。

その図面の裏は、私の大好きな航路図である。富野作品の基本は旅である。実在の場所を移動すると、必ず何らかのキーワードが含まれている。最初にやったのは海のトリトンのムックで、世界一周をして大西洋に進んだ航路図を作った。『機動戦士ガンダム』(今は、ここにテレビ版と注釈を付けないと混乱する)では、大気圏突入以後のホワイトベースの航路は、かなり正確に表示できるキーワードが何カ所もあった。何人かのマニアが算定していた航路を最終的に出渕裕と小牧で直し、富野監督の監修を受けて無事に完成させた。読者としても、この航路は物語にリアル感を添えたようである。

カラーページは、「ランバ・ラル特攻」をメインに名場面で構成した。これには訳があり、高校野球の中継で、一部地方ではこの話数が放映されなかったからである。
だから、白黒の冒頭は目玉企画として第19話「ランバ・ラル特攻」のAR台本を掲載した。
名場面ではないが、話数設定の該当箇所を全て使い、絵物語風に構成したのである。これは、ストーリーの根幹を成す話であり、これが抜けると続く話が通じないという事情があった。高校野球で放送が飛んだ地域から悲鳴にも似たハガキと手紙が山のように届いたのだ。
名古屋テレビの今井さんに相談すると、貴重な視聴者に不満があってはならないという判断で、本来ならば雑誌掲載は認可していないAR台本の掲載許可が出た。AR台本は今では普通に使われるが、シナリオと異なり完成した(線画の場合もあるが)フィルムを見ながらCVを入れる作業(アフター・レコーディング)用のものであり、基本的には録音現場でしか使わない物である。この判断にはサンライズも賛同していただけ、本邦初のAR台本一話完全載録という記事になったのである。予定では19話からの設定ストーリーだったページだけに度肝を抜かれた読者が多かった。放送が抜けた地域からだけでなく、多くの読者から受けた企画である。もっとも、この号だけの特例という意味合いが多く、後に総集編の「機動戦士ガンダム大事典」を編集した時にはこの部分は割愛している。

設定ストーリーは、そういうわけで20話から26話を、いつものごとく淡々とこなしたのだが、やはり遊びはある。第23話の「マチルダ救出作戦」では、パースが一致したのを幸いにドダイ爆撃機に乗ったグフを合成で作成した。あまりにもピッタリの絵だったので、本物の設定書だと思う編集者も多く、後にガンダム特集やムックを作る時に「26話の設定が一枚抜けていますが」とか「あの設定書を下さい」という申請が資料室に殺到し、イイヅカさんが「あれは、小牧が作ったんだから、お前らも自分で作れ」と怒鳴り飛ばしていた。

「機動戦士ガンダム事典」は、1話から書きためた事典を全部掲載してみた。もちろん、26話までのまとめであるが、この記事の評判が白黒であるにもかかわらず人気投票でトップとなり、その後のアニメックの編集方針に大きな影響を与えた。
もはや恒例となった「富野監督インタビュー」では、衝撃の打ち切り決定が発表され読者にショックを与えた。なにしろインタビューに伺った、数時間前に安彦良和作画監督が倒れたばかりで、焦燥しながらも丁寧に対応して下さる富野監督には頭が下がった。もし、自分があの立場だったら、雑誌のインタビューに答える余裕などなかったと思う。

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