アニメックの頃… 著/小牧雅伸

第5回 「ガンダムの日々

アニメック7号

引っ越し騒動が収まる頃には、「アニメック」8号の編集が始まっていた。本が出てから編集をしているのでは、月刊では無理なのだが、もともと、この人数で雑誌を作ることに無理があるのではないかという疑問もあった。今考えても、よくやったと思う。若さは武器である。

さて、ものはついで、7号のラインナップを書きながら当時のアニメーションの状況を振り返ってみよう。
『劇場用未来少年コナン大特集』は「アニメック」存在以前の作品で、これを機会に設定書を集めたという感じだ。これに関しては、ほとんど私の趣味である。1978年4月4日から10月31日までNHKで放映された名作アニメ作品なので、かなり良質の同人誌が出ていたが、これはスタッフが作った物だから当然と言えば当然だろう。ともあれ、視聴率が低かったという信じられない作品だった。夜の7時半から8時という子供が見ない時間帯が影響しているのだろうと編集部では話していたが、逆にガンダムを見る高校生以上のコアなファンは多かった。なんといっても大塚・宮崎コンビの本領が発揮された素晴らしい作品である。
しかし、この劇場版については、あまり評判が良くなかった。順序を入れ替えた再編集に近い物で、ラオ博士がニッコリ微笑んで夕日に向かって飛び立つラストは、本物のコナンを知るファンには耐え難かったからである。それでも設定書が組める魅力には勝てず、特集してしまうあたりが「アニメック」である。

この夏、大ヒット作品となった完全新作の「銀河鉄道999」を見た、目の肥えたファンにとっては、かなりきつい内容だったのかもしれない。999の人気はすさまじいもので、田舎の駅では、高校生から大きなお友達までがラストシーンの「メーテルー!」を再現していた。さすがに死人は出ていないが、手を振りながら列車を追いかけて鉄柱に激突したという失敗談は山のように編集部に寄せられていた。
『巨人の星』星一徹のVサイン以降、カメラを向けられたらVサインをするというのが一般慣習となったように、列車を見ると走り出す習慣が定着しなくて本当に良かったと思っているくらい、夏から秋にかけてはホームを走る回る少年たちが増加していたのである。

歴史に埋もれた感のある『宇宙空母ブルーノア』にも触れておかねばならない。あの『宇宙戦艦ヤマト』のアカデミーの製作ということと、本格的なSF考証に科学ライターとして売り出し中の金子隆一氏を起用した事で注目を集めた作品であった。なにしろ日本では珍しい第一回がテレフィチャー、2時間枠で1話から4話までを放映するという画期的なテレビアニメだった。テレビアニメでは、軌道エレベーターを初めて扱った作品でもある。が、ストーリーが追いつかず、39話予定が24話に短縮されて放送を終了している。

この時期のアニメファンの興味は公開間近となった『エースをねらえ』劇場版に集まっていた。制約の厳しい中での旧『エースをねらえ』を製作したスタッフによる完全新作とあっては、「何か違うんだよなぁ」という『新エースをねらえ』以上に期待していたのである。
事実、この劇場版の成功により、出崎統監督、杉野照夫作監という『エースをねらえ2』は、今も名作として語り継がれている。

SFヒーロー列伝は、『マグマ大使』の後編。その内容の濃さもさることながら、著者の池田憲章は、真夏のフジテレビ特別番組「怪獣クイズだ 大集合」に怪獣博士として出演。その知名度はグンと上昇していた。知る人ぞ知るという存在から、特撮物の専門家として世間に知られるようになった第一歩ではないかと記憶している。

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