歴史の闇
一方でとんでもない弊害も起きていた。彩色スタジオの中には、じわじわと赤字が増えていく会社が増加したのである。
彩色スタジオのアルバイトが、夜中に勝手に残業をして、セルをトレスマシンにかけ彩色していたのだ。つまり、仕事で彩色したセルの中から原画を選び、会社の在庫のセルと絵の具で同じセルを作って持ち出していたのである。なにしろ在庫の数は、半端ではない。
「今月はセルと絵の具の消費量が多いな」くらいだったのだが、伝票と付き合わせるととんでもない数字になるのだ。色指定のミスでワンカット彩色し直すという場合には廃棄セルが出る。塗りミスもないのに数が合わないという悲惨な結果になった頃には、問題のアルバイトは姿を消していたのである。撮影前のセルが盗まれるという話は、数年前からあったのだが、偽造セルが作られるという新しい犯罪である。
偽造と書いたが、同じ原画からトレスして彩色されたセルであれば、どちらも本物というややこしさがあった。ある日編集部に遊びに来たファンが、「吉祥寺の路上販売で購入したんです」と嬉しそうにセルを見せてくれた。
「ちょいまて、なんでシャアがあるわけよ」椅子からずり落ちる編集長
「うーん、再来週放映だよな。まだ撮影中だろ、これは」沈着冷静なU杉
かくして、この時代、セルの不法販売で荒稼ぎをした人間は数知れずいたのである。今では絶対不可能なこの商売。80年代の中頃までは密かに続けられていた。ある意味、人気作品でなければ絶対に起きない犯罪なのだが、肝心の視聴率は上がる事はなかったのだから、因果な話ではないか。
この頃になると、アニメスタジオや彩色スタジオに、それを目的でアルバイトに入る者が、相当数いたようだ。撮出しスケジュールを把握している進行と手を組んで荒稼ぎをする要員の駆逐に、各スタジオとも苦労していた様子である。もともと仕上げは花形産業ではなく慢性的な人手不足であるから、最初から疑ってかかるわけにはいかない。それぞれの責任者は毎夜胃の痛くなるような不安を抱えて、社内巡回を続けていたそうだ。
管理体勢を問われるのであまりおおっぴらにならないが、80年代中期には新聞やニュースにも取り上げられるほど、センセーショナルな話題になっていくのである。
2006年5月、秋葉原でパーツを買った帰りに路地裏で懐かしい風体のセル売りに遭遇した。
両腕にショッピングバックを提げた開襟シャツの小太りの男が、中からファイルを取りだして周囲に見せていた。「リリカルなのは」ってあんた……セルが存在するのかよーと心の中で突っ込みを入れて、その場を立ち去る私。どうやら、この手の商売は21世紀にも健在なようで、頭がクラクラした。秋葉原に電子パーツを買いに行く人は、すでに絶滅危惧種なのかもしれないが、世の中変わったものである。