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東大卒の「人生格差」 100人の転職、年収…

(AERA:2008年3月17日号)

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 創立130年を迎えた東京大学の卒業生は、累計24万5000人。10学部から実業界、官界、学界などに毎年約3000人が巣立っていく。社会が激しく変容する中で「東大卒」はどんな人生をたどっているのか。(AERA編集部・太田匡彦、秋山訓子、福井洋平)

     ◇

 「日本の社会を、日本の経済をよくしたい」

 法学部を1997年に卒業して以来ずっと、藤井良太郎さん(33)のその思いは変わっていない。

 いま、立ち上げからかかわった米系投資ファンド、コールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)日本法人で案件の発掘や実行に携わる。日本に7人しかいない投資専業の中核幹部として、数千億円の資金を預かる。

 名門進学校の灘中高を経て文科1類に入学。法学部卒業後は大蔵省−−。東大生としての「王道」を歩んできた。

 藤井さんが在学していた当時、法学部生の選択肢は国家公務員1種試験か司法試験くらい。藤井さんは前者を選んだ。

 だが入ってみると、「省の中の省」といわれた大蔵省の姿はもうなかった。接待疑惑で上司が逮捕、自分の机も捜索の対象となった。組織を守るための想定問答集作りに追われた。

 99年から2年間、米スタンフォード大MBAコースに留学した。シリコンバレーはドットコムブームに沸き、日本経済の病み具合を痛感させられた。

 「グランドデザインを描き、自らの力で何かをしたい」

 2001年、ゴールドマン・サックス証券へと移り、三井住友フィナンシャルグループへの1500億円の投資案件などに携わった。その後、米国本社勤務も経験。ヘンリー・ポールソンCEO(現米財務長官)からも慰留されたが、06年5月、KKR日本法人に2人目の社員として移った。

 ◆頭脳派プロレスラー

 同じころ、東京・新木場の倉庫街にぽつんとあるプロレス会場。そこに、藤井さんの7年後輩にあたる男性の姿があった。

 竜剛馬さん(26)。東大法学部卒のプロレスラーだ。

 頭脳プレーが得意技。

 「ぶっ殺すぞ!」

 対戦相手がそう叫べば、

 「脅迫罪にあたります」

 冷静に指摘して追いつめる。

 400人も入れば超満員の会場で毎月1回、戦っている。ファイトマネーは1回5000円。

 「家庭教師もやってますんで、年収は80万円くらいです」

 現役で文科1類に合格したが、必修の単位を落として2回目の2年生をしていたとき、学生プロレスの存在を知った。05年、プロデビュー。法律を使って相手を追い込むネタがウケている。

 「東大卒という肩書を初めておいしく使わせてもらってます」

 と竜さん。実は、弁護士を目指している。昨春、東大のロースクールにも合格した。

 「東大卒」の人生が、日本社会の変質とともにどう変わったのか−−。アエラは2月、若手OB・OGを中心に卒業生約100人にアンケートを実施した。

 その結果、92%の卒業生が、東大を出たことは社会でプラスに作用したと答えている。マイナス面もあったというのは32%にとどまった。一方で、約半数が転職を経験していた。複数回の転職を経験した人も3割ほどいて、かつてのような一本道のエリート人生ではなくなっているようだ。

 90年前後のバブル期に社会に出た卒業生たちはいま、日本社会の中枢を担いはじめている。

 感動でボールを握る手が震えた。初めて神宮のマウンドに立った日のことは一生忘れない。

 89年、東京六大学野球の春の公式戦。小林至さん(40)は大学2年だった。敗戦処理の登板だったが、三者凡退に抑えた。

 ◆公言して実現する人生

 高校時代は控えの野手。強豪校でも、レギュラーでもなかったが、野球部OBに東大野球部員がいたことから一念発起した。

 「東大で六大学野球をやろう」

 1浪して文科2類に合格。授業にはまったく出ず、朝から晩まで野球漬けだったが、4年間で1勝もできなかった。それでも「プロに行きたい」と公言していたら、ロッテから声がかかる。プロテストを受け、合格。

 スポーツ各紙の1面を飾ったが、「小林」より「東大」の文字ばかりが目立った。

 「当時の時代背景が大きい。まだバブルで、一流選手がドラフトをけって商社や銀行に行った。なのにまったくお呼びでない自分がプロに行きたい、と。そのギャップがおもしろがられた」

 結局、3シーズンで退団。米コロンビア大に留学してMBAを取得し、テレビ局で働いた後、帰国して大学教員になった。

 05年、プロ野球再編問題での「たかが選手」発言で読売巨人軍オーナーを辞めた渡辺恒雄氏に手紙を書いたところ、インタビューに成功。やりとりなどをまとめた本が孫正義氏の目にとまり、福岡ソフトバンクホークスの取締役にスカウトされた。夢はプロ野球のコミッショナーになることだ。

 「いままで、本来なら望めないようなことを公言しては実現してきた。自信のすべての原点が、東大に入ったことなんです」

 その小林さんと野球部で同期だったのが、横内光さん(39)と階猛さん(41)。

 ◆10年目に司法試験パス

 横内さんは灘高出身。中高ではサッカー部だったが、ストレートで文科1類に合格すると、野球部の門をたたいた。

 「野球も好きだったし、実力があれば未経験者でもレギュラーになれるので」

 就職活動の時期には、企業がスポンサーの焼き肉パーティーがよく野球部の寮で開かれた。野球部OBがいる都市銀行に入ったが、東大だけで30人いた同期はもうかなり減った。

 一方の階さんは、バブル崩壊の余波をもろに受けた。法学部4年のとき公務員試験に落ち、留年するつもりが、日本長期信用銀行の人事部長だった野球部OBに声をかけられ、入行した。

 だが98年、長銀は破綻。国有化後に外資が入り、新生銀行に。入行半年後から始めていた司法試験の勉強を続け、10年目でついに合格。昨年みずほ証券に転職したが、その直後、出身地に近い岩手1区から民主党公認で衆院選に出馬、当選した。

 同じ野球部OBでも、小林さんたちの二つ上で理科系だった江口夏郎さん(42)は、かなり趣が違う。バイオがやりたいと理科2類から農学部に進み、授業にもちゃんと出た。勉強はおもしろかったが、「指導教官にはかなわない」と研究者の道を断念、農林水産省に進む。

 ◆想定外の2浪に泣く

 経済にも興味があったので94年、米イエール大に留学し、MBAを取得した。だが戻った霞が関は、官僚不祥事でバッシングのさなかだった。

 帰国後9カ月で辞め、ベンチャー企業に転進、02年にいまの会社に移る。一緒にイエール大に留学した2人の官僚も、退職した。江口さんは東大時代を、

 「確かに予算は豊富で、実験設備は最先端、蔵書も多かった」

 と振り返る。だが、イエール大とは比べるべくもないという。

 「ノーベル賞学者や教科書に載っている教授陣。世界中から集まる学生もすばらしかった」

 小林さんが予備校で知り合い、野球部以外で唯一の友達という小幡績さん(40)。小林さんの卒業のため一緒に勉強した仲だ。

 東京学芸大附属高卒。エリート校の雰囲気が嫌で、全く勉強しなかった。だが想定外の2浪。ひとり自宅で泣いた。

 「この東大コンプレックスを克服するには受かるしかない」

 猛勉強して合格した東大は居心地がよく、経済学の授業もおもしろかった。先輩に「成績が全優なら好きな役所に行ける」といわれて、本当に全優を取る。ゼミの先輩に誘われたこともあり大蔵省へ。しかし、政治家の前に無力さを感じることが多く、学者に転身した。

 そんな小幡さんが公務員試験に向けて一緒に勉強したのが、大隈由加里さん(38)だ。

 女子御三家の一つ桜蔭から文科2類へ。大隈さんにとっての東大は「甲子園」だったという。

 「高校球児のひたむきな姿に憧れて。自分にとっての甲子園は何?と考えたら、勉強でした」

 公務員になりたかったのも理由の一つ。実家は帽子問屋。家事、育児、介護に加え「問屋の嫁」業務に追われる母と祖母の姿を見て、政策に女性の声を反映させたいと考えた。もっとも、合格したら母はいった。

 「東大に行くと結婚できなくなるからやめてくれ、って」

 労働省を目指したのは、テレビドラマ「あゝ野麦峠」を見て近代日本を支えた女性労働について考えたから。東大出身の女性同期3人は、厚生労働省になったいまも働き続けている。

 ◆同窓女性の半分は主婦

 入省後は何度も組織の中で迷い、ぶつかった。「やめたい」と思ったこともある。だが悩んでいるとき、法学部を出て専業主婦になった友人にいわれた。

 「働きたくても働けない人もいる。労働省は旗振り役なんだからやめちゃだめだよ」

 教養課程のクラスメートの女性6人のうち半分は専業主婦だ。

 大隈さんは役所の同期と結婚し、いまは子ども2人を東京の両親に預け、単身赴任中。現場の労働行政をとりまとめている。

 「子どもが生まれても絶対働き続けなさい。面倒は私が見る」

 結婚したとき、母方の祖母がそういってくれた。

 「霞が関でも地方でも自分は育てられていて、恵まれていると思う。背中を押してくれる人がいる限り、この道を歩いていけたらいいな」

 こうしたバブル世代の先輩の背中を見てきたのが、冒頭の藤井さんや竜さんらロストジェネレーションだろう。

 大隈さんよりちょうど10歳下の藤井恵美さん(28)は、いま医学部の3年生。03年に一度、法学部を卒業している。

 「日本経済の活性化に貢献することができる仕事」

 そう考え、ゴールドマン・サックス証券に入った。充実していたが、仕事は連日深夜まで及び、収益を厳しく求められた。

 「貴重な経験をさせてもらいましたが、日々人の役に立っていると実感できる仕事をしたいと、強く思うようになりました」

 1年半で退職。一生の仕事をと志したのは医師への道だった。

 もともと聖心女子学院高を卒業して入ったのは、理科1類。センター試験まであまり日数がなかったが、05年3月、最難関の理科3類で2度目の東大合格を果たした。

 実は恵美さんは、冒頭の藤井良太郎さんの妻。ゴールドマンで知り合い結婚。そろそろ2歳になる娘と一家3人で暮らす。

 良太郎さんはいう。

 「学生時代に学んだことや東大で出会った仲間は貴重な財産。娘が僕らと同じ道を歩んでくれたらうれしいだろう。けれど、留学したスタンフォードなど海外には素晴らしい大学がたくさんある。娘にはいろいろな道を見させてあげたいと思います」

 ◆就職に失敗し雀士に

 ロスジェネは東大生といえども就職がままならなかった世代。だからこそ「やりたいこと」を追い求めた結果、同じ東大卒でも人生の振れ幅は大きくなった。

 アンケート結果を見ても、年収が億に迫る人もいれば無収入のフリーターもいる。学生時代に起業した人がいる一方で、ずっと同じ会社で出世の階段をこつこつ上り続ける人もいる。

 出勤時間は午後5時。東京・大久保の雀荘(ジャンそう)「ポン」が、須田良規さん(32)の職場だ。4卓だけの小さな雀荘の店長として、接客のかたわら客と麻雀(マージャン)を打つ。

 「プロ雀士」の肩書もあるが、専門誌「近代麻雀」のコラムや漫画の原作も手がけ、生計をたてている。

 1浪して理科1類に入学。奨学金は麻雀で消え、雀荘で働いた。工学部を卒業するころはちょうど就職氷河期。推薦された2社も含め、受けた会社はすべて落ちた。パチンコ会社に勤めたが、あまりの過重労働で退社した。

 それから、麻雀一本の生活。

 今年結婚する。子どもも生まれる予定。将来に全く不安がないといえばウソになる。客から、

 「東大を出てるのにもったいない。うちで働かないか」

 そんな誘いも受けるが、いまの仕事を気に入っている。

 ◆工学博士がコンサルへ

 企業再生会社リヴァンプのディレクターとして、ロッテリアの再建に取り組んでいる湯浅智之さん(31)。須田さんと同じ95年に理科1類に入り、同じ工学部に進んだ。

 ボート部に打ち込みすぎて1年留年。コンサル会社アクセンチュアに入社した。5年半で15件ほどのプロジェクトにかかわり、スキルも身に着いた。だが、

 「スポーツではテニスやゴルフより、野球、サッカー、ボートと団体競技に打ち込んできた。仕事でも仲間と一緒に、というのが大事だった」

 リヴァンプ立ち上げに携わり、05年、そのまま入社。1号案件だったロッテリア再建のため、執行役員として出向した。

 「1万人の仲間と一緒に汗をかき、会社を元気にする。そこにやりがいを感じるんです」

 その湯浅さんは、若手の東大卒業生でつくる「東京大学三四郎会」の活動に、投資ファンド、アドバンテッジパートナーズ(AP)の赤池敦史さん(35)らと共にかかわっている。

 赤池さんも工学部出身。大学院の修士課程に進んだ後、米国のコロラド鉱山大で博士号を取得。そのまま米国で大手会計事務所プライスウォーターハウスクーパースに入った変わり種だ。

 その後、日本に戻って外資系コンサル会社マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。

 「レベルの高い知的チャレンジができ、醍醐味はあった。でもコンサルタントは提案まで。実際に動かせないのはフラストレーションがたまった」

 そんなとき、APに誘われた。

 ◆収入より仕事の充実感

 東大を出たメリットに、様々な業界の第一線に人間関係が広がっていることを挙げる人も多い。例えば、冒頭の藤井さんと同じサークルで1年後輩だった福森大介さん(33)は国際協力機構(JICA)に勤めている。

 98年に文学部を卒業し、日立製作所に入った。重電部門に強い日立なら途上国の開発などにかかわれると考えたからだが、出世コースとされる経理・財務畑に配属された。

 02年に3カ月間、社費でイギリスに語学留学。時間の余裕ができ、考え込んだ。

 「途上国援助にかかわりたい」

 帰国後、退職を決断。アジア経済研究所開発スクール、米デューク大公共政策大学院、国連開発計画(UNDP)でのインターンシップなどを経て、04年10月、JICAに入った。

 給与は公務員並み。33歳になった今年度、ようやく日立当時並みに追いついた。

 「アフリカのマラウイ共和国で一村一品運動の普及に携わったのが思い出深い。収入はそれほどでもないけれど、『やって良かった』って思える仕事には代えがたいですね」

 10日は東大前期入試の合格発表日。後期を含め新たな3000人が、人生の一歩を踏み出す。

   *

 (○は東大卒の学歴や東大で得たものが社会でプラスに作用したことがある人、×はマイナスに作用したことがある人)

 小林至さん ○

 経済・92年卒

〈転〉3 福岡ソフトバンクホークス取締役・江戸川大教授

〈収〉−

 「東大だったからプロ野球に入れた。実力と話題の差はわかっていたけど、それでもよかった」

 階猛さん ○

 法・91年卒

〈転〉2 国会議員

〈収〉2193(歳費)

 「司法試験をあきらめなかったのは、大学で負け続けた借りを返したかったから」。70連敗はトラウマで、野球チームに誘われても断った

 横内光さん ○・×

 法・91年卒

〈転〉0 都市銀行

〈収〉−

 「小林さん同様、野球漬けの毎日で、教室に行くのは試験の時だけ。「出身大学を聞かれたら、東大法学部ではなく東大野球部といっています」

 江口夏郎さん ○

 農・89年卒

〈転〉2 ライトワークス代表取締役

〈収〉−

 「東大は米国の大学と違い、どういう人材を世に送り出すかの定義がなされていない。グローバルで東大ブランドは通用しない」

 小幡績さん ○

 経済・92年卒

〈転〉1 慶応大学ビジネススクール准教授

〈収〉−

 「東大でよかったのは、いい授業と先生、友人。東大に幻想を持つ人に会うと、驚かれて得をする。たとえば合コンとか」

 藤井良太郎さん ○

 法・97年卒

〈転〉2 コールバーグ・クラビス・ロバーツプリンシパル

〈収〉−

 「資格試験は情報戦。東大生は情報を持っていた」(夫)

 藤井恵美さん ○・×

 法・03年卒

〈転〉1 東大医学部生

〈収〉−

 「友人は様々な分野で活躍していて良い相談相手」(妻)

 赤池敦史さん ○

 工・94年卒

〈転〉2 アドバンテッジパートナーズ パートナー

〈収〉−

 「今の仕事は東大出身者の比率が高い。同じ背景を持っていれば関係性も築きやすい。ただ大学として国際的な評価を高める必要はある」

 竜剛馬さん ○・×

 法・05年卒

〈転〉0 プロレスラー

〈収〉80

 「東大法学部卒というキャラクターはそれだけでファンの関心をひける。でもそれが『東大のくせに』という非難に変わることも」

 須田良規さん ○

 工・00年卒

〈転〉1 雀荘店主 プロ雀士

〈収〉450

 「連載コラムのタイトルに編集者の希望で『東大を出たけれど』と入れた。それで読者が目をとめてくれるのがメリット」

   *

学部 卒業年

〈転〉転職回数

〈収〉年収[万円]

現職

【男性】

工 89年卒 ○

〈転〉0

〈収〉1200

自動車メーカー・主担

工 85年卒 ○

〈転〉2

〈収〉−

ヘッドハンティング会社・コンサルタント

工 86年卒 ○・×

〈転〉3

〈収〉2500

経営コンサル会社マネジャー

 東大に落ちた私大の人が学歴コンプレックスを持っている場合が多いようで意地悪された。私自身は、学歴コンプレックスを持たずに済んだ

法 88年卒 ○・×

〈転〉2

〈収〉5000(売上高)

公認会計士(自営)

工 91年卒 ○

〈転〉3

〈収〉2000

コンサル会社・執行役員

理 89年卒 ○・×

〈転〉0

〈収〉−

証券会社・次長

工 81年卒 ○

〈転〉0

〈収〉2000

自動車メーカー・主管

法 91年卒 ○

〈転〉3

〈収〉2000

外資系人材コンサル会社・クライアントパートナー

 日本経済を支えるお歴々と接する機会も多く、個人の信用が問われる職業のため、東大ブランドを「パスポート」として使っている

法 90年卒 ○・×

〈転〉2

〈収〉6000

パートナー弁護士

 裁判官になりたくて司法試験を受けていたら受かった。子どもが受験する際などの周囲からのプレッシャーはマイナスかも

文 90年卒 ○・×

〈転〉1

〈収〉−

レコード会社

工 93年卒 ○・×

〈転〉1

〈収〉1500

IT会社代表(起業)

 会社経営における銀行や証券などの対応の際、「東大卒」で第一関門クリア。学歴コンプレックスのある人には東大というだけで敬遠される

教養 91年卒 ○

〈転〉2

〈収〉−

投資ファンド・パートナー

法 93年卒 ○

〈転〉0

〈収〉−

鉄道会社

法 95年卒 ○・×

〈転〉1

〈収〉−

外資系証券・部長

 その時々の「時価」と一致しないこともあるが、国内ではそれなりに頭が良いと思ってもらえる。一方で世間知らずだと誤解されたこともある

法 95年卒 ○

〈転〉0

〈収〉800

政府系金融

 公共性の高い仕事がしたかった。ふざけていても「実はこいつは東大なので、深い考えがあるはずだ」と深読み(誤解)してもらえる

文 99年卒 ○

〈転〉0

〈収〉800

情報通信会社

工 95年卒 ○・×

〈転〉2

〈収〉1200

保険会社副社長(起業)

法 99年卒 ○

〈転〉0

〈収〉650

内閣府

法 95年卒 −

〈転〉0

〈収〉−

パートナー弁護士

法 98年卒 −

〈転〉0

〈収〉900

都市銀行

経済 99年卒 ○

〈転〉0

〈収〉−

外務省・課長補佐

法 99年卒 ○

〈転〉0

〈収〉−

宗教法人

経済 95年卒 ○

〈転〉0

〈収〉1300

都市銀行・部長代理

文 98年卒 ○・×

〈転〉0

〈収〉400

旅行会社

 営業先で、やけに腰が低いと感心された(笑)。一方で、理屈っぽいとかカタいやつだと先入観を持たれてしまう

法 96年卒 ○

〈転〉0

〈収〉3000

弁護士

法 98年卒 ○

〈転〉0

〈収〉−

鉄道会社

工 95年卒 ○・×

〈転〉0

〈収〉900

建設会社・グループ長

 学術には興味がない自分に気付き就職。会社派遣で留学するきっかけをつかめたことはプラス。東大卒としか見られないマイナスも

法 98年卒 ×

〈転〉0

〈収〉1200

生命保険・課長補佐

 とがった意見を言うと「やっぱり東大卒は協調性がない」とか言われがち。自分を殺してでも周りに合わせるのが日本文化…

法 95年卒 ○

〈転〉0

〈収〉800

経済産業省・課長補佐

工 96年卒 ○・×

〈転〉2

〈収〉1600

技術コンサル会社・バイスプレジデント

 学生時代のネットワークは以前に独立して会社を立ち上げた際、資金不足を補うくらいの威力を発揮した。学生時代のアルバイトでは正直浮いた

工 96年卒 ○

〈転〉0

〈収〉−

電機メーカー

工 99年卒 ○

〈転〉1

〈収〉1100

コンサル会社・取締役

法 01年卒 ○

〈転〉2

〈収〉800

ITサービス会社代表(起業)

 大学時代の友人から仕事上での専門的なアドバイスを気軽にもらえる。ガールフレンドの親からの受けは常に良い

理 95年卒 ○

〈転〉2

〈収〉1000

国立大准教授

経済 98年卒 ○

〈転〉1

〈収〉−

外資系金融・マネジャー

工 98年卒 −

〈転〉0

〈収〉−

外資系機械メーカー・グループマネジャー

医 94年卒 ○

〈転〉0

〈収〉1000

国立大特任助教

 他の研究機関との共同研究を提案する際などに、初対面の人からも丁重に相談に乗ってもらえる気がする

法 99年卒 ○

〈転〉0

〈収〉1700

外資系コンサル会社・シニアマネジャー

農 97年卒 ○

〈転〉0

〈収〉700

食品メーカー

工 95年卒 ×

〈転〉0

〈収〉1300

鉄鋼メーカー・副工場長

 物作りの現場は完全実力主義。肩書でできる仕事はほぼ皆無。ただ「東大出てて、そんなこともわからんのか!」と言われることも

教養 96年卒 ○・×

〈転〉2

〈収〉0

フリーのキャリアアドバイザー

工 98年卒 ○

〈転〉0

〈収〉−

国立大講師

文 98年卒 ○

〈転〉2

〈収〉650

独立行政法人

教育 99年卒 ○・×

〈転〉1

〈収〉2400

情報サービス会社代表(起業)

農 00年卒 ○

〈転〉0

〈収〉600

ITコンサル会社代表(起業)

 卒業前に起業し、いまは複数の会社にかかわっている。どのような地位の人と話すときも臆する必要がない点はメリット

経済 99年卒 ○

〈転〉0

〈収〉1200

総合商社

教養 97年卒 ○

〈転〉2

〈収〉750

国立大准教授

法 97年卒 ○

〈転〉1

〈収〉−

外資系投資ファンド・バイスプレジデント

法 98年卒 ○・×

〈転〉0

〈収〉−

外資系証券・エグゼクティブディレクター

早くから金融スキルを身につけられ、また給与水準が高いため外資系証券に。失敗を知らない人間、保守的な人間と見られがち

法 02年卒 ○

〈転〉0

〈収〉2000

弁護士

法 02年卒 ○

〈転〉0

〈収〉570

出版社

経済 02年中退 ○

〈転〉0

〈収〉1500

ITコンサル会社社長(起業)

 学生時代、銀行に「東京大学の学費に使います」といったら金を貸してくれた。起業資金を集める上でもプラスに作用したと思う

経済 04年卒 ○

〈転〉0

〈収〉600

電機メーカー

工 04年卒 ○

〈転〉0

〈収〉−

建築設計事務所代表

教育 00年卒 ○

〈転〉1

〈収〉−

情報サービス会社代表(起業)

法 02年卒 ○・×

〈転〉1

〈収〉500

地方公務員

 人よりも準備や苦労をせず就職、転職できたことがプラスだったと思う。「東大卒なのに」という前置きがついてまわるのはマイナス

法 01年卒 ○

〈転〉1

〈収〉0

学生

 最初に勤めた外資系証券では、カウンターパーティーが東大卒で仕事が進みやすかった。9月から政府系金融機関に勤務予定

経済 05年中退 ○

〈転〉0

〈収〉720

ITサービス会社代表(起業)

 マーケットを作りたいと思い在学中に起業した。東大卒ではない偉い人から勝手に「すごい」と思ってもらえる

経済 04年卒 ○

〈転〉0

〈収〉800

広告会社

農 01年卒 ○

〈転〉2

〈収〉800

民間研究所・執行役員

法 99年卒

〈転〉1

〈収〉−

国会議員

 国際社会で積極的な役割を果たせる日本を創ろうと大蔵省に。能力面での信用は得られるが、「頭でっかち」の先入観も持たれる

法 00年卒 ○

〈転〉0

〈収〉700

経済産業省

工 01年卒 ○

〈転〉0

〈収〉400

私立大専任講師

経済 05年卒 ○

〈転〉0

〈収〉600

損害保険

教養 02年卒 ○

〈転〉2

〈収〉800

企業再生会社

経済 02年卒 ○・×

〈転〉1

〈収〉700

情報サービス会社

 新卒就職と転職の時に、書類選考で落とされることがなかった。仕事のパフォーマンスへの期待値が高くなることはマイナス

経済 00年卒 ○

〈転〉2

〈収〉−

外資系経営コンサル会社

法 02年卒 −

〈転〉0

〈収〉−

内閣官房

農 00年卒 −

〈転〉0

〈収〉600

外資系コンピューター会社

薬 02年卒 ○

〈転〉0

〈収〉500

化粧品メーカー研究員

経済 03年中退 ○・×

〈転〉5

〈収〉300

フリーライター

 インパクトはある。へらへらしてても、やればできると思われる。しかし、壁ができる。東大君という目でみられる

法 02年卒 ○

〈転〉0

〈収〉680

外資系人材サービス会社

文 00年卒 ○・×

〈転〉1

〈収〉0

人材サービス会社社長(起業)

経済 03年卒 ○

〈転〉0

〈収〉950

証券会社

工 00年卒 ○

〈転〉1

〈収〉2000

企業再生会社・ディレクター

文 03年卒 ○

〈転〉0

〈収〉−

広告会社

工 04年卒 ○

〈転〉0

〈収〉800

コンサル会社

医 04年卒 ×

〈転〉0

〈収〉400

勤務医

 私たちの職場では、「東大ならこれくらいできるだろう」「東大のくせに」などのような逆差別のほうが多い

工 05年卒 ○

〈転〉2

〈収〉−

投資会社設立準備中

 サラリーマンで一番給料が高そうなところで働きたく外資系証券に。でも、サラリーマン組織でつまらなかったので退職

【女性】

法 84年卒

〈転〉1

〈収〉−

人事コンサル会社社長

 女性には総合職がなかった時代、東大卒はプラスだった。東大出に対する社会のニーズがより高く、より深いのだと解釈

文 90年卒 ○

〈転〉2

〈収〉750

出版社

経済 92年卒 ○

〈転〉0

〈収〉−

地方労働局・総務部長

 学歴を言うと実力より上に見てくれた。優秀な友人にも出会えた

法 97年卒 ○・×

〈転〉1

〈収〉2000

パートナー弁護士

工 96年卒 ○

〈転〉2

〈収〉1100

証券会社・部長代理

大学院卒→ポスドクという高学歴ワーキングプアまっしぐらの経歴でも今の会社に転職できたのは絶対に学歴のおかげ

法 00年卒 ○・×

〈転〉3

〈収〉前職では750

コンサル会社代表(起業)

 ビジネス上なめられることがあっても、大学名&学部名を知った途端に相手の態度

が変わる。会社設立後の営業では助かっている

文 03年卒 ○

〈転〉0

〈収〉500

外資系製薬

 重要顧客となる教授クラスの医師には東大卒が多く、大学時代の話で会話が弾むことがある

法 03年卒 ○

〈転〉0

〈収〉−

弁護士

 周囲に流されてダブルスクールをした結果、司法試験に運良く合格。東大卒ということは、就職活動の際に考慮されていたと感じる

法 06年卒 ○

〈転〉0

〈収〉−

外資系証券アナリスト

教育 02年卒 ○・×

〈転〉0

〈収〉550

裁判所調査官

 どんな人なのか興味を持ってもらえるが、「勉強しかできないのでは」「プライドだけ高いのでは」というようなイメージを持たれやすい

教養 06年卒 ○・×

〈転〉0

〈収〉1100

外資系証券アナリスト

就職においては優位性がある。一方で、付き合う相手が限定される。東大出身の女性は男性から対象外にされてしまう

教養 07年卒 ○・×

〈転〉0

〈収〉800

外資系証券アナリスト

 投資銀行業やファンドなどは東大卒の人が多く、共通の話題などで関係を深めやすい。「頭でっかち」のレッテルはマイナス

工 99年卒 ○・×

〈転〉1

〈収〉700

外資系ITコンサル会社

 論理的で思考レベルの高い先輩、後輩と一緒に議論できたことは貴重な経験。ただ女性としては偏った見方をされることが多かった

文 05年卒 ○

〈転〉1

〈収〉600

人材サービス会社

 自分の力が試される「何も整っていない企業」を経験したくて、新卒の時には設立間もない社員10人ほどの会社に就職した

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