日本人の源流を探して

            第1部  最初の日本人の系譜

02.二重構造モデルに対する各方面からの支持と反論

埴原和郎は、二重構造モデルをタタキ台として提示した、と言う一方でこのモデルは、あらゆる関連する分野の学説を、最も無理なく説明できるモデルであるとも述べている。
 その代表的事例として、埴原は次の3点を挙げている。
 
 一つは家畜遺伝学の田名部雄一による日本犬のDNAの分析であり、いま一つは森脇和朗による日本産の野生ハツカネズミのDNA分析である。
 それらはいずれも、北海道と南西諸島のイヌやハツカネズミが東南アジア系で、本州のそれが北東アジア系の遺伝子を持つという、日本人集団とほとんど同じパターンを示す。
 二重構造モデルは人間ばかりでなく、人間の共生動物ともいえる日本犬や野生のハツカネズミの遺伝子分布にも当てはまるというわけである。

 埴原によれば
--縄文人の祖先にあたる集団が東南アジア系 の イヌを、そして渡来人たちが北東アジア系のイヌをつれて日本列島にやってきたのだろう。同時に、“招かれざる客”のような格好でハツカネズミも東南アジアや北東アジアから移動し、人間集団と似たような地域に分布するようになったのである。--と記述している。
   三つ目は、ウィルス学の日沼頼夫らの研究によるATL(Adult T-cell leukemia・・成人T細胞白血病)ウィルスの保有者の分布パターンも、二重構造モデルに相似するという。
 これから、それらの研究に実際に当ってみて、その当否を明らかにしたい。

  
日本犬のルーツ

  家畜学の田名部雄一は、日本犬種や日本周辺の犬種、さらに西洋犬などについて、87種類、3733頭から血液を採集し、27種類のタンパク質の遺伝子を調べた。
 その中の一つ、犬血球ヘモグロビン(Hb)型遺伝子の犬種別頻度についてみてみよう。
 
 右図の黒色のHbA型遺伝子は、日本犬を含

む東アジアのイヌのみに認められ、西アジアや

ヨーロッパのイヌには認められない。

 世界の犬はほとんどピンクのHbB型すなわ

ち田名部のいう南方型で、HbA型(北方型)の

犬はエスキモー犬と朝鮮の犬-珍島犬と済州島

犬-に限られているという。

 日本犬種では、山陰柴犬、対馬犬群、壱岐犬

群でHbA遺伝子頻度が高いが、他の日本犬種

では低く、北海道犬は最も低い。また、琉球犬

と西表島犬群では存在しなかった。
 
  中国に由来する犬やバングラデシュ在来犬 
   
にも、このHbA遺伝子は存在しなかった。最近の調査でサハリン北部の在来犬に75%の高率で存在していることが明らかになった。
 以上を総合すると、HbA遺伝子は東北アジアから由来した可能性があり、日本列島へは朝鮮半島経由でもたらされた。
 すなわち、当初、日本列島にはピンクのHbB遺伝子のイヌが分布していたところへ、朝鮮半島から黒のHbA遺伝子を持ったイヌが持ち込まれた。しかし、在来のHbB遺伝子のイヌの勢力が強かったために、HbA遺伝子の頻度は低く抑えられた。

 田名部は以上のように説明しているが、筆者には若干、疑問がある。
1)HbA遺伝子は、世界的には極めて例外的な遺伝子であり、犬はもともと殆どがHbB遺伝子であって、HbB遺伝子が南方型とは言えないのではないか。すなわち、HbB遺伝子をもったイヌを日本列島に連れてきたヒトが、南方のアジア人とは言えないのではないか。ロシア犬種もHbB遺伝子しか持たないのであるから、東北アジア人が連れてきたとしても十分ありえた事である。
2)87種類ものイヌを調べたというが、肝心

の朝鮮半島の主要在来犬、サブサリ(右の写

真)やプンサン犬は省かれている。

これらのイヌに、HbA遺伝子は確実に在る

のか、日本犬種でHbA遺伝子の頻度が低い

のは、実は数多く日本に持ち込まれたと思わ

れる朝鮮の主要犬のHbA遺伝子の頻度が低

いためではないか。
   
こうした疑問が湧いて来るのである。
 
 いずれにしろ、日本犬の二重構造論はデータが偏っており、且つ論拠があやふやであり、むしろ埴原の二重構造モデルから発想を得て、日本犬の二重性に、やや無理を承知で、目を向けた説のように筆者には感じられる。(日本犬のルーツについては、研究ノート03.に纏めているので、やや重複するが参照していただきたい。)

  日本の野生ハツカネズミ(マウス)

 哺乳動物遺伝学の森脇和郎が、日本産の野生ハツカネズミのミトコンドリアDNA配列を調べた結果では、本州の大部分に分布するマウスは北東アジア系だが、北海道・本州北部・南西諸島のマウスは東南アジア系ということが分かった。
 すなわち、野生のマウスも日本人と同じような南北逆転現象と二重構造を持っているという。ネズミは言うまでもなく人に寄生して行動している動物であるから、まさにヒトの二重構造モデルを立証しているといえる、と埴原は援用している。

 ミトコンドリアDNAで調べると、マウスには4種類の亜種(種として独立させるほど大きくはないが、変種とするには相違点の多い一群の生物に用いる)があるという。
 その4種類の亜種が世界的にどのように分布しているのか、日本列島にはどう分布しているのかを、次の図で確認していただきたい。

 世界の分布図から明らかなように、キャスタネウス亜種が南方に分布し、ムスクルス亜種と呼ばれるマウスが北方に分布している。これがおそらく野生集団の本来の生息域だと思われる。
 ところが不思議なことに、日本列島においては福島県郡山市から北に、南方系のキャスタネウス亜種が分布し、それ以外の地域、すなわち関東地方以南には北方系のムスクルス亜種が分布する。このような顕著な逆転現象が認められた。
 実はこの日本のマウスの不思議な逆転現象が判明した頃、時を同じくして、人類学の分野から埴原が、日本人の二重構造モデルを発表したのである。
 ヒトに付随して行動するマウスが、ヒトと同じような分布を示す、この極めて単純な相似関係が、お互いの説を互いに補強するということになったのである。

 しかし、事はそう簡単ではなかった。逆転現象や二重構造出現の“時期”が、ヒトとマウスでは違う可能性が強いのである。
 後から日本に流入して二重構造を形成したムスクルス亜種の渡来が、弥生時代以降古墳時代であったことに、異論はあまりない。
 しかし、そのまえに基層集団となったキャスタネウス亜種の渡来時期は、旧石器時代乃至縄文草創期、陸稲を伴った雑穀が流入した縄文初期〜中期、水稲が伝播した弥生早期前後といろいろな時期が考えられる。
 マウスは習性として“穀物を持ったヒト”にしか付随して移動しない動物であるので、いわゆる“最初の日本人”に附いて、旧石器時代ないし縄文草創期にキャスタネウス亜種が渡来した可能性はほとんど考えられない。“最初の日本人”は穀物など持ち合わせなかったに違いないからである。(事実、アメリカ先住民にアジアからマウスが付いて行った形跡はない。)
 
 また、キャスタネウス亜種もムスクルス亜種も日本のものは、それぞれのグループ内におけるミトコンドリアDNAの変異が非常に小さい、という。
 変異が少ないということは、両亜種が日本列島に渡来してからの期間が比較的短いか、ないしは、渡来時の集団規模が、比較的小さかったということを意味する。
 従って、日本への渡来時期がヒトのように数万年前という桁の古い時代に移動してきたとは考えにくい。おそらく数千年前ないし数百年前に、比較的小さな集団として移動して来た後、日本で繁殖したものであろうと、考えられるという。

 このように見てくると、南北逆転現象という二重構造の形こそ似ているものの、その形成時期はどうもヒトとは異なるようであり、この日本の野生マウスの二重構造も、埴原が期待するほど日本人のそれと相似しているとは断定できないようである。(野生マウスについては、研究ノート04. に纏めているので、やや重複するが参照していただきたい。)

  ATLウィルス・キャリア

 ウィルス学の日沼頼夫らの研究によると、ATLウィルスの保有者はアイヌ系や南部九州、奄美、沖縄地方の人々に比較的多く、その他の地方すなわち本州地域は少ない。
 日沼は日本人をATL保有者群と非保有者群とに分け、前者が縄文系、後者が渡来系の
集団に相当し、渡来系が本州で勢力を広げる一方、縄文系は北海道や九州南部から南西諸島など周辺に、追いやられたのではないかと考えている。
 と埴原は紹介している。これも二重構造モデルを裏付けるというわけである。

 ATLウィルスというのは、1981年日沼頼夫によって発見された成人T細胞白血病の病原となるウィルス(一般にHTLV-1と呼ばれている)である。そして、そのATLウィルスの感染者ではあるが、発病に到っていない人たちのことを“キャリア”という。
 そのキャリアの世界的分布は、日沼の論文から拾うと次図のようになる。(この図は、地域だけを示し、頻度は表現していないことに留意願いたい。)

 その分布は5大陸にまたがり、ラップ人を白人種とするとアボリジニをオーストラロイドとして4人種、全体に及ぶことになる。しかもキャリアの人々は、ほとんどが“先住民”と呼ばれている、いわば古形に属するタイプの人たちである。
 これらのことから推測されることは、このウィルスは、現生人類がアフリカ東海岸で形成されたそのときには、すでに感染していた可能性が強いということである。それは、人間のATLウィルスによく似ているが別種のウィルスが、アジアやアフリカの猿、それも地上生棲のサルから見出されることと関連するのかもしれない。
(丁度いま、鳥インフルエンザ・ウィルスがヒトの新インフルエンザ・ウィルスに、変身する危険性が強く指摘されているが、同じようなことが10数万年前、サルのATLウィルスとヒトとの間で起こっていたとしても不思議ではない。)

 次に、日本付近のキャリアの分布が次の図である。
     これを見ると、まず大陸にはキャリアはいない。既に消滅したらしい。
(ATLウィルスの感染経路は、母子感染が主である。母乳から感染するのだが、感染率は50%以下だといわれる。従って、消滅ということが起こりうる。)
 日本では、北海道のアイヌと琉球人や九州地方、日本列島の島嶼や沿岸部で分布が濃厚である。
 ATLウィルスのこのような分布から、 
日沼によれば、旧石器時代以来、北方ユーラシアの古モンゴロイドの間に広く感染し、縄文時代以前の日本列島にもこれらキャリアの人々が住みついていた。その後稲作文化の伝来と共にATLウィルスが既に消滅した地域の中国や朝鮮半島から新モンゴロイドの人たちが大勢移住してきた。
 そのため日本列島中心部ではキャリアの割合が薄められ、ついには殆んどいなくなった。その結果、列島の南と北の端や混血の少なかった離島に、すなわち直系の縄文人がキャリア集団として残ることになった、というのである。

 日沼の見解はATLウィルスキャリアの分布によって、見事に日本人の二重構造を説明しているように感じる。
 しかし、埴原の二重構造モデルは、次の二つの柱によって成り立っている。
 ひとつは、日本人の起源は南方の原アジア人である。
 いまひとつは、縄文人という基層集団に、覆い被さる様に弥生・古墳人集団が渡来し、本土日本人と縄文以来のアイヌ民族・琉球人という二重構造を作った。
 というものである。

 このように整理したうえで日沼の見解をみると、二重構造部分についてはうまく説明されているが、日本人の南方起源の方は、この説明では必ずしも明確ではない。なにしろ現生人類全てが、過ってはATLウィルスキャリアであったはずだから・・・。

 以上、01.項およびこの02.項が、埴原和郎が「日本人の骨とルーツ」(角川書店)で説明している「二重構造モデル」の概要と援用した他分野の学説(筆者の感想や反論も併記した)である。
 この現在最もポピュラーな学説をベース(基礎知識)として、以下「日本人の源流を探す」旅に出ることとしたい。