弥生時代の古代人たちは、冬場の食料難を乗り切るため、コイ養殖をしていたらしい。十八日付本紙夕刊に紹介されていた。
滋賀県立琵琶湖博物館などが、愛知県の環濠(かんごう)集落・朝日遺跡から出土したコイの咽頭(いんとう)歯の化石を調べたところ、体長五―十五センチの幼魚と体長三十五―四十五センチの産卵期の成魚の二グループに分かれた。
自然の水域で幼魚だけが捕れることはあり得ないので、養殖魚だった可能性が高いという結論である。水田などに放した成魚が産卵し、幼魚が増えたのが原始的な養殖の始まりと考えられるという。厳しい生存競争で生まれた生活の知恵だろう。
田んぼの水位を制御する稲作技術を応用し、養殖池の水を抜いてコイを一挙に捕る方法が生まれたようだ。弥生人は食べるための家畜をほとんど飼っていなかったが、魚は例外だ。
兼好法師は、コイは尊貴な魚であると記している。川をさかのぼり竜になる中国の伝説の影響に加え、都では最もポピュラーで、美味だったことなどが背景にある。江戸時代には洗い、こいこくなどの料理が有名だ。
弥生人はどうやって食べていたのか。琵琶湖博物館は、乾燥させて保存食にしたのだろうと説明している。少し離れた場所から養殖跡が見つかる可能性も十分ある。今後の調査に期待したい。