アニメックの頃… 著/小牧雅伸

富野監督インタビュー

6号の目玉記事は、編集部内でまとめた数々の疑問を監督自らに語ってもらおうというインタビューであった。正確に言うと、これは日本サンライズには断られているのだ。それもそのはず、当時の放送フォーマットでは、何回かの総集編が許されていたが、ガンダムにはその余裕がなかった。そうでなくても放送中にはシナリオにして6話、コンテが4話前後進行していて、作画や撮影はギリギリのスケジュールである。作画監督の安彦さんや総監督の富野さんに無駄な時間を取られては困るという会社としては当然の判断である。

だが、我々には強い味方がいた。資料室長の飯塚正夫氏である。業界用語で「イイヅカさん」。やはりイイヅカさんはカタカナでなくてはならないというのが、この時代の編集者やライターの共通認識であった。現在アニメ関係の編集業の中堅どころの人でイイヅカさんの世話にならなかった人間は居ないだろうというのが私の持論である。ともかく出版社に関係なく若手の面倒を非常に良く見て下さる方だった。イイヅカさんを知らなくても、ガンダムのファンならば、その文字を知っているはずである。サンライズの設定書に書かれた形式ナンバーやスペックは全てイイヅカさんの手による独特の字体だ。電子作業により活字に置き換えられた物も多いが、初期の設定資料を見れば、必ず独特の字体が書かれている。アニメーターがキャラクターを描いても、デザイナーがメカを描いても、それは設定であって設定書ではない。それを切り張りして適切な形にした上で「機動戦士ガンダム○話 △▽の×○」とイイヅカ文字が入って、はじめて設定書となるのである。決定稿の判子が押されるのは「イイヅカ」と完了サインが入った物だけだったのだ。
当時のサンライズ資料室は、なんと八百屋の二階にあった。看板が出ているわけではない。西武新宿線上井草駅を降りて、そのまま八百屋の二階に上がるのが我々の日課であった。
「イイヅカさん、どーしよう。インタビュー許可出ないよー」
「あったり前だろ。もう戦争やってるくらい忙しいんだからよ」
「でもサンライズ公式見解の設定がない以上、監督の話がいるし」
「だから、頭を使えよ。富ちゃんは飯食う時間だけは正確なんだから」
「へっ」
「だから、もう30分もすれば、青柳のランチタイムだ。ローテーションからすれば、今日は青柳で飯食うに決まってる」
「はぁ」
「お前も、そこで飯を食う。横に富ちゃん来る。インタビューお願いしますって言えば、お前のインタビューはツボを突いてるから何とか時間を取ってくれるだろうよ」
「うーん、ひとつ問題が」
「何だ、また飯代がねぇのか。給料日に返せよ」
面倒見が良いだけでは、語り尽くせない人ですね。こっちの懐状態まで把握してる。かくして借りた飯代でランチを取り、富野さんと遭遇。木曜の夜中なら二時間くらい時間をあげようということになりました。裏技も裏技、昔はこういうインタビューが通用してしまったのですな。
考えてみたら、こういう接触は少なくなかった。富野監督とは海のトリトンのムックで野崎プロデューサーから正式に紹介されているのだが、長浜監督との初対面はまさにこれ。イイヅカさんの智恵で、長浜監督が喫茶店でシナリオチェックをしているところにお邪魔したという経緯があったのだ。ネタはコンバトラーVの同人誌だから、仕事でも何でもないのだが、大学生が自分の作品を真剣に視聴している事を知った長浜監督と意気投合。そのままアフレコスタジオの見学に連れて行ってもらって、市川治さんを紹介してもらい、ガルーダの心情を熱く語ってもらったという恥ずかしい過去を持っていたりするわけだ。最初にイイヅカさんを紹介してくれたのは、風間さんでしたっけ。あらためて感謝いたします。
インタビューの結果は、初期設定が解説できるように超大な質問表を用意したものの、富野監督の独演会になってしまった。インタビュアーの私よりも「フィルムを見れば判る」を信念にしていたにもかかわらず視聴者が理解してくれなかった部分に危機感を覚えた監督が蕩々と語って下さったのである。やはりドラマ作りの手法がメインであったが、ミノフスキー粒子が理解してもらえない事が一番つらい様子だった。
レーダーをメインとする近代戦の延長であれば、巨大なMS同士が接近戦を行う必然性はなくなる。被弾率の少ない小型戦闘機にミサイルを搭載した戦術では、テレビアニメとして絵的に厳しい。そこでレーダーを含む誘導兵器を無効化してしまう必要から考案されたのがミノフスキー粒子である。レーダーと誘導兵器が使えなければ、肉眼による有視界戦闘となり巨大ロボットである敵味方のMSが同一フレームに入るという理屈が視聴者に通じないもどかしさがあったようだ。たしかに、理屈では理解していても未だに、この理屈を理解していないガンダムファンが存在するのだから放映当時では仕方がなかったかもしれない。
逆に今では、周知徹底されたコロニーの中で暮らすという概念が当時の視聴者には理解されていなかった。サイド7の外観と、アムロたちが暮らす街がどこにあるのがが結びついていなかったのである。そのあたりの設定解説は富野監督に喜んでもらえたようであった。

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