性暴力とは、どこまでの範囲を指すのでしょう。
まず思い浮かぶのが、強姦(レイプ)、性虐待ですね。
そして、DV(ドメスティック・バイオレンス/配偶者や恋人など親密な関係性の中で起こる暴力)、セクシュアル・ハラスメントもそうでしょうし、売買春(人身売買)なども、深刻な「性暴力」です。
それらの性暴力を下支えするのが「性差別」です。
わかりやすいのが、賃金格差です。日本の男女の賃金格差は、男性を100としたとき女性はわずか67。この経済的な格差(や、労働環境)が、暴力被害から抜け出せない女性たちを数多く生み出してきました。
また、男とは、女とは「こうあるべき」という、性別役割分業を含む「ジェンダー」が、男性から女性への、あるいは男性から男性へ、あるいは、セクシャルマイノリティへの暴力を容認してきたという歴史があります。
日本は国連人権理事会から女性差別の撤廃について何度も勧告を受けている人権後進国です。そうした事実をふまえ、このブログでは、「性暴力」の範囲を広く捉え、「性差別」についても暴力の一形態として積極的に言及していきます。
性暴力の最たる物は「戦争」だと私は考えています。
従軍慰安婦問題はもちろんのこと、戦争自体が「男なら」「女なら」というジェンダーに巧みに絡み取られた結果だったと考えるからです。
もっと言えば、暴力的であることは「男らしさ」の範疇とされ、容認されてきましたので、「暴力」そのものが、「性(男性性)」を孕んでいるものだと私は考えています。
あらゆる暴力に反対する。
「性」を不可避なものとして捉えながら、考えていきたいと思います。