社団法人高松青年会議所
5.道州制について
 現行の都道府県制度を廃止して、複数の都道府県を統合した広域行政体をつくり、経済的な自立のための権限を与える制度として「道州制」が注目されつつある。ただし、どう枠組むかばかりに目を捕らわれがちで、そこへ至る過程や決定方法などは何も決まってはいない。いまだそのメリット・デメリットを議論しあう検討過程にあることは認識しておかなければならない。廃藩置県以降、多少変動はあったものの、ここまで抜本的な国の仕組みを変えようとすることは過去にはなく、実現すれば正に平成維新と呼ぶに匹敵する大きな歴史のターニングポイントとなろう。とは言え、かつての自治省が市町村合併の推進を掲げたとき、多少時間は要したが、ここまでその通りになるとは誰が予見できたであろうか。歴史とは正にドラスティックであり、過去に固執し変化を嫌う多くの人々をも否が応でも巻き込むものなのである。

<道州制について〜 四国州or中四国州>
 現在考えられる道州制の枠組みは大きく三つ検討される。

四国州 第一に、四国四県を一つの州とする方法。これは地政学的な見地から言えば極めて正論であり自然な考えである。八十八箇所のお遍路文化を支える地域として独立した地域性や共通文化は持ちえている。一方で、「四国は一つではなく、一つずつ」という表現も真を捉えている。四国山脈により見事に生活圏は大きく分断されていて、県民性も明らかに異なる。大事なことは、共通の文化意識を大事にし、同じふるさととしての共通益のために、互いの利益をどこまで許容しあえるかに尽きる。ASPAC高松大会のスローガンであったWith!〜for sustainable society〜は、皆手を繋いでといったお気楽なものではなく、互いの違いをどこまで享受し合えるのか、それを前提とした世界平和をアジアから創ろうとする未来志向であった。正に、道州制を考える上で、地域の持続的発展性のためにwith!の理念を問わねばならない。同じ日本国民の近接する四国4県ですらそのコンセンサスが取れないようでは、互いの違いが大きな国際社会における、平和と持続的発展など実現できるわけがないのである。まずは自分たちの四国から始めるべきなのである。



フィンランド人口 また、四国は全国からすれば3%の経済規模でしかない。そのことを卑下してやっていけるのか?と道州制を不安視する意見も多い。しかし、3%とは言え、その年間総生産金額は、オリンピックを開催したギリシャより大きく、北欧のフィンランド一国に匹敵する。フィンランドは約500万人の人口であり、四国より約100万人多いということは、1人当りの年間総生産量は四国の方が2割は高いということである。また、フィンランドは自然豊かな国土を維持しつつ、昨今はノキアのような世界的な先進企業を保有している。四国も豊かな自然環境を保有しながら、大塚製薬や日亜化学、大王製紙、タダノのような世界的な企業も数多くある。何も卑下する必要はない。また、国土が四国並に狭く、列強各国に近接するデンマークは、1人当りのGDPで世界トップ5に入る国際競争力を有し、医療・福祉でも先進している。それらを踏まえて、四国は日本のフィンランドやデンマークを目指せば良いのである。
   


中四国州
  第二に、中四国州とする案。中国地方と四国とを合わせれば、市場規模はそれなりに大きくなる。州としての大きさの確保は、それだけ独自権限の大きさを増やせることにつながる。特にこの案は、岡山県が既に目標としてアチコチで公言している。人口や経済規模からだけ考えれば、四国を含まず中国州となった場合、広島に州の中心となる州都を奪取される可能性は高い。そのため、岡山は中四国州を推進しているのであろうが、香川・高松だけに限って言えば、同一メディア圏であり、それにより文化的に同一感は高いが、他の三県にとっては魅力薄い話である。中四国州となれば、田舎の州の中でもさらに遠隔地域として認識される四国という寂しい姿が予想できなくもない。




 岡山・香川州第三に、バラバラの州になる案。徳島は近畿地方を中心とした関西圏の広域都市連携に、高知県も関西に仲間入りしたいと思い始めている動きがある。更に、愛媛は対岸の広島と橋の接続によって近くなり、今まで以上の市場の接近を向かえている。当然、徳島・高知が関西となれば、愛媛は広島へと流れるのも必然である。そして、それらに囲まれて取り残されるのは岡山・香川という組み合わせとなる。これでは、大きな力に挟まれて道州制のメリットを得ることなく小さな範囲と権限に押し込められる可能性がある。だからこそ、この第三案だけは、香川・高松はどうしても避けねばならない。小さいことが悪ではないが、メリットが少ないことは明白なのだから。
つまり、目指すべき落としどころの優先順位としては、@四国州、A中四国州、B岡山・香川州の順位となろう。







<道州制について〜 州都構想>
州都構想正当に道州制に進んで行き、四国州となろうとした場合、避けがたい大きな問題に直面する。それは州都をどこにするかという点である。しかし、本来、州都が何処になるかは都市にとってそれほど大きな問題にはならない。現実に、オーストラリア、USA、ブラジル等、首都と経済中心が異なる国は数多くある。州都構想を州都抗争とせず、各々の都市の素養を見つめなおすことが何より大事である。州都となったら栄えるとする考え方自体が中央集権的な呪縛から思想脱却していないのである。とは言え、高松は悲しいかな最も中央集権的恩恵に預かっていた地方都市であり、理想だけで思考を止める訳にはいかない。

  今後、人口規模だけを捉えれば松山市(圏域人口で言えば60万で松山と高松はほぼ同クラス)、行財政の中枢機能・多様な交通アクセスを捉えれば高松市、関西という大きな市場のゲートウェイとしては徳島市、更に、地理的な距離感や今後の行政効率だけを捉えればXハイウェーの結節点周辺となる。それ以外にも高知を始め、多くの市が手を上げる可能性はある。ただ、高松か松山と考えるのは大方の考えであろう。

 高松だけに議論を集中させて考えよう。高松が州都となった場合、既に四国の中枢機能を担っていることから、今まで以上にさほど大きくなるとは思えない。自然人口減と相殺する量が他地域から入ってくることと、関西・中国地方へ流れた物流拠点や支店が多少戻ってくることが予想され、しばらくは微増すると思われるが、劇的な変化はおきない。ただし、地域の都となることにより人口だけで判断できないメリットはいろいろと考えられる。逆に、四国州となり、松山市が州都となった場合、行政の中枢機能は松山へと堰を切って移動し始め、それにともない、現存する企業支店も移動する可能性がある。となれば、支店経済を背骨としていただけに高松は人口が激減した大打撃をモロに受けることになる。大きくなりすぎたまちを支える税収はなく、市内の地価は暴落し、人口が減ったことにより市場が縮小し、倒産や撤退をする企業が相次ぐ。残るのは、行財政の莫大な負債と、それを到底返すことができない地域から離脱できなかった人々。考えるだけでも恐ろしいことであるが、その地域の背骨がなくなったことにより同じような道を辿った企業や城下町などを見れば、絵空事ではない。一方、松山市は現在、支店経済を背骨としていないので、高松からの移転により人口が急増し、拠点性が高まる。高松はどちらを目指すべきか明々白々である。

  しかし、高松と松山という州都抗争を引き起こした場合の危険性を事前に避けるなら、四国全体の州としてのメリットだけを考えて、距離的・時間的に中心である四国中央市に行政機能を集約させ、財政・経済機能は今の県庁所在地で分割維持することもできる。この場合、高松が最も人口減少をこうむるが、松山が州都となり、行財政経済の全ての中枢を持っていく結果よりはマシという打算になろう。どちらにしても、現状段階で無用に譲歩の必要がないうえ、高松には州都を担うだけのインフラや拠点性などのすべてを備えている以上、目指すべきが四国州の州都であることは間違いない。
ただし、州都にだけ議論を広げるのは不毛である。大事なことは各々の都市の背骨をどうするかであり、州都であるかどうかでは本来はない。
その岐路に立つ今、それを選択するのは私たち四国、香川、高松の市民である。

<<4.合併後の高松CITY〜地域コンソーシアム
>>6.今後の社団法人高松青年会議所の5ヵ年の力点

▲このぺージのTOPへ

Copyrights(C)社団法人高松青年会議所 all rights reserved.