2008/09/16
(9/21
退院しました)
皆さん、こんにちは。
この三連休(9/13-15)に尼崎・聖トマス大学を中心に、「日本カトリック正義と平和協議会・全国大会」がありました。
私は9/13夕刻から9/14いっぱいに参加しました。
報告する価値があるような無いような、何となく気力が出ません。又の機会と致します。
速報は、ここ↓(友人サイト)をご覧下さい。
http://6019.teacup.com/sdyosefu/bbs
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/archive/200809/1
明日から数日間入院します。上手くいけば四泊、失敗すれば二週間、と言われています。
ナイス・ショットを期待しますが、ダフルかも知れません。そしたら二週間。
今日は自民党総裁選と、小沢さんの“国替え”について書いてみます。
私は麻生太郎さんを支持しています。そして、小泉さんが誰を支持するか、強い興味を持って見ていました。
産経新聞の9/12日号によりますと、武部勤元幹事長が主宰する「新しい風」のセミナーで小泉氏は、「今の時点で誰に入れるかを言うのはちょっと躊躇している」、「何も言えねえ!」と、表明を避けた、とあります。
ところが翌日には一転して、「小池氏に1票入れる」と、小池百合子さん支持を表明したそうです。
これはビミョーなタイミングですね。
効果を考えるなら立候補した直後か、せめて本人も出席した「新しい風」セミナー会場でしょう。気勢も上がったでしょう。
しかしそれは避けた。
小泉さんが麻生さん支持を打ち出せば、その時点で決定打になりましたね。それはしなかった。そして、反麻生に効果的なタイミングでも行わなかった。
新聞情報を信じるなら、9/13は、麻生さんの優勢がほぼ確定した時期です。議員票の50%超、6割近くを麻生さんが固めたと報ぜられました。
党員票はもともと麻生有利とされていました。
つまり小泉さんは、自分の発言が大勢に影響を与えない、その範囲での早い時期、を選んだと思います。
反麻生ではないのです。
狙いは、ポスト麻生、でしょうね。
麻生さんの次の総裁候補として小池さんを推したのでしょう。
小池百合子さんについては、私は高く評価します。
守屋次官を果断に更迭しておかなかったら、自民党はもっともっと窮地に立ったことでしょう。
私としては麻生内閣が実現すれば、小池さんにもう一度、防衛大臣をやって欲しいと思います。
さて、民主党・小沢党首“国替え”の件です。
私は小沢さんにその度胸はないと思います。私の判断では小沢という人は、そんなことをする人でありません。
しかしやれば面白いですね。特に東京12区、公明党・太田代表との決戦が実現すれば、私は手を叩きます。
小沢さんにとって自殺的突貫になると思いますけど。公明党は小沢さんの脱税を突っつくでしょう。民主は矢野絢也喚問を弾にするのかな?
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(9/21)
今朝退院して、いま会社の事務所にいます。
入院中に新聞を読むと、『週間新潮』の広告に、
▼小池支持でも影響なしが証明した小泉神話の崩壊
というのがありました。
週刊誌は広告が面白いので、買ってみて広告以上の内容は滅多にないですから、私はほとんど買いません。
今回も本文は知りません。
しかし「小泉神話」というものを知りませんが、今回小泉さんは明らかに、出来るだけ影響を与えないように動いたのです。
小池さん側から見れば喜んで見せたものの、期待外れだったでしょう。小泉という人は人に影響を与え影から動かす人でなく、本当に必要ならば自分が立つ人です。その局面が皆無とは思いません。
6月26日に小さいポリープを数個取り、その検査結果を先生は、
「癌がありましたよ」
と告げました。
「ほう、癌ですか」
「取っておいたから大丈夫です。早期で良かったですね。残った大きいのは入院しなければダメですが、これは癌でなないです」
ということであったのです。
帰って妻に、
「癌だったみたいやで」
「ふうん、癌やったの」
とまあ、そんな感じです、うちの家は。
ポリープの切除は正味3時間を要しましたが、無事終わりました。
広げて標本にしたのを見ると4センチ以上ありました。実体としても3センチ近くあったと思います。
内視鏡で処置できる限界だったようです。
麻酔なしでやるので、痛いと言うより苦しかったですね。
本人も画面を眺めながら施術される訳です。
本体切除の直前に睡眠剤を点滴され、ウトウトするうちに終えました。
医師が三人、看護婦さんも三人と、割と大袈裟でした。勉強も兼ねているのでしょう。
一人の看護婦さんが(私は“看護士”という言葉がキライだから使いません)ずっと私の手を握っていて呉れました。
遠藤周作さんがどこかで書いていたと思いますが、これはとても“いいもの”です。
術後の痛みも全くなく、出血も皆無でした。
入院(17日)の前日16日、大船の仲間と“壮行会”をやり、しこたま呑み、しゃべりました。仲間の一人は驚いていました。
私の場合、悪いことは色々ありましたが、
「結果はその局面で考えられる最良のものになる」
という人生でした。
従って、このような結果になると信じていました。(担当医は腸壁が破れた場合、二週間の入院になる、覚悟して日程を取るように、と告げていました)
余り思い悩まないですね。
理由は“横着”なもので、思い悩んでも悩まなくても、結果には大差ない、ならば悩むだけ損だ、というものです。
家族全部がそうですな。
本当は7月に手術できたのですが、色んな事情で2ヶ月ずれました。
ずれた原因には「正平協大阪大会」もありました。
日本のカトリック教会はいま聖なるものを表さず、市民活動団体に堕しています。
それを「福音」の名において語っています。
座視する時期は過ぎたと思います。
正平協・大阪大会の見聞は、近々、報告します。
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