相変わらず、法医学は臨床医から嫌われているようだ。
学部長から聞いた話だが、法医学会から全国医学部長会議に対して法医学者の確保についての要望書が出されたらしい。しかし、これに対して、ある外科系出身の医学部長から、「あいつらは何の役にも立たない」とか、「法医学者より、病理学者のほうがましなんだから、法医学などなくしてしまえ」などとの、聞くに堪えないような声が出され、他の学部長がほとんど抗弁できなかったようなので、要望書は無視されるのではないかとのことだった。まあ、法医学だけでなく、他の科も人手不足である中で、KYな要望書だと誤解された可能性もある。確かに、もはや大学や文部省に法医学の人材を増やせというのは、無理があるのかもしれない。しかし、一枚の要望書に対して、そこまで批判されるのも異常な感じだ。
法医学や社会医学とは何かということを知らない臨床医が多いのは事実だろう。というか、日本の医学教育では、人を治すとは、薬と手術で治すことでしかないような教育を施しているような気がする。私は、子供時代に大学病院に長期入院をした経験があるが、そこでは医師から特に病気を治してもらったという印象は持てなかったし(病気は自然治癒)、むしろ、その時、子供ながら、医師による個々の治療行為は、時によっては苦痛そのものであるし、人の心までをどうにもできないものであることも悟った。薬や手術だけで、人は豊かになるものではないだろう。一方で、医学とは、大変広い概念の学問領域であり、手術や薬だけで人の身体や精神の健康を守ることが本来の医学ではないはずで、法や社会を変えることで、人を治すという概念も、医学の一部であるはずだ。それが、法医学などの社会医学の役割である。
刃物を用いて手術をするという医療行為は、中でも一番度胸の試される医療行為であり、場合によっては自己暗示・自己陶酔に陥らねば実施できないほどのストレスのかかるものである。そうしたストレスを日々感じている外科系医師の中には、我こそは真の医師と思わなければ、仕事のモチベーションを失いかねない方もいて、もともと他科に対して批判的な方が多いように感じる。その中で、特に法医学は、生きたものでなく、死んだものを多く見るので、最悪の評価を受けやすいのかもしれない。しかも日本法医学会の異状死ガイドラインのせいで、医師が逮捕されたとの言説を盲信する者もいて、激しく法医学会を批判する者もいる。
法医学は、彼らと同じ医学部内にいながら、遺族側でも医師側でもなく中立であろうとしているわけで、そうした当てにならない第三者的態度をとる、自称医師と思えてならないものにたいして、医療事故の当事者がイラつくのは理解はできる。一方で、腹が立つのは、法曹関係者や政府でもある。法医学は、国民の安全や安心、権利維持のために、異状死ガイドラインをはじめ、嫌われ役をあえて買っている面がある。それを全くバックアップしようともせず、放置が続いている。これでは本当に法医学は日本の医学から抹殺されてしまうかもしれない。その中で、日本は一体何を得て、何を失うのだろうか。
我々法医学者にしても、自分にとって、感染の危険が高く、時間もかかり、ストレスもかかるような法医解剖など、明日国民からやめていいと言われれば喜んで止めたいと思っている。また、死因診断をいい加減にしていいと、国民や政府が認めてくれるなら、明日からでも、死因診断は全部肉眼のみの検視やCTだけで終わってしまいたいとも思っている。我々が、なぜ、自分にとって危険な解剖を続けるかといえば、正確な死因は解剖によってしかわからないことが経験上多く、また、裁判では解剖なしでの証拠保全がされては、当事者の権利が守られないであろうことを誰よりも理解しているためである。自分たちの仕事が、そうしたところで役に立てていると思うから、なんとか仕事を続けているわけだが、このまま法曹界や、政府が放置を続け、解剖などあほくさいからやめたほうがいいと割り切らせていただけるなら、私自身も、解剖などやめてしまって、他の好きな研究でもやったほうがよほど楽しく生きられるだろうなと思う。
別の臨床系の教授とは地域医療の崩壊についての話をした。聞けば聞くほど、医療崩壊の原因として、訴訟リスクがあるというのが、理解できなくもなる。少なくとも、私の大学のある地域では、研修必須化で、各大学医局にプールされる若手医師がいなくなってしまい、地域病院に派遣できる医師がいなくなってしまったことが医療崩壊の最大の原因であるようだ。話の中では、訴訟リスクという言葉はメインにならない。しかし、マスコミ上、医療崩壊と訴訟リスクが並べられる背景には、この数年間で、発生した大野病院事件や地域医療崩壊の問題が整理されずに議論され、なんでもいいから、訴訟リスクや医師不足の解消に結び付けようとした論理展開があったからのように感じる。この点、もう一度、整理して議論したほうがよさそうだ。各大学の医学部は、医師不足解消のため、入学者定員を増やすことになった。しかし、なぜ地域医療が崩壊したのか正確な原因究明と、対策なしでは、地域医療の崩壊など解消できないだろう。そもそも、10年前まで各地域で地域医療をしていた勤務医は一体どこへ消えたのか、各説あるようではあるが、今だにはっきりとは、わかっていないようだ。
医療行為の刑事免責を求める医師の意見として、「薬物の誤投与などの簡単なミスも、刑事免責されるべきだ。なぜなら、システム上医師は否が応でも激務を強いられており、その中で疲れてしまって単純ミスを犯しているからだ」との声がある。この意見の内容自体は、ウソではなく、本当のことだと思う。これは、ある倒産寸前の運送会社が、経営難から無理な配送をトラック運転手に強いており、8時間労働も守らなければ、通常は時速40kmで走るべき道路を、80km出させ、結果的に事故が起きることに似た現象である。このような交通事故が起きた場合でも、日本ではドライバー個人の責任にされるが、その後、労働組合側が、会社や政府を相手に、労働条件の改善を求める運動を始めるだろう。一方で、医療事故や訴訟リスクに関しては、病院側に労働条件の改善を求めてアクションを起こす医師もいらっしゃるが、まだまだ、それが本流として認められていないように感じる。むしろ、聞こえてくるのは、刑事免責への期待だとか、法医学に対するバッシングである。こうした点も、医学部内での人権教育の欠如を感じざるをえないし、法医学をはじめとする社会医学教育の軽視が背景にあるように感じざるをえない。
法医学会の批判をした、外科系出身学部長の先生も、ある意味、真の意味での人権意識が不足しているのではなかろうか。学部長たるもの、一体何が、今の医学会、医療界の混迷を呼んだのか、謙虚に考えていただきたいものである。否、そうした学部長までが、システム的に、精神的にも疲弊しているか、あるいは、これまでの官僚的なシステムにどっぷりつかってしまっていて、医学を教育する立場を忘れてしまっているのかもしれない。そうであるとすれば、そうしたこと自体が国民にとっての不幸であるように感じる。
|
私は病理医なので敢えて書きますが、全国医学部長会議に法医学者の確保を要望したのは、今のご時世では確かにKYだったかもしれません。医療崩壊が「一部で」叫ばれている中、多くの国民にその認識がないようにも見えます。法医や病理も崩壊しそうだと一部にせよ同僚に危機感を覚えてもらわないと、あるいは崩壊して第三者が多数困らないと、改善の見込みはないですよ。アメリカのドラマなんか見ていると私は法医っておもしろいなと素直に感じます。そういう人もいるので、要望を出すなら医師教育を舵取りする方や法医を利用する立場の人たちに出すべきだったように感じます。
2008/9/21(日) 午前 10:54 [ generation_nexus_6_2008 ]
この記事のももちゃんさん達法医学に携わる方々の心の辛い叫びが伝わりました
みんな死は終わりではなく物事のまだ途中なのに…
それが実感しずらいから重要視されないのがつらいですね
しかし 私も実際に子供があんな形で亡くならなければ 理解できなかったかもしれません
2008/9/21(日) 午前 10:57
医学部長に頼んだところで、予算が増額されない限り法医学教室の定員が増えるわけでもなく、あまり意味がなかったかもしれません。近年、医療関連死で遺族が病理解剖を拒否して、司法解剖を頼む事例が増えてきています。法医学者がいなくなると正当な医療行為をしていても遺族が納得できない場合は臨床医が警察で取調べを受けることが増えることになるのではないでしょうか。
2008/9/21(日) 午後 3:44 [ kain ]
ある家庭の主人(臨床医)が稼ぎ頭は俺なんだから家(面倒臭い)のことは母ちゃんの仕事(法医)だ、と言い、いざ母ちゃんが離婚や不幸でいなくなると家は散らかりまくるわ、家の中はギクシャクするわで母ちゃんのありがたみがわかる。そんなことになんとなく似てるような気もします。
この前田舎の葬儀屋さんをやっている人に医療ミスなんてあるのかどうか聞いたら、そんなのドラマの見すぎって笑われました。
都市部に医師を目指す若者が集中しすぎて地方の人材不足が深刻なのが実態だと思います。
この前の銚子市立病院の診療休止のニュースを見ると、地方の医療費に補助が出せない都市が一番医師不足が深刻なんでしょうね。
2008/9/21(日) 午後 5:46 [ うぃん ]