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│<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く |Jan 30, 2007
▼ こりゃあ、面白い。 一気に読んだ。 ▼ なによりも、さりげないながら、平山洋『福沢諭吉の真実』(文春新書)で展開された、「福沢は古典的自由主義者で、侵略主義者福沢諭吉像は、昭和版全集編集者、石河幹明が全集時に混入させた論説によるものなのだ」への、搦め手からの痛烈な皮肉になっている。 平山洋の詐術?については、安川寿之輔が徹底的に再批判しているらしいので、そっちを読んでもらうのが早い(私は未読)。 しかし、こっちもなかなか。 これまで、「思想」しか語られてこなかった、福沢諭吉本人の「人品」「品格」を問うているのだ。 ▼ すわ、福沢諭吉とは何ものか。 ▼ そもそも福沢諭吉は、同時代、平山洋の言うような自由主義者、として批判されることは少ない。 むしろ、思想的なものよりも、拝金主義者、ほら吹き、無節操、変節漢といった人格批判こそ、福沢批判のメインストリームだったのだ。 貧窮の下級武士生まれ。 様々な内職をおこない、徹底的に金銭にこだわり、一族などに幻想を抱くなと説教する、福沢諭吉。 幕末期に開国の利益をとくために執筆した「唐人往来」は、神田孝平の議論を移し替えただけに過ぎない。 しかし、老婆にも分かりやすく伝えようとする姿こそ、かれの明治期の時代の需要に応える啓蒙書執筆、海賊版版本の摘発につながっていくのだという。 かれは、出版を営利事業化して、拝金主義を自ら実演することで、人々の意識改革をせまっていた。 そのため福沢は、しばしば明治の拝金主義を批判するが、説得力に乏しい。 お前こそ教祖的位置だろ、と内村鑑三に批判される始末だ。 ▼ かれの立身出世は、外国語の原書を盗写(無断筆写)して、緒方洪庵の食客になることから始まった。 福沢は、目的のために手段を選ばない。 彼は、幕末、小野友五郎の使節団の一員として随行してアメリカに渡りながら、本を買う副業に没頭して、なんの役にも立たない。 公金を盗まれるわ、自分の買った本を公金で輸送(「公金私用」)するわ、「手数料請求」して幕府の怒りを買うわ。 挙げ句の果て、彼は蟄居謹慎させられたという。 幕府を倒してしまえ、なんて嘯きながら、幕府から金をもらい、何の活動もおこさないばかりか、幕府に忠勤を励む。 上野戦争の時は、彼は幕府崩壊を尻目に、日課通り講述をおこなっているが、それも幕府崩壊の時は、アメリカ大使館の庇護を受けるための「証明書」をもらい受け、小幡甚三郎に「日本人が外国人の庇護を求めるくらいなら、日本人に殺されろ!」と徹底的な批判を受けたために過ぎなかったらしい。 暗殺を怖れ、ももひきで町中をあるく姿は、なかなか滑稽でユーモラスである。 ▼ 福沢諭吉は、大阪人を「気品」がないとこき下ろしただけではない(そんな大阪に、慶応大が進出する日がこようとは…)。 かれのアジア認識は、幕末から一貫して、アジア人蔑視であるという。1882年『時事新報社説』「圧制もまた愉快なるかな」において、高値をふっかけた中国人商人を船から追い出したイギリス人に彼は憧れる。 かれは、国威を輝かせ、「ひとり圧制を世界中に専らにせん」と希う… 。 ▼ しかも、『唐人往来』『学問のすすめ』の頃から、福沢は西洋人を「同じ人間」といい友好関係を求めながら、なぜか支那には「国の分限を知らない」「道理を知らない」と批判し続ける。 アヘン戦争も、悪いのは清朝。 平山洋の本を読んで信じた人は、ほとんど詐欺にあったようなものだろう。 これが侵略鼓吹、アジア蔑視でなくて、何だって言うんだ? 福沢の同時代人で、『学商 福沢諭吉』を著した同時代人、渡辺修二郎の福沢批判は、要をえて余すところがない。 福沢諭吉とは、「強者に屈するを以て、自ら智者なり先見者なりと信ず」人間にすぎない、と。 ▼ かくも、「アジアには居丈高だけど西欧諸国には向こうを張る勇気がない」(BY 内村鑑三)福沢だけど、豚を殺す自らを穢多にたとえ、洋学者=賤民説をとなえるなど、身分制そのものをあからさまに否定する気概も感じられて良い。 大胆にして慎重。 かれは、変節漢とされるが、「脱亜入欧イデオロギー」に関しては、幕末から一貫していた。 福沢は、「品格」を強調したものの、彼自身の「品格」を誇らないばかりか、露悪趣味的な所もあったらしい。 彼の家族観が「近代的」そのものであることが強調されているだけではない。 幕末期以降のアジア蔑視も、かれが幕臣として「開国」の正当化を行わなければならなかった国内事情によるもの、入欧のストレスを脱亜で発散させようとしたもののではないか?と、筆者はどこまでも福沢に暖かい。 とくに、彼の作り出した、通俗にして平易な文体を高く評価する、筆者の福沢理解は、対象を突き放していてかなり好感がもてる。 ▼ なによりも驚かされることは、福沢諭吉研究は、慶応関係者を中心に福沢礼賛論しかない状況で、福沢批判者は服部之聡・安川寿之輔・丸谷嘉徳くらいしか見あたらない、ということであろうか。 平山洋『福沢諭吉の真実』(彼も慶応関係者)は、そんな福沢礼賛論の最も極端なもの、という指摘には衝撃を受けざるをえまい。 平山洋は、「福沢=侵略主義者」とする研究ばかりかのように言い立て、「石河幹明こそ犯人」とすることで、マスコミの寵児となった。 しかし、その研究史は、平山洋のような礼賛者ばかりというのが現実であって、平山洋こそ研究史の偽造「歴史犯罪」を犯しているのではないか。 実は、安川寿之輔の方が斬新な提起で(彼以前、福沢の侵略性を批判した人物は、服部の簡評しかない)、平山洋の方が陳腐なのである。 井田メソッドは、井田の開発したモノであることを考えると、彼の独自性など、どれくらいあるのだろうか。 こんなこと、研究の現場に居合わせて、当事者ではない第3者が書いてくれないと、なかなか分からないものだ。 ▼ さらに驚くべきは、「公金盗難」「公金私用」「手数料請求」の悪行を働いた、小野友五郎使節団での一件であろうか。 福沢ですら自己の不明を反省しているというのに、慶応関係の研究者たちは、小野友五郎のことを「官僚的人物」(石河幹明)を手はじめに、こき下ろしまくっているのだ。 はっきりいって、慶応関係者の福沢崇拝は、見ていて気持ち悪いことおびただしい。 ▼ この本を読めば、「なぜ、全集に石河幹明の論説が交じっていることに、誰も気づかなかったのか」などと大仰に問う、平山氏の設問そのものがヘソで茶釜がわく茶番劇にすぎないだろう。 そんなこと、平山洋たち慶応関係者が、福沢信者で目を塞いでいたことが原因、に決まっている(笑)。 丸山や服部のような「先学」が、なんて言っているが、責任を押しつけるとは、責任転嫁も甚だしい。 だいたい、丸山も富田も、「石河幹明が交じっていることに気づいたとしても、福沢諭吉がアジア蔑視・侵略鼓吹者の一面をもつことについては反論できるはずがない」から、福沢=アジア侵略の鼓吹者とする議論に反論しなかったのではないだろうか。 ▼ 亀は甲羅にあわせて穴を掘る、という。 福沢諭吉は、偉大な啓蒙者であると、同時にアジア蔑視・アジア侵略礼賛者であった。 思想家であると同時に、「時局思想家」でもあった。 後者を切り捨て、前者のみで描いた福沢諭吉像は、平山洋の小さな器に大人物福沢を押し込めようとする、「思想犯罪」そのもの、と言えるのではないか、といいたくなってくる。 ▼ 平山洋も、自分のHPで、安川寿之輔『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』にコソコソ「注」という名の姑息な反論をおこなうマネをしている。 どうどうと、反論したらどうか。 はっきりいって、安川の本を読んでない人間にすれば、そんな反論が全体としてどのような意味があるのか、はなはだ不明であって、平山洋の人間の姑息っぷりしか感じられない。 安川は、平山の本に対して、著書を刊行することで反論した。 平山も、マスコミの寵児になったんだから、そうすりゃいいのにねえ、とおもってしまう。 ▼ ただ、ここまで面白いよと書いていながら、若干、評価を低く付けたのは、理由がある。 さすがに、『福沢諭吉の真実』に興味がある人ならいざしらず、福沢諭吉の「品格」「人格」など、普通の人ならあまり知りたいとも思わないだろう。 ▼ 著者にはご容赦いただきたい。 評価 ★★★☆ 価格: ¥ 819 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 参考 この記事のトラックバックURL:
http://tb.plaza.rakuten.co.jp/boushiyak/diary/200701300000/42c62/
『福沢諭吉の真実』の作者です。拙著をお取り上げくださったこと、たいへん感謝します。
安川寿之輔氏のご著書を読んでいないにしては、その内容をよくご存知であることに、感心いたしました。 私の「『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』の逐語的註」をお読みになりたいかたは、下のリンク先をご覧ください。 http://blechmusik.xrea.jp/d/hirayama/h29/ (Feb 5, 2007 12:11:07 PM)
ここ数日、プリントアウトした「大正版福沢全集社説一覧」と「演説一覧」 と、現行版福沢全集「時事新報論集」、それに安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識』、平山洋『福沢諭吉の真実』を参照して、平山・古井戸論争 で、どちらの主張が妥当かについて考えてきた。
まず結論から。状況証拠からは、平山が圧倒的に優勢、である。 「大正版社説」には、朝鮮領有や中国分割に触れている社説が1編も含 まれていない。収録されている社説で朝鮮を扱ったものはすべて、独立支援に関するものである。中国分割を提唱したものもない。台湾割譲を テーマとしたものもない。まさか、これほどハッキリしているとは! 念のため、安川が『アジア認識』資料篇で、「蔑視」としていた、「時事新報論集」分66例(『真実』170頁参照)にあたってみた。うち大正版所収社 説は、次の4例だけだ。 14番「東洋の政略果たして如何せん」(1882年12月)波多野執筆推定、 ただし福沢の草稿あり 51番「前途春如梅」(1885年1月)中上川執筆推定 191番「軍資の義捐を祈る」(1894年8月)石河執筆推定 202番「朝鮮問題」(1895年6月)石河執筆推定 まあ、原稿が残っているのに波多野執筆とされている14番がご愛嬌で、これなぞが米原謙によって指摘されている平山による身びいきなのかも しれない。とはいえ、平山の判定を無視しても、現行版66例の蔑視表現 中、大正版が4例、昭和版が62例というのは、収録全編数大正版224編昭和版1246編からみても、有意の差であると思う。 試みに出現率を出すと、大正版は4/224で、1.8%、昭和版は62/1246で5.0%である。出現率は2.8倍昭和版が多い。(平山の起筆者推定を信じるなら大正版では皆無となる。) (Feb 14, 2007 07:41:09 AM)
春秋子さんは、この論文にムキになって反論していたんですね。
原田実「捏造された福沢諭吉像ー今も進行する『東日流外三郡誌』汚染」 http://www8.ocn.ne.jp/~douji/yukichi.htm (Feb 16, 2007 08:37:38 AM)
平山洋さん、こんにちわ。
>安川寿之輔氏のご著書を読んでいないにしては、その内容をよくご存知であることに、感心いたしました。 返信が遅れ大変失礼いたしました。備忘録に来ていただいて恐縮です。高校時代に福沢諭吉がどんどん変貌して、死ぬ直前には女性蔑視主義者になっていることを教えられました。カレの最初の著書を古本屋で手に入れ、たぶんこの本が出典なんだろうなあ、と思った次第です。はい。 >私の「『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』の逐語的註」をお読みになりたいかたは、下のリンク先をご覧ください。 コソコソこんなことするより、バーンと反論論文だした方がいいと思いますけどね。黙って耐えて、本一冊書いた安川さんの方に誠実さを感じますな。 ネット屑拾いさん、こんにちわ。 >「大正版社説」には、朝鮮領有や中国分割に触れている社説が1編も含 まれていない。収録されている社説で朝鮮を扱ったものはすべて、独立支援に関するものである。中国分割を提唱したものもない。台湾割譲を テーマとしたものもない。まさか、これほどハッキリしているとは! まー、平山さんの本は、わたしも読んだとき感動した口ですんで、申し上げておきますと、福沢諭吉はA「侵略」だけが問題じゃなく、B徳富蘇峰(米原謙)のように民権から国権へ転換したのではないかという問題系で議論するには、C1890年代時事新報社説のみを否定した所でどうにもなるはずがなく、Dそもそも、平山氏も指摘されているように、福沢の意を体していたが故に、石河幹明の記事に手を入れる必要がなかったことは排除できないのですな。 >卑弥呼さん >春秋子さんは、この論文にムキになって反論していたんですね。 誰ですか、そいつ(Feb 19, 2007 10:50:39 AM)
春秋子さま
誠実なご回答に感謝します。 >コソコソこんなことするより、バーンと反論論文だした方がいいと思いますけどね。 コソコソなんかしていませんよ。「逐語的註」は全世界に向けて、24時間公開されているのですから。安川寿之輔著『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』(2006年7月・高文研刊)をお読みになる場合の、最良のガイドになると思います。 それから、全般的な誤解についてです。福沢の「国権」とは「国力」を意味します。福沢は領土の拡大によってではなく、経済力を強化することによって、それを実現しようとしたのです。 福沢が『時事新報』の社説を石河幹明に譲ったのは、明治25(1892)年春と私は考えますが、それ以後福沢が立案したと証明できる論説に、領土拡大の意欲やアジア蔑視など見出しがたいのです。同時期の署名著作に問題がないことは、安川氏のリストからもはっきりしています。 現行版全集所収の無署名論説は、うち224編が大正14(1925)年頃、1246編が昭和8(1933)年頃に、時事新報バックナンバーから採録されたものです。 この中には、石河が、福沢とは無関係に書いた論説が多数含まれている、と考えております。それらをどうやって区別するのか、なかなか難しいことです。とはいえ、候補者は最大4名(福沢と社説記者3名)なのですから、誰が下書きを書いたか、までは判定できると確信しております。 ただ、そもそも、福沢自身が自分の文章だとも何とも言っていない論説こそが、福沢諭吉の正体だ、などと主張するほうが、よほどどうかしている、ということだけは言える、と思っております。 (Feb 19, 2007 01:49:26 PM)
平山 洋 様、こんばんわ。
こちらこそ、失礼いたしました。 >コソコソなんかしていませんよ。「逐語的註」は全世界に向けて、24時間公開されているのですから。安川寿之輔著『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』(2006年7月・高文研刊)をお読みになる場合の、最良のガイドになると思います。 誤解を招いたと思いますので詳しく書きますと、他人の本に「逐語注」なる批判の仕方は、失礼・姑息に感じさせるし、フェアと思われないのではありませんか、と訊ねたのです。ちなみにその書は手元にありませんから、一読しても何のことか分かりませんでしたし、一読すれば逆に「安川はキチンと反論しているのになんだ?」と思われるのではありませんか、と言ったのです。感じないのならば、「コソコソ」と書いたことについて引っ込めましょう。所詮、私の美意識の問題にすぎませんから。 全般的に、趣旨は『真実』に書かれていることで理解している、と思うのですが、一点だけ。 >ただ、そもそも、福沢自身が自分の文章だとも何とも言っていない論説こそが、福沢諭吉の正体だ、などと主張するほうが、よほどどうかしている、ということだけは言える、と思っております。 現代の福沢論は、「自分の文章」と福沢が認めているものを中心として組み立てられているからこそ、「礼賛論」ばかりなのではありませんか。 一般には、安川説こそ「異端」「新しい視角」であることを言わず、なにやら福沢は侵略者が通説のように思わせる研究史の整理の仕方はいただけません。(Feb 21, 2007 07:58:34 PM)
春秋子さま
回答に感謝します。 >他人の本に「逐語注」なる批判の仕方は、失礼・姑息に感じさせるし、フェアと思われないのではありませんか、と訊ねたのです。 私は自著に関する部分にしか注記しておりません。該本読者が誤解されることのないように、です。 >「コソコソ」と書いたことについて引っ込めましょう。所詮、私の美意識の問題にすぎませんから。 美意識のことですので、もちろん引っ込める必要などはありません。 >現代の福沢論は、「自分の文章」と福沢が認めているものを中心として組み立てられているからこそ、「礼賛論」ばかりなのではありませんか。 つまり春秋子さんも、福沢の署名著作(現行版全集第7巻まで)に問題はない、とお考えなのですね。 8巻から16巻までの無署名論説は、石河幹明が新聞紙面から選び、しかも多くは石河が自分で書いた、と「付記」しているものなのです(拙著75頁参照)。 >一般には、安川説こそ「異端」「新しい視角」であることを言わず、なにやら福沢は侵略者が通説のように思わせる研究史の整理の仕方はいただけません。 私は、市民的自由主義と侵略的絶対主義の両方の見解がある、と書いているのです(拙著227頁参照)。 (Feb 22, 2007 01:31:29 PM)
平山 洋さん、こんばんわ。
遅くなって済みません。 >美意識のことですので、もちろん引っ込める必要などはありません。 ありがとうございます。 >私は、市民的自由主義と侵略的絶対主義の両方の見解がある、と書いているのです(拙著227頁参照) これでは、丸山の方が通説であることが分からないと思いますが。安川氏の執拗な批判のモチベーションが分からなくなってしまうでしょう。 >つまり春秋子さんも、福沢の署名著作(現行版全集第7巻まで)に問題はない、とお考えなのですね。 これについては、「分かんない」「あまり深入りしてはならないのではないか」というのが正直な感想です。 もともと「○○とは何か」という設問自体が、本質主義的な議題設問で、あまり好ましいものとも思えません。福沢とは、市民的自由主義者なのか、アジア蔑視主義者・侵略主義者なのか。7巻までに限定すれば、後者の言説が減り、「もやもや」が随分晴れたことは、確かででしょう。師の考えをまるで正反対にして、石河が師を顕彰しようと考えたのかともども、「もやもや」「曖昧」な部分が残るでしょう。 >よろしかったらご一読ください。 長年の謎がとけたと思ったのに、安川氏も残念ですね。お気の毒だと思いました。(Feb 23, 2007 11:55:05 PM)
春秋子さん
返信遅れて申し訳ございません。 >これでは、丸山の方が通説であることが分からないと思いますが。 丸山説は通説ではないですよ。70年代以降は批判派が急速に伸張し、拙著の出る直前にはほぼ拮抗していた、と思います。 >福沢とは、市民的自由主義者なのか、アジア蔑視主義者・侵略主義者なのか。7巻までに限定すれば、後者の言説が減り、「もやもや」が随分晴れたことは、確かででしょう。師の考えをまるで正反対にして、石河が師を顕彰しようと考えたのかともども、「もやもや」「曖昧」な部分が残るでしょう。 もし、石河が1892年以降も福沢の言いなりであったとしたら、アジア蔑視の侵略論と見なされるような社説は、そもそも紙面に掲載できなかったのではないでしょうか。 本エントリが扱っている『知られざる福沢諭吉』にも明らかなように、福沢存命中の福沢批判は、彼の金儲主義にありました。私はその批判は、福沢の市民的自由主義への誤解によると考えます。 それより注目すべきは、福沢は生きているうちに、誰からも、侵略主義者(国家膨張主義者)とは見なされていなかった、ということの方なのです。 「福沢諭吉は、偉大な啓蒙者であると、同時にアジア蔑視・アジア侵略礼賛者であった。 思想家であると同時に、「時局思想家」でもあった」(エントリ本文より)という春秋子さんの考えは、服部之総・遠山茂樹・安川寿之輔らマルクス主義者の歴史観に依拠しています。 しかし私は、彼らが規定する、「近代化論者(市民的自由主義者)ならば帝国主義者(侵略的絶対主義者)である」の、「ならば」の部分が問題で、前項と後項の結びつきは、必然ではない、と思うのです。 (Feb 26, 2007 02:12:55 PM) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |