この激高が本物だったら、まだやれる。8日目で早くも3敗目。勝ったつもりが負けとなった朝青龍。土俵上から、右足が俵を割ったことを告げた三保ケ関審判長(元大関増位山)をにらみつけ、支度部屋でも絶叫するなど、大荒れだった。
横綱の引退には必ず予兆がある。「マムシ」と呼ばれ、そのしぶとさ、技の切れ味のすごさで恐れられた横綱栃錦は、ふと鏡に映った自分の顔を見て「オレも優しくなったもんだな」と驚き、引退の時が近づいていることを悟ったという。引退を決断したのは、最後の優勝から、わずか2場所後の昭和35年夏場所のことだった。
21歳2カ月の史上最年少記録で横綱に駆け上がり、「無敵横綱」の名をほしいままにした北の湖は、最後の場所となった昭和60年初場所、突如、館内から沸き起こった「頑張れ、北の湖」という声援を聞き「横綱が激励されるようではおしまい。あの頑張れという声援を聞いてもうダメだと思った」と後日、しみじみと話している。
今場所の朝青龍にも引退の気配が随所に。ついこの前まで、負けると感情を露にして近寄りがたくなるのが常。2年前の夏場所2日目、土俵際で若の里に突き落とされて右ひじを痛め、翌日から休場した。次の名古屋場所前、朝青龍はひじが回復すると、真っ先に鳴戸部屋に向かい、若の里をコテンパンにやっつけて「ここからやろうと決めていたんだ」と胸を張った。この場所、朝青龍は序盤から独走し、14日目には早々と17度目の優勝を決めている。
ところが、今場所は負けても以前のような悔しい表情は見せず、実に淡々としたもの。安美錦の立ち合いの変化についていけず、2つ目の黒星を喫した6日目には「せっかく(右)手を突いて立ったのに、ダメだったな」と言うと声を上げて笑った。
悲願のモンゴル巡業を無事に終えて心の張りを失ったとか、左ひじが予想以上に悪いとか、白鵬に追い上げられて苦境に陥っているとか、朝青龍に引退の決断を促す材料はヤマとある。しかし、最も大きいのがこの気力の衰えだった。
この日のように不満をムキ出しにして、いまにも殴りかかりそうな顔つきを見せるのは久しぶり。「足が出たのか、どうなの」と取り囲んだ報道陣を恫喝(どうかつ)するように言うと、あとは何にも答えず、肩を怒らせて引き揚げていった。朝青龍の悪態は健在だ。
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