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社説

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農水相辞任―「お役所目線」の果てに

 農薬などに汚染された事故米の不正転用問題で揺れる農林水産省のトップ2人がそろって辞任した。太田農水相と白須敏朗事務次官である。

 福田内閣の幕切れまであと数日。首相が政権を投げ出したのだからというわけでもあるまいが、消費者からすれば、最後まで責任を持つのかと思いきや、転用問題の解明や対策まで放り出されてしまった観さえある。なんとも情けない。

 太田氏は記者会見で「農水省全体としての責任、結果責任をはっきりさせたい。これだけ大きな問題になったのだから」と辞任の理由を語った。

 だが、この事件に対する農水省の対応は、「国民目線」を強調し、消費者の利益擁護を旗印に掲げてきた福田政権にとって大きな汚点といっていい。

 辞任した白須次官は先週、「私どもに責任があるとは今の段階では考えていない」と言い放った。

 その翌日には、太田氏が「人体に影響がないことは自信を持って申し上げられる。だからあんまりじたばた騒いでいない」と語った。

 国民目線どころか、行政のやり方に問題はなかったと開き直るかのような「お役所目線」の発言だ。

 農水省は、事故米を転売した業者に対して100回近くも立ち入り調査をしながら、不正を見抜くことが出来なかった、と釈明している。度し難い節穴調査である。業者名を公表するかどうかでも、方針が定まらなかった。

 こんなお粗末な対応を繰り返しておきながら、責任を認めようとしなかったのは、確かに辞任に値することだ。

 食品の産地偽装などが相次ぐなかで、主食であるコメに対する国民の信頼を大きく損なってしまったのである。どこでどう間違ったのか、徹底的に原因と行政の不備を追及し、再発防止策を講じなければならないはずだ。「結果責任」だけで済まされる話ではなかろう。

 太田氏は、中国ギョーザ事件について「国民がやかましい」と発言した。それを考え合わせると、国民を代表して行政を監督、指導するという、閣僚としての自覚に決定的に欠けると言わざるを得ない。

 福田内閣はきのう、消費者庁を創設する法案を閣議決定した。首相の肝いり事業である。次の政権に引き継ぎたいとの思いなのだろうが、総選挙を前にして法案の先行きは定かでない。さらにその首相の任命した閣僚がこの体たらくでは、何ともむなしい。

 衆院の解散・総選挙が迫るなかで、不利な材料を取り除き、けじめをつけておきたい。2人の突然の辞任には、そんな政府・自民党の思惑もあったに違いない。だが、これだけ「お役所目線」が印象づけられては、有権者も信用しまい。

政党紙配布―公務員への刑罰どこまで

 共産党の機関紙を配って逮捕された公務員が、また1人有罪になった。

 今回の事件は3年前の総選挙の投票前日、警視庁官舎で起きた。集合ポストに共産党機関紙の号外を入れた厚生労働省の課長補佐が、住居侵入の現行犯で逮捕された。検察は住居侵入容疑は「軽微」として不起訴にしたが、公務員の政治的活動を制限した国家公務員法に違反するとして起訴した。

 被告側は「公務員の政治的行為を禁じた法律自体が、表現の自由を保障した憲法に違反している」として無罪を主張した。しかし、東京地裁の判決は、求刑通り罰金10万円だった。

 全体の奉仕者である公務員は、民主的に決定された政策を忠実に偏ることなく行わなければならない。公務員の中立性を損なう恐れのある行為を禁じることは、やむを得ない制限だ。それが東京地裁の論理だった。

 公務員に政治的な中立性が必要なのは言うまでもない。一方で、政治活動を含む「表現の自由」は民主主義社会の根幹となるものだ。公務員といえども、可能な限り尊重されねばならない。その二つのバランスをどうとるかが難しく、悩ましいところだ。

 東京地裁は、投票を翌日に控え、公務員が特定政党を直接かつ積極的に支援したことをとらえ、「強い違法性がある」と批判した。この考え方がわからないわけではない。

 だが、被告が配ったのは勤務時間外であり、住人にとがめられなければ、公務員ということも知られることはなかった。そうした行為が行政の中立性を損ない、国民の信頼を揺るがすことになるのだろうか。そう考えると、果たして刑罰を科すほどのことなのか、と疑問がわいてくる。

 そんな思いにとらわれるのも、ひとつには、官僚出身の候補者が選挙で出身官庁の影響力を利用したり、官僚が政治家のパーティーであいさつしたりすることがまかり通ってきたからだろう。こんなことの方が行政の中立性を大きく損なっていないか。

 今回の判決のもとになっているのは34年前の最高裁判決だ。衆院選で郵便局員が社会党候補のポスターを張った。結論は有罪だが、15人の裁判官のうち4人は反対意見だった。学界でもいまも無罪を支持する意見がある。

 その後、捜査当局の摘発はほとんどなかったが、04年、共産党の機関紙を配った社会保険庁職員が逮捕された。この事件も一審は有罪だった。

 心配なのは、裁判所が有罪判決を繰り返すことで、公務員の表現や言論の自由が縮こまらないかということだ。

 公務員の政治的行為をどこまで制限すべきか。刑罰によって一律に禁じることが妥当なのか。これは立法の問題でもある。党派的な利害を超えて、国会でもじっくり議論してはどうか。

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