6号のその他の記事
『日本特撮映画史SFヒーロー列伝』は、「マグマ大使」の前編。池田憲章の筆が冴えまくっている。変わったところでは、コミックを掲載しようということで、連載は無理だが1回だけの読み切りならということで、速水 翼に無理を言って描いてもらっている。スケジュールの合間を縫ってなので、ベタでもホワイトでも出来る人間は総動員だ。
夏休みお楽しみアニメ特集として取り扱ったのは、「銀河鉄道999」「指輪物語」「海のトリトン」のラインナップ。トリトンに関してはヤマト3の劇場告知を兼ねた過去二作のおさらいもおまけ付きである。このあたりプロデューサーが西崎氏ということで、ワンセット扱いであった。変わったところでは、虫プロ再建の足がかりとなった「北極のムーシカ ミーシカ」も特集している。
長浜忠夫監督の「未来ロボ ダルタニアス」(東映作品・サンライズは下請け製作)は、当時サンライズの1階スタジオで制作されていたので、特別インタビューもしている。地域によっては、2階で製作している機動戦士ガンダムの裏番組という因縁もあるのだが、長浜監督を商業誌でインタビューするのは、はじめてということもありお話を伺った。かなり細かい話を伺ったのだが、「ボルテス、ダイモスについては、まだ語り足りない物がありますが、ダルタニアスについては放映が終わってからにして欲しい」と言われたのが印象深かった。結局、長浜氏は「未来ロボ ダルタニアス」を途中降板。古巣の東京ムービーに復帰されて「ベルサイユのばら」を監督されることになったのだが……。
「アニメック」6号を読むと、今も違和感を持つ部分がある。それは本の両サイドの余白(ハシラ)に書かれたセンスのない惹句(アオリ文)である。まったく謎なのだが、売り上げアップには賑やかさが必要という海野社長の判断で、部外者が入れているのだ。これについてはトップダウンなので伊沢部長は関与していなかった。ベテラン編集者という売り込みであったが、記事が書けるわけでもなく、毎号ハシラのみを書くという謎の仕事をし、読者の反発が多く6冊くらいで消えていった人である。
引っ越し決定
さて、まったくの余談なのだが、人生で滅多に経験できない馬鹿騒ぎという物をこの時期に経験している。現在のラポートピアビルの敷地には、我々が根城にしている傾いた編集部のあるアパートと、それに隣接する一階がバーという同じように古びたアパートがあった。
7号の編集中に、海野社長の動きが慌ただしくなった。これだけ旧式のアパートなので、住人は貧乏学生が多かったのだが、この年の入居者は激減する。それでも風呂なし、共同便所という環境に適応した数人の男女が数室を借りていた。これらの住人に社長が個別交渉をはじめたのだある。
「いったい何をやっているんだろうねぇ」
「まさか地上げじゃなかろうよ」
という私とU杉の予想を裏切り、なんと地上げであった。(人聞きの悪いと、怒鳴られそうだが)つまり、アパートの地主と交渉して、ここにビルを立て、上階の何部屋かを等価交換。ビルの建設費捻出には、右肩上がりの業務成績を担保に借り入れようという計画である。ビルはアパート二つ分の敷地に建つのである。
ユニットバス付きのワンルームマンションに引っ越して、家財道具くらいは揃えられるという立ち退き料に、全ての住人が喜んで退室した頃、我々には計画が知らされた。
2週間後にアパートは取り壊されるので、必要な物や取り外して持って行きたい物は自由にして良いというお達しがでた。引っ越し先は1ブロック離れたワンちゃんビルである。
勿論、正式名称はあるわけだが、我々の頭の中には、「王貞治選手がホームラン王になった時、お父さんのラーメン屋を開くため、大きなビルを新宿通りに建てました」という少年誌の記事が強く残っていた。なにしろ、その時の写真だと新宿通りは砂利道だったという昔話だ。
ワンチャンビルの一階には巨大な空間があった。表に喫茶店、横に駐車場を持つビルで、まだ200平米強の大きな事務室があったのである。ひとまず、営業と倉庫の床を張り直し、余った区画にパーティションで編集部が作られる工事になった。だいたい3:1の比率になるので、変形6畳よりはかなり仕事がし易くなる予定であった。
「アパートに残った物は持って行っても良い」と言われても窓ガラスや襖を外しても何の使い道もないような気がした。
「ジャブロンだ。ジャブロンしかない」U杉が目を輝かせた。
この時点では、「南米にある地球連邦軍本部」にはジャブローという固有名詞は付けられていない。ジャブロンは、当時「おさかなになった私」というCMで有名なステンレス浴槽である。ほぼ新品という浴槽を発見したU杉の指揮により、我々はパイプレンチ片手に浴槽を取り外し倉庫にしまった。バランス釜の方は明日と考えたのが失敗で翌日は跡形もなく消えていたのだが。これを下宿の6畳の台所に装備すれば、深夜でも風呂に入れるという計画はもろくも崩れ去った。この浴槽は、どういうわけか数年持ち歩く事になり、数年後に伸童舎のバイトくんの物になったと記憶している。
「昭和の骨董として値が出るかもしれない」
次に私が目を付けたのは洗面台である。アパートの廊下には、各部屋専用の洗面台だあった。これが枠木にはめ込まれた20×30センチの御影石である。後から付けられたのではなく、建造時にはめ込まれた物らしい。
「台ごと切ったらいいじゃないか」
U杉の提案でノコギリを用意したが、台イコールが柱である。水平に柱を切ると、まったく動かなくなった。それはそうだ、屋根の重量が柱にかかっているのだから動くわけはない。
「無理。クサビ入れても切断して外したら、屋根が落ちるわな」
と私はノコギリをやっとのことで抜き出した。
「残るはあれしかないですなぁ」
中村秀敏が、新たな発想を繰り出した。どうせ壊すアパートなのだから全力でぶち当たり、漫画のように人型の穴があけられるかの実験である。土壁なのだからそれは可能なように思えた。だが、我々は日本伝統の竹の芯にドロを塗りつけ、漆喰で固める土壁の頑丈さを味わうだけであった。固いようでいて、案外弾力があるのが土壁である。体当たりを繰り返しても柱や床から多少揺れ動くだけで穴は開かないのだ。ヒビもそれほど広がらない。軽傷者多数という損害を出すだけで終わったのである。このあたりのネタ一覧をシオタくんに出したら、今回の漫画は土壁との格闘をネタにすると宣言。詳細は漫画で……。
数年後、社員旅行にでかけた品田冬樹氏(今や特撮界の巨匠)が宴会芸「逆さ大仏」をやってる最中に転倒し、旅館の砂壁に穴を開けて騒ぎになったことがある。あれってやろうと思って出来る事じゃないよねぇ、というのが我々の感想だった。旅館の普請が雑だったのか、品田氏が丈夫だったのかは、今をもってしても、謎とされている。