アニメックの頃… 著/小牧雅伸

謎のダイエットマシン

トレスコープという機械があった。
文字通り、トレスマシンであるが、原版を上面のガラスに投影することで倍率を自由自在に変化できる物である。設置面積は電話ボックスほどで、強固なフレームに四本の支柱があり、台の面積は製図板ほどあった。コピー機のガラス面よりは大きいことになる。低倍率と高倍率はレンズを交換するので、微妙なサイズが連続するとかなり手間が必要だった。大塚商会製で、中古品を野崎プロデューサーに世話してもらった物である。当時はフリーランスの人間が持てる物ではなく、たいていは出版社に出掛けて借りるのが普通だった。余談ながら、「それって、フィルムの焼き付け装置みたいだな」と思った人は大正解。全体が暗幕で覆われた装置なので、トレース用の紙の代わりに印画紙を置けば巨大な紙焼きが撮れるのだ。紙焼きというのは、白黒写真を全紙サイズで焼き付けた物である。「アニメージュ」の前身に、「アニメージュ画集」というシリーズがあった事を覚えている人は少ない。その中でも「銀河鉄道999」の画集は、松本先生が超多忙ということもあり、表紙や口絵を描くのがやっとなスケジュールであった。この時に助っ人に入り、漫画原稿のヒトコマをA4サイズに紙焼きし、それを原図としてセル彩色に回してオールカラーの画集にしたという必殺技にも大活躍した機械である。先日徳間書店の編集さんと話した時に、私が999をやったと言うとのけぞって驚かれてしまった。あの頃は出版社もレコード会社も関係なしで仕事をしていたのだ。
文字にすると簡単そうな機械であるが、実は体力が必要だった。倍率調整は、原図位置とレンズ、そして上のトレース台の距離で決定する。手動の一眼レフカメラであれば、レンズリングを回してピント調整をするのと同じ動作なのだ。台の左右にある巨大なハンドルをゴリゴリと回して調整するので腕は疲れる。さらに上面には投影されているだけであるから、それを鉛筆でなぞって輪郭を写すのは精密作業となる。だいたいの枠組みを決めたレイアウト用紙に、その場でトレースする力仕事と精密作業。透過用の光源とトレス絵を確認する光源、それに人間の体温が加わり内部は蒸し風呂のような暑さになる。
後半の追い込みで、単純作業になった時には、単純にトレスしていくだけなので私も手伝ったのだが2時間も立ちっぱなしで作業すると、足もとに汗の水たまりが出来るくらいだった。半日作業するのが限界で、だいたい2sくらい痩せるという恐ろしい機械である。
ともかく炭水化物と糖分を採っては、トレスコに潜り込むという日々が続くと、手足の筋肉は落ちるが、腹だけは飛び出すという、どこぞの難民キャンプの住人のような体型になってしまうのである。後に、単純トレスでは、アルバイトの女の子に「これ2時間やったら確実に1s痩せるぞ」とダイエットマシンのごとく宣伝したら、先を争ってトレスをしてくれた。どうもこういう単純精密作業は女性が向いているようである。

この努力が実り、アニメック6号のガンダム特集は、図版のほとんどが設定書というマニアックな物に仕上がった。今はDTPなので、あまり関係ないのだが、設定書を25パーセント以下に縮小するには一種の裏技があった。アニメックのガンダム特集の成功がきっかけで設定書を掲載する本が増えたのだが、設定書のセレクトやレイアウトでは常にアニメックがリードするという状態が一年ほど続いた。実は、わざとピントをぼかすのである。
職人気質の大日本印刷の職人さんと相談した時には目を剥かれたのだが、発想の転換である。鉛筆の線を半分の画面に縮小すれば線の細さは半分になる。それを本のサイズまで縮小するとインクのドットでは再現できない細さになり見えなくなってしまうのだ。適正位置から多少ずらして線を太くするという発想はプロの職人には無かったのである。髪の毛一本まで正確に再現することに命を賭けている人たちに「ピンボケで製版して下さい」というのも無謀な話なのだが、何度かのテストショットで印刷状態を比べると、本来は不良品であるピンボケ製版の方が印刷はくっきり出ていたのである。大日本印刷の中では、アニメック製版という特殊名称で呼ばれ、おおっぴらにはされなかった裏技であった。これも出入りするライターが、設定書を多数入れたい記事の時に多用するようになり、アニメ誌では一般的な技術になっていった。この経緯が生かされ、紙にインクで描かれた物で無ければ印刷出来なかった絵の製版技術はかなり向上した。鉛筆を一度濃淡の強いコピーにして製版しなくても、ダイレクトで製版できるハイライト製版の進歩である。ハイライト製版で最大の成果を残した物は、「アニメージュ」に1982年より連載された宮崎さんの「風の谷のナウシカ」であろう。もともとアニメーターである宮崎さんは鉛筆の線だけで完成体なのだ。これにペン入れをしても時間の無駄になる。ナウシカの画像は、鉛筆画の完全再現ということではエポックだったのだ。
ともあれ、中村秀敏の鬼コピー作業とU杉のそれこそ身を削るような努力によりガンダムの初期設定を丁寧にまとめた設定解説ページは、読者に大好評を持って迎えられた。発売から3日もすると営業部には問い合わせの電話が入り、てんてこ舞いとなる。特急の止まる駅までの大遠征の末に入手した中学生・高校生の読者が、学校で見せびらかすという予想外の販促行為により「どこの書店に行けば買えるのか?」という問い合わせが多かったのだ。つまりは、地方の読者が多いわけで、当時の読者はアニメックを買う為に、長距離の電話代や交通費を本の価格以上に使ってくれていた事になる。
当時の読者諸君、申し訳ない。

INSIDE COLUMN
  バックナンバー