まるで恒例行事になった三秋連続の総裁選。自民党は麻生太郎氏へ雪崩を打った。「顔」は変わるが「体質」はどうか。逆風に立ち向かう体力はあるか。
「男は何度でも勝負する」とばかりに四度目の挑戦となった麻生氏が、ついに政権党のトップの座に就いた。二十四日に召集される臨時国会の冒頭、福田康夫氏を継ぐ首相に選出される運びだ。
祖父に吉田茂、義父に鈴木善幸両元首相を持ち、一族は皇室にも連なる。出自に恵まれながら、党内では弱小の手勢に泣かされ続けてきた。ここは素直に祝福の辞を贈りたい。そして誤りなき日本国の運営をと、申し添えておく。
三たび1強へ雪崩
自民党大会に代わる二十二日の衆参両院議員総会の投票で麻生氏は、所属議員票の56%、同時に公表された地方票では95%を獲得して圧勝した。
総裁選を戦った他の候補に都道府県連組織は目もくれなかったことになる。議員票が与謝野馨氏以下の四候補へばらついて見えたにしても、大勢に変わりはない。
「一強」へ雪崩を打つ投票結果には既視感がある。安倍晋三、福田康夫と続いた元・前総裁の選出の時にも、同じことがあった。
自前の総裁候補を抱えてそれなりの存在理由があった派閥は、機能を失って久しく、寄らば大樹で「強者」の支持に回る。数を持つ大きな派閥は今回も、その長を担ぐことなく、むしろ議員票をばらつかせる演出を凝らすのに腐心したふしもうかがえる。
当て外れだったのだ。退陣を表明するにあたって「わくわくするような総裁選を」と訴えた福田氏らの願いはかなわず、世間の視線は終始冷ややかだった。
二代続いた政権投げ出しに、党の構造問題を指摘する声が内外に出ていた。国民は愚かではない。党はそこを読み違えていた。
人材も政策も不安
麻生氏の総裁就任の弁がいみじくも党の本音を物語る。自らに課された「天命」は「断固、民主党と戦う」ことだ、勝ってこそ天命が果たせる、と言った。迫る総選挙での勝利へムード盛り上げが狙いの総裁選だった。が、はたして効果はあったか、怪しい。
露呈してしまったのは人材のどうしようもない枯渇感だったのではないか。キャリアを感じさせたのは麻生氏一人。それも「舌禍」の危うさがつきまとった。
財政再建重視とされる与謝野氏も、増税より成長重視を唱える小池百合子氏らも、財政出動論の麻生氏と大差のないことを、多くの国民は一連の遊説で悟った。
小泉政権以来の「改革」路線は地方組織の麻生票からは見る影もなく、議員票の割り振りでかろうじて命脈を保っている形だ。
二〇〇五年総選挙で当選した、小泉チルドレンと称される新人議員八十人余はどうしたのか。自分の再選大事で、総裁候補の陣営を渡り歩く者がいたとも聞けば、この党の人材育成機能はどうなっているのか、疑わしくなる。
総裁選の最終盤で麻生氏は、後期高齢者医療制度の抜本見直しに踏み込んだ。舛添要一厚生労働相と事前に意見を交わした上でのことだとされる。
「総選挙を共に戦うには明るい人がいい」と、外から麻生氏にエールを送ってきた連立与党の公明党もさぞ驚いたことだろう。党機関紙で再三、制度は正しい、と支持者に訴え続けてきたのだから。
総選挙に有利か否かで政策がぶれる。「改革」路線の手直しが十分な検証と吟味を経ることなく喧伝(けんでん)される。
折からの米国発金融危機に、党には相当規模の財政出動を求める声が満ちている。それで野党の政策を「財源の裏付けのない無責任なバラマキだ」と批判できるのだろうか。
麻生氏は首相の指名選挙に臨む前に、国民に所信を明らかにしておく必要があろう。
さらには、世界が激しく動いているさなかの総裁選で、外交、安全保障の目立つ論点は、インド洋の給油活動継続だけだった。
二週間近くも続いた総裁選中には汚染米流通で農相と農水次官が辞めた。年金記録大量改ざんも発覚した。一候補の叫ぶ「霞が関をぶっ壊す」たぐいのスローガンで済ませられる話ではない。麻生氏の言う「政権政党の天命」とは選挙勝利だけではあるまい。
下野辞さぬ覚悟を
小沢一郎氏の代表続投を決めた民主党に「一度やらせてみては」という声が自民支持層にさえあることに、浮足立つような雰囲気が党にはある。ここで麻生自民党が口先で有権者を欺くようなら、思いと逆の結果が待つ。
麻生次期首相に速やかな解散・総選挙を求める。党の出直しこそ「天命」である。野に下る覚悟もなく、権力にしがみつく気なら、党の落ちた威信は戻らない。
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