当時、母が国会議員の選挙期間中に
ウグイス嬢をしていたときに、私の妊娠が発覚。
選挙カーのウグイス嬢の声を聞きながら成長する。
(国会議員の秘書をしていた父との結婚3年目の事だった)
おとなしく言うことを聞いて座っているタイプだった。
当時から女の子らしいものが大好きだった私は
バレエを習いたいとゴネて習わせてもらった。
そのほか、書道、珠算、スイミングを習った。
八戸での学生生活新入生代表でハブラシ贈呈をした。
120名分のハブラシが入った箱で足元が見えなくて
不機嫌だったらしい。
父は議員秘書として、市議会議員として忙しく
私の入学式や卒業式に来てくれたことはない。
他の学校に来賓として呼ばれるので
そっちに参加していた。
音楽会の劇で、"夕鶴"の主役を演じたときには、
両親共にこられなかった。
小学校で所属した吹奏楽部では、クラリネットを担当。
全国大会にも参加した。
全国大会に出場するだけあって、
厳しい先生で毎日遅くまで練習だった。
小さい頃から選挙が大好きで、小学校に入った頃には
選挙のたびに開票場に連れていってもらった。
テレビの開票速報が終わるまで眠らなかったらしい。
心理学科に入学。幅広い分野の勉強をする。一番好きな科目は進化心理学。
卒業後は代議士の秘書になりたいと考えていたが、一般企業で世間勉強してから政治の世界に入ったほうが良い、それから、秘書をしながら政治を勉強し、議員となる方が多い。とアドバイスを受ける。
帝京大学卒業式 日本武道館にて
23歳のとき、16年間八戸市議会議員を務めた父が
県議会に挑戦することが決まり、選挙の手伝いをする。
選挙期間中、母の意向でずっと、選挙カーに乗り
うぐいす嬢を勤めた。
27歳になったばかり、
父が再度県議会議員選挙に挑戦した。
またしても落選が決まる。
父が貫いてきた信条、
"困っているヒトを助けたい"という考えを持った政治家が
八戸に必要だと思い、その場で1週間後の
市議会議員選挙に立候補したいと宣言する。
しかし、父や支持者の皆さんの大反対にあったため、
次の日に持越しとなるが、粘り続け
二日後になんとか父が了承してくれた。
家族で記念撮影
2歳の時、
父のおみやげのぬいぐるみと
2歳の時、お気に入りバイクで
3歳の時
津島雄二先生事務所前で母と
小学校の入学式の日
パグのキレイ
高校入学の時に
買ってもらいました
20歳の時
お気に入りのバイクで
毎年友人とバーベキューに
行きます(2002年 奥多摩)
ピジョン・フリーゼのわさび
友達と名久井岳登山
2006年 夏
選挙ポスター 2007年