アニメックの頃… 著/小牧雅伸

丸背と角背

雑誌のサイズは色々あるが、その背は2種類しかない。丸背の本は薄いグラフ誌等に多いが本棚に入れると年度別の色違い程度しか認識できない。本屋さんで発売時には平積みされても、少し経過して本棚に入った時に目立たないという欠点があった。
海野社長としては、バックナンバーが少しでも捌ける必要から、角背にしたかった。どう考えてもページ数は倍が必要になる。つまり今作っている創刊2号で丸背は最後にしなければならなかったのだ。

「だいたい、レイアウト用紙を全部同じサイズという部分が違いますよね」
平松課長が苦笑しながら説明してくれた。
たとえ、64ページの本でも表紙や裏表紙に近い部分は版面が広く、中央に行くと狭くするのが普通なのだ。U杉は、色々な雑誌をレイアウトした経験から、裁ち切りは危険と判断して、内枠に余裕のあるレイアウト処理をしていた。
一般の人に説明すると、「マニフィック」のレイアウトは四コマまんがのようなもので、普通の雑誌は、ストーリーまんがのようなものと言えばいいのかも知れない。絵が端まで入るか否かの差である。コミックの場合は、作家が印刷されていない部分まで1〜2センチ余分に描いてあり、それが裁断されて縁まで絵が印刷されるのだ。
これには色々な約束事があり、本や印刷所によって、どれだけ余白まではみ出すかが違うのである。

この時には「あー、そういうものなのか」と思って聞いただけだが、後に「アニメディア」のレイアウト用紙を見た時に、「なるほど、専門家は違う」と納得した。
なにしろ初期の頃は、アニメの記事を書ける人間は限られていた。各アニメ雑誌に特徴があるのではなく、「ライターがアニメ雑誌別に書き分けていた」のである。
このあたりは、今では考えられない事だろう。編集のプロであっても、お堅い雑誌や分野の違う雑誌をしていた人が、アニメ雑誌の記事を作るのは難しいのである。
そういうわけで、各誌の次号誌面のほとんどは筒抜け状態という信じられない状況が長く続く事となる。「OUT」「アニメージュ」「アニメック」「マイアニメ」「アニメディア」に全て執筆してしまうという猛者すら存在したのである。「ジ・アニメ」だけは、母体が近代映画社という事もあり、あまりライターが重なっていなかったような気がする。

「アニメディア」は丸背だか、分厚い本である。表紙に近いページと中心ページでは10ミリ近い差があった。丸背の本を机の上で広げてみれば、これは簡単に理解できる。中央のステップラーの入ったページと表紙では左右の大きさが異なるのだ。自分で何枚かの紙を束ねて二つ折りにしてみても、これは理解できる。中心に行くほど紙は外に飛び出してしまうだろう。本の場合は、この部分(小口と呼ぶ)を裁断しているのだ。
「まぁ、なんだな。細かい部分は置いておくとして、絶対ページが足りない」
U杉の判断でもそういう結論になった。創刊2号の校了をしながら、我々は対策会議を開いた。どう考えても96ページが必要になることが判明した。

「社長、来月までに作るのは無理です」
私は、どう見積もっても、この人員でまともな本を作るには40日必要と判断し海野社長に報告した。
「私もそう思う。おそらく創刊2号も全部撒き切れなくて赤字になる。3号と4号は合併号にして、その代わり伝説になるような本にしようや」
かくして、最後の「マニフィック」となる3・4合併号の編集が始まった。

これが最後の本の印刷となる東洋企画印刷も頑張ってくれて、機械の調整をしつつ96ページに対応できる準備を進めてくれた。たとえ、大日本印刷での月刊誌が実現可能と言っても、この本が惨敗すれば、さすがに後はない。それくらいは、我々でも判断できるので、やれる事を全部ぶつけて見るしかなかった。

「趣味に走るぞ。もう他のアニメ関連書籍があきれるくらいコアな本にする」
安全な事は考えず、もうこれが最後のつもりで本にしてしまおうと私は考えていた。
「お前の得意なのは、好きな作品をきちんと解説したムックなんだから、この本の中にムックの要素を入れてしまえ」
U杉もそのあたりは腹をくくったようであった。となると、やるもの決まっていた。
『無敵超人ザンボット3』である。さっそく日本サンライズに交渉に出掛けた。

結果としては問題なく許可がおりた。だが、『ダイターン3』のラストを控えてカツカツのスケジュールであり、4月からの『ガンダム』で最後の調整中のスタッフは誰ひとり余力がないので使ってはならないという結論になった。その代わり、資料室からは全ての資料が借りられるというありがたい話である。

「それじゃあ、いって来ます」中村秀俊は、コピー要員としてサンライズに通い出した。後に「鬼コピー」と呼ばれる修験者の修業のように厳しい作業である。当時のコピー機は、デジタルではなくアナログ。さらにソーターやセレクターは付属していない。
担当者は半日コピー機の一部となって、直立不動(というわけにはいかないが)で次から次へと設定書をコピーするしかないのである。今のように「次は12話ね」と束を乗せたら待っているだけとは訳が違うのだ。かといって一枚づつ吟味する暇はなく、全部をコピーするのは大変だった。連続運用は2時間が限度で、他の仕事に支障がないように資料室の片隅でコピーをとり続けるには、かなりの忍耐を必要としたのだった。
フィルムは一本しか買えない。どうするか? これは集めた要員が全員一致で、21話「決戦 神ファミリー」で決定した。キャラクターとメカが総動員される話であり、最終話までは設定書と文章で十分に解説できるからだ。

「さぁて、ピンナップは安彦さんにも大河原さんにも頼めないとなると…」
頼める人間はこの世にひとりしかいなかった。伊藤“ケッダーマン”秀明氏である。
今でこそ版権絵(正式に許諾され、番組作画監督の誰かに本物の絵を描いてもらう)があたり前だが、この当時にこれに気が付いていた人間は少ない。アニメーションは共同作業である。だからアニメーターは全員が同じ絵を描けるというのは大いなる誤解である。

私の場合は、『海のトリトン』で、キャラクターデザインと作画監督をされた羽根章悦氏の大ファンということもあり、なんとラフ画持参で「これと同じ物をお願いします」という大胆な行動を取っていた。ほんとに希望通りの絵をあげてもらって有頂天になっていた。
だが、その後はかなり悲惨な目にあっている。
設定書と色指定、それに場面レイアウトを渡せば、望みの絵があがるかと言うと、まったく違うのだ。たとえ虫プロ生え抜きで、その作品を担当したベテラン・アニメーターに頼んでも「とんでもない絵」が上がってくることがある。これは動画マンではなく、原画マンに頼んでも同じことである。

セイカさんには失礼な話だが、我々の比喩に「セイカの塗り絵じゃないんだからさ」という言葉が良く出る。テレビシリーズの各スポンサーは、菓子であれ運動靴であれハンカチであれ、定番の版権商品を製作会社に発注する。これが今のようにちゃんとした絵になったのは、80年代中半からなのである。それまでは、「これ誰?」というくらい凄い絵がまかり通っていた。制作スタジオとしても、放映中は作画監督クラスに他の絵を描いてもらう余裕はないし、放映が終わっていればたいていの場合作家は他の現場に移動している。ようするに手空きのアニメーターが指定されたキャラクターやメカニックを起こしていたのである。

度々出るアウト創刊二号「宇宙戦艦ヤマト特集」が伝説に残るのは、その特集の絵にあった。編集スタッフが持ち寄ったセル画があっても全てをカバーできるわけはない。足りないセル画は、実は伊藤“ケッダーマン”秀明氏が、場面を思い出して再現して描いた物なのだ。後に、この号の事を書く「アウト」の編集者は、当時タッチしていないのでその点が抜けてしまっている。そうした凝りに凝った部分が、当時のアニメファンの琴線に触れたということがスッポリ抜けているのが残念である。

「で、小牧の旦那は何が欲しいの?」
「できればね、大河原さんが原画を描いたという雰囲気で、合体したキングビアルの横にかっこよく武器を構えたザンボット3を描いてね。はい、これ資料一式」
「背景はどうするの?」
「近いのしかないけど、やっぱ青い地球で、サンライズ光が入ってるの」
と、別作品の背景を渡す。これだけで、ちゃんと完成するのだから、たいしたものだ。当時としてはこれが出来るのは、日本中で彼ひとりの特技だったのである。いや、今でもここまで希望通りの絵を仕上げる作家はいないだろう。
なお、サンライズ光というのは、ガンダムのオープニングと同じで地球の片隅から太陽光が射した瞬間で、口で言うと簡単だが、単純に描くと「これタツノコ光だよ」と却下されるくらい当時のメカアニメでは製作スタジオによって癖があったのだ。

出来上がったピンナップは、編集スタッフですら「えーと、これ何話でしたっけ?」と勘違いするくらい本編フイルムにあっても不思議できない出来映えで、非常な好評を得た。

『ザンボット3』は、カラーページにカラー設定とフィルムストーリー、白黒ページには設定と全話ストーリーという立体構成で、あろうことか読者代表の女子高生2人を伴って富野監督にインタビューをするという単独作品ムック顔負けの特集となっていた。

その一方で、宝島の取材に訪問した東京ムービー(現・株式会社トムス・エンタテインメント 東京ムービー事業本部)では、非常に感触が良く宝島だけでなく、全ての作品を扱う許可がいただけていた。大日本印刷から完全リニューアルして「アニメック」として発売される雑誌の第一回特集は「東京ムービー全作品」と決定したのである。

創刊2号ハイジ特集の在庫がまだある中、最後の「マニフィック」2月3月合併号が角背の本として出版されたのである。この本の売れ行きによって、以後の運命は決定する。(つづく)

運命の歯車は廻り始めた!
次回、いよいよ「アニメック」の誌名が登場する!
ご期待ください。

INSIDE COLUMN
  バックナンバー