アニメックの頃… 著/小牧雅伸

買う側から作る側へ

『機動戦士ガンダム』の商品は、私が買った物はとても少ない。参考程度にセイカの塗り絵やガンダム・フライングヒコーキくらいであった。ガンダム・フライングヒコーキは、スチレンペーパーに印刷されたガンダムやガンキャノンを組み立てて飛行機にする子供の玩具である。ドップなどは非常に良くできていたと思う。まさか、それから20年後に、「機動戦士ガンダム20周年トリビュートマガジン G2O」に寄贈して6種類の組み立てた姿が掲載されるとは、購入時には思いもしなかった商品だ。もうひとつ、サンライズ横の文房具屋の前にあるガチャガチャで2700円を投資して入手したオリオンが作ったダイキャストのガンダムも当時としてはハイレベルだったと記憶している。
実は、ガンダムこそは本物の版権絵を使おうということで、高橋営業部長と色々と協議して製品開発にも関わっていたからだ。当然、サンプルを貰うので、ガンダム商品は買う必要がなく、ガンダムマグカップでコーヒーを飲んでいたりしたわけだ。

そういえば、最低ロット数が売れただけだったが、ラポートとしては異色の商品も発売に関与している。U杉と私はSFの人だったので、「火星のプリンセス」の挿絵等で大人気だった、武部本一郎大画伯の「火星のプリンセス」ポスターとポストカードを企画して、先生のお家に出掛け、原画を選ばしていただいた。著者贈呈用のポスターを持って訪問した時にはちゃっかりサインまで貰って帰って来ている。これほどの役得は、あとにも先にもこの時だけだったが、今は良き思い出である。
校正担当者からは毎度「小牧さん、敬称は統一して下さい」と泣かれているのだが、武部先生を呼び捨てにできるものか。というわけで敬称の不統一は私の責任であることを明記しておく。

さて、そのガンダムのポスター。当然、この時点では製作できなかった。大河原邦男さんも安彦良和さんも忙しくて、そんな大きな絵を描く時間的余裕がなかったのである。
そこで、大河原さんの過去に描いたイラストを流用したポストカードが製作された。
「小牧よーっ、生セルを売ってるんだが、この売れ行きの差はなんだ」
「そりゃあ××が担当した話数を買うアニメファンはいませんぜ」
まだ存在しているスタジオなので名前は内緒だ。
「だけど、これはアムロだし、こっちはシャアだろう。どこが違う」
「これがファンが欲しい奴で、これはタダでもいらん方ですね」
「おまえたち、マニアの頭の中はどうなっておるのじゃー」
今では信じられない話だが、当時は一般の大人に原画と動画の区別は無理だったのだ。ましてや安彦作画と安彦修正画と説明しても通じるわけはないのである。

かくして、サンライズからトラック単位で購入した廃棄セルの中から、原図付きの原画を選りすぐるという怪しい任務を仰せつかり9枚をセレクトした。この原画をサンライズに戻し、トレスマシンでトレスして彩色してもらうという「同じセル」の大量生産が始まった。
通常は、生セルは倉庫のバイトが汗だくになり、背景と枠を付けて400円、枠のみ背景無し300円という平均価格で販売していた。ほとんどは客寄せ用の商品なので整理の人件費程度なのだが、これは注文生産なので一枚の販売価格が背景無しにもかかわらず800円になった。それでも飛ぶように売れたのだからブームというのは恐ろしい。

だからセルが入荷した日は、他の仕事はさておき、私とU杉は徹夜となった。16ミリフィルムは印刷での限界がハガキサイズだった。これがセルならば表紙はおろかピンナップにも流用可能となる。まずは名場面をセレクトして背景付きで確保したのだ。後日、カメラマン太郎氏にセル撮影を頼み、それを倉庫に返却する。この頃になると高橋部長も馴れた物で、我々が撮影に使ったセルは、他とは違うということで額装して別保管にしていた。アニメ祭事のブースに飾るだけで集客力が異なったのだ。この頃から展示日の最終日になると額装されたセルをどうしても売ってくれというファンが増え、結果的に祭事に使うセル画は毎回替わるようになっていく。
苦労しただけの事はあり、他紙ではサンライズでセル撮影したガンダムの名場面を使わないとカラーページの構成が不可能だったが、「アニメック」だけは比較的最近の放映から名場面を構成できたのである。劇場公開が決まった頃になると、適切な画面を持たない新聞社などが、「アニメック」のページを複写して画像を使うようになったのはこれが原因である。
カラーページで大きく印刷された物は、多少縮小して白黒印刷で使えたからだ。

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