アニメックの頃… 著/小牧雅伸

ガンダムの準備

そんなある日、長年愛用していたソニーのトリニトロンTVが無くなっていた。この当時のブラウン管式テレビは発色がいい加減で、実に困る。たとえば緑の髪の少年であるトリトンの髪の色がきちんと再現できるのは、トリニトロンくらいしかなかったのである。
しばらく留守にしていた黎明企画に置いてあったテレビが、なぜか消えていたので、我々は金もないことなので、3月中旬に近所の電気屋で5万円の14インチテレビを5ヶ月月賦で買う事にした。月末になると親父さんが伝票を持って編集部に集金に来るという暢気(のんき)な方式であった。
これは、4月から放映される『機動戦士ガンダム』を見る為の準備である。
原始共産制の落とし穴というべきか、机が足りないと言えば、どこからか調達して来る者がいる一方で、足りない物を持って帰ってしまう人間も出るのである。結局のところ、このトリニトロンだけは、その後何処でもみかける事はなかったのである。

東京では土曜日の夕方放映というありがたい時間帯である。金曜日の朝6時までに入れた原稿は、そのまま印刷所の各工場で動くのだが、土日は営業が休みなので手も足も出なくなる。次に印刷所が動き出すのは月曜日の朝6時からである。つまり土日でなんとかして月曜の明け方に帳尻を合わせれば良いので、土曜の夕方は多少仕事を忘れても何とかなるのだ。
ビデオ? そんなものはありはしない。TVですら備品扱いにしてくれなかったラポートであるから、我々は今まで通り放映を丸暗記するしかなかったのである。考えてみれば、これは読者と同じ条件だ。放送中は電話のプラグを抜き、ドアに鍵を掛けての臨戦態勢であった。今でも地方の作家に電話を掛ける時は、地域番組表を確認して、お気に入り作品の放映時間には絶対に連絡をしないようにする癖はこの時についたものである。まだ5号の編集途上であったが、ついに運命の日がやって来た。

1979年(昭和54年)4月7日土曜日17:30、10チャンネル(東京ではテレビ朝日)で待機する我々の目に『機動戦士ガンダム』のオープニングが流れ始めた。

放送が終わってからの約一時間が、内容確認である。「この台詞の最後は何だった?」
「有線ミサイルのポッド数確認」「予告編は、三人のメモを統合するぞ」と大騒ぎである。
「えーと、角速度計算、覚えてるか?」「計算尺貸せ」「関数電卓、もってるし」みたいな騒動を演じながら、二分に一回転する内径6キロのコロニーだと壁面に発生する遠心力は約0.98Gで、地球の赤道付近の重力と近似値である。みたいな謎のメモが着々と埋まっていった。おそらくガンダムの1話を見て、こんな計算をしていた人間は我々くらいだと思う。富野監督にする質問メモだけでも、ノートはビッシリ埋まっていた。
「アニメック6号」の第1特集は、絶対に『機動戦士ガンダム』だと編集会議をするまでもなく、決定していた事になる。私もU杉もオニールの「スペースコロニー」は読んでいた。だが、視聴ターゲットである12歳に理解できるとは思わなかった。当時のアニメーション作品は商品展開から考えターゲットは12歳まで、つまり小学生用に作られていたのだ。一方でアニメックの読者対象は中学生・高校生と大きいお友達だ。最低限度、高校生に理解できるように解説しなくてはならないと考えていた。
「ミノフスキー粒子は、おそらく視聴者が理解していないだろう」
「ロボット同士が同一画面に存在する理由で見えないチャフみたいな解説か」
「チャフだって通じないような気がするな」
こうして、他のアニメ誌が視聴率的に歯牙にも掛けないであろう低視聴率アニメを徹底的に解説する作業が進められていたのである。事実、他誌がガンダムを記事にするのは、秋以降であった。先見の明があったわけではない。単純にガンダムが好きな人間が集まった編集部だったのである。

水曜日に無理矢理時間を作ると、私は銀座の名古屋テレビ東京支社の今井慎プロデューサーを訪ねた。テレビ朝日に行かないあたりが、「アニメック」流である。名古屋では11チャンネルで放映されるガンダムは、名古屋テレビの製作だ。なぜか、「ダイターン3」の取材で通ううちに今井プロデューサーとは意気投合していたのである。「ザンボット3」が始まるまでは、「ポーラ奥様劇場」が担当だった今井さんは、テレビアニメの人気が視聴率だけでは計れないという私の持論に、賛成してくれる珍しい人だった。日本サンライズのアニメは、視聴率はけっして高くなかった。だが、私と話すうちに今までの子供番組と異なり、局に寄せられる手紙やハガキが、高校生以上の物が増えていることや達者なイラストが増えている事の理由に納得されたようである。
「今井さん、視聴率どうでしたぁ?」
「胃が逆流しそう」
「大丈夫ですよ。ガンダムは、今後10年は名古屋テレビの貴重な財産になります」
「担当プロデューサーが頭を抱えているのに、よく断言できますね」
「ええ、首かけてもいいですよ。視聴率なんざ目安ですよ。これはヤマトより早く、放映が終わる頃には評価されますって」
「ホント? あれ難しい台詞多いと思うけど……じゃ飯でも」

なぜか、今井さんは私に飯を食わせてくれるのである。銀座のオフィスにいる人だけあり、昼定食の穴場な詳しい人で随分色々な物を食べさせてもらった。
ガンダムは放映中には、コアなファン以外には支持されない難しさがある。おそらく、そのコアなファンとて数は少ないはずである。今の人が聞くと信じられないかもしれないが、当時は宇宙戦艦ヤマトですら「SF用語が難しい」と言われていた時代なのだ。
「だからですね、なんだか面白そうだけどわからないと思ってる人にも、面白さが伝わる解説記事を毎回掲載しようと思うんです。協力して貰えませんか?」
「そりゃあやぶさかではないですよ。少しでも視聴率が上がるんだったら何でも提供します」
「今号の売れ行きにもよりますが、次号も3万部だとしても、そんなに影響力のある本じゃないです。おそらく放映中に視聴率に貢献できるのはアニメックでは0.1パーセントもないです」
「小牧さんって不思議な人だよね。それだけ自信もって人気作品に化けると言ってるのに、数字(視聴率)の事になると現実的なんだから」
「テレビと本は違いますからね。たとえ視聴率1パーセントだって10万人は本を買ってくれると思うんですよ」
実体のあるようでないような視聴率は、あくまでも目安だろうが、というのが私の考え方だった。当時はサンプル家庭のモニター視聴率を回収して集計するという大雑把な物で、「猫が見ていても視聴率」と揶揄されていた。とはいえ、視聴率が悪ければスポンサーに顔は立たず、番組は打ち切られるというのはいつの時代も同じである。
そんな状況で、「視聴率には貢献できないが、番組人気を底支えする自信はある」と言い切る業界最年少編集長の若造に、あらゆる便宜を計ってくれた名古屋テレビには感謝したい。もっとも数年後に私が結婚した時に、今井さんは驚いていた。
「えーーっ、小牧さんてそろそろ40くらいになるかと思ってたのに、まだ20代だったのー」
どうやら若い頃から老けて見えていたのが幸いしたようである。酷い人になると再婚したのだとばかり思っていたそうなのだから。

5号の刷り出しが出るまでの一週間で、『機動戦士ガンダム』の大特集の素案がほとんど揃っていた。シナリオや絵コンテもサンライズから提供されたが、あえて封印し予備知識なしでリアルに放送を見るという方式を取るのも決定した。その状態で見て一般視聴者が理解しにくい部分を徹底的に解説するというものだ。速報性よりも、タイムラグがあるが完全な解説の方がこの作品には必要だと判断したからである。
こうして、ガンダム漬けの日々が始まった。(つづく)

そして、次回。
「ガンダムのアニメック」の原点。
「アニメック」増部数躍進の開始点。
いよいよ6号の編集がスタートする!
ご期待ください。

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