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世界を拓く 東海の技
【東南アジア編】
(33)ベトナム/金属切削工具
2007年12月02日
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現地従業員(手前)の作業を見守るナステック・ベトナムの杉村社長=ベトナム・ビンズン省で |
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スピード生産された製品は、日本への出荷ルートごとに分けられたかごに入れられる=ベトナム・ビンズン省で |
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【金属切削工具】習熟に応じ手当や休暇
●速攻生産 熟練工が支え
「大至急」。そんな日本語のメモが付いた注文書が、ベトナム・ホーチミン市近郊の工場内にはられている。とはいえ、作業するのはベトナム人の従業員たち。ドリルなど金属切削工具製造のナステック(名古屋市)がビンズン省にもつ工場での作業風景だ。
午前中に日本で受けた注文は、ベトナム工場にファクスで送られ、すぐに生産に入る。少数でも、大量の注文でも、その日の夜には工場からホーチミンの空港に送り出すというスピード生産で応じる。余分な在庫を抱えないで済むことから、発注者側のメリットも大きい。
今年5月、名古屋市の本社から、ベトナム工場に緊急の注文が舞い込んだ。日本の総合重機メーカーが、米ボーイング社の次期主力旅客機の主翼をつくるために必要なドリルを急ぎで発注したのだ。1種類だったが50〜100本単位での注文が約1週間続き、工場をフル稼働させて乗り切った。計画生産主流の大手にはない強みだ。
「スピード納期と成長し続ける技術力こそ、うちの財産。10日先の注文は入っていないが、1日たりとも仕事がなくなる日は来なかった」。37年の歴史を持つナステックの創業者、佐藤武・最高経営責任者(63)は話す。
97年に自動車部品大手のアイシン精機の工場が火災に見舞われた時も、自動車メーカーに代替生産を依頼された他の部品メーカーから生産に必要なドリルの注文が殺到。超特急でさばいて同業他社をうならせた。
海外に初進出したのは16年前。当時、中国でもインフラが整備されていた大連ではなく、短納期を支える飛行便が多い上海を選んだ。いまや、同社の生産の6割を担う工場だが、5年ほど前から人材難という新たな問題が浮上した。
中国の経済発展に伴い、サービス業に人が流れ、入社しても1年で現地従業員の3分の1にあたる約200人が辞めてしまうようになったのだ。従業員への給料も進出時の倍ほどに跳ね上がった。リスク分散の意味もあり、その後出たタイに次ぐ3カ所目の海外製造拠点として05年8月にベトナム工場の操業を始めた。
「まずは自分で考えてやってみろ。それから再度聞きに来い」。ベトナム工場に、操業時から携わってきた杉村直樹社長(37)の声が響き渡った。製造一筋19年。上海工場も経験した熟練工が、新たな人材育成に取り組んでいる。「手先が器用でまじめな若者が多く、日本の技術力に目を輝かせている。かつての中国のようだ」。技術力も上海工場に負けないほどに向上してきた。
求人を会社の門に張り出すと、20〜30人の募集に150人も応募があったことも。男性従業員のサンさん(31)は「以前に勤めていた日系半導体メーカーでは一日中、ボタンを押すだけだった。難しい作業でも自分で考えてできるとうれしい。毎日新しいことがあるから楽しいよ」と話す。
習熟度に応じて技術手当を支給され、勤務態度もまじめであれば、長期休暇を時期にこだわらず取ることができる。工場の従業員は約160人。「責任感や意識を植え付ければ必ず変わってくれる。うちは組み立て工場とは違う。社員のレベルアップは欠かせない」と杉村社長は力説する。
操業開始から2年余で、上海工場に次ぐ規模に成長し、今年7月以降、月約3千万円と高水準の売り上げが続く。「将来的には最大の生産拠点にしたい」と創業者の佐藤さん。ベトナムに新たな夢をはせている。
●労働力の質注目
東海日中貿易センターによると、中国に進出している東海企業は約3千社にのぼると推測されるという。愛知県によると県内企業の海外進出先(拠点)でも圧倒的に多いが、反日運動が高まった05年春以降、企業の間に「チャイナプラス1」の機運が高まり、中国以外の進出先を模索する動きが広がった。
そこで、脚光を浴びたのがベトナムだ。政情の安定や安い労働コストに加え、「手先が器用」などの労働力の質の高さも注目されている。県が06年末、県内企業を対象に「中国以外への進出を検討しているかどうか」をきいたところ、「検討している」という答えで最も多かった国はベトナムで38社だった。インド(28社)、タイ(26社)と続いた。
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