アニメックの頃… 著/小牧雅伸

予想外の売れ行き

一方で、ラポートも予想外の事で対応は出来ていなかった。現在のようにPOSで入荷部数と販売部数がオンラインされているわけではない。入荷数がわかっても在庫数は把握できないのだ。「特急の停車する大きい駅の書店さんならあると思いますが」という曖昧な返事になってしまうのだ。一応アニメックの買える書店として、アニメック系列のアニメショップ全国七店舗は掲載してあったのだが、誰もがそこに行けるわけではなかった。また、系列店からは毎日のように催促が入り、取り置きの一万部はみるみる数を減らしていた。
「これやったら、夏休みのイベントで売るアニメックが残らんがな」と海野社長も困っていた。大阪梅田に実家のある海野社長はコテコテの大阪弁である。普通は大学時代に東京の大学へ来ると標準語になるものだが、この人は政治演説以外は大阪弁であった。早稲田雄弁会の先輩にあたる小渕 恵三議員の応援演説だと標準語なのだから不思議な物である。
余談ではあるが、昭和天皇崩御の日、世間一般では「平成おじさん」と名付けられた「平成」と元号の書かれた紙を掲げた官房長官が小渕 恵三氏である。編集部では、「あっ、小渕ちゃんが写ってるよー」と親戚のおじさんがテレビに出たような反応をしたものである。ラポートピアビルの定礎に「小渕 恵三」と署名があるので、編集部ではアルバイトに至るまでどんな人物かは知っていたのだ。後に第84代の内閣総理大臣になる人だなどとは、1979年当時に信じていたのは海野社長くらいだったろう。

ムックでは、だいたい10万部平均の完売をしていたのだが、1万部のマニフィックをヒーヒー言いながら捌いた(そう、売ったというより捌くのがやっとだったのだ)身としては、やっと一安心という気持ちだった。アニメック5号と6号の売り上げ純益を考えれば、マニフィック1号と2号のそれぞれ営業車一台分くらいの赤字(当時の高橋営業部長の口癖である)は取り返したどころか、大きな黒字に転換したことで首が繋がったという心持ちであった。
隔月発行なのに三週間ほどで売り切れたアニメック6号「機動戦士ガンダム特集号」は、運命の雑誌だったのだろうと思う。これで抜き差しならない状態に追い込まれたという気持ちもあるのだが。
売り切れて、入手できないとなると噂が噂を呼び、コアなマニアにとっては、絶対に読まなければならない本という位置づけにもなったようである。マイナー人気ではあるが、それでもガンダムに関連した記事がチラホラと目に付くようになった時期でもある。この夏、週刊テレビガイドでは、「ガンダムのことを書いている本を教えて下さい」という読者の質問に答えている。ちゃんとテレビガイド編集部からの電話確認もあった。
「すいません、ガンダム特集のあった本のスペックを教えて下さい」
「はい、隔月で発売されているアニメックという本で定価480円です」
答えたのはたまたま電話に出た私である。
しかし、世の中は何が起きるかわからない。これが記事になると微妙というか、謎の回答になってしまった。
「カクエツ館出版から出ている月刊アニメックの8月1日号に、30ページにわたる特集を組んでいます」
おそらく多くの人が、客注伝票(書店で、お客さんが取り寄せて欲しい本を書く伝票。最近は店員が全ての本や出版社を把握していないので扱わない書店もある)に「出版元 カクエツ館出版」と存在しない出版社を書いたのだろうと想像すると、今でも可哀想だと思う。この教訓を元に、誤植王者のアニメックの分際で他社の「お笑い誤植」を取り上げる名物連載「ちょめちょめコーナー」がスタートするのだから、転んでもただでは起きないメンバーが揃っていたことになる。アニメ番組の場合は、一般人には聞き慣れない名称が多いので、大手新聞でも激しい誤植は日常茶飯事であった。今でも語り草になっている「長猫をはいた靴」などである。元記事を書いた記者は、やはりマニアで普段は我々と同じように「長猫」と呼んでいたのだろうかと憶測が憶測を呼び、編集部で「どうしてこのような誤植になったのか」が徹夜で談義されたりもしたものである。

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