1996年8月、大阪府高槻市で、サッカー大会に出場した当時16歳の高知市の私立土佐高校サッカー部1年北村光寿さんが落雷に遭い、失明し手足などに重い障害が残った。99年、北村さんと両親が高槻市や高校に損害賠償を求め高知地裁に提訴。2003年の一審高知地裁、04年の二審高松高裁の判決はともに学校の責任を認めず請求を棄却。しかし06年3月の最高裁判決は「教諭は落雷を予見できた」として高裁判決を破棄し、審理を差し戻した。
(2008年9月18日掲載)
1996年、大阪府高槻市で開かれたサッカー大会で落雷に遭い、重度障害が残った高知市の北村光寿さん(28)と家族が、当時在学していた私立土佐高校(高知市)と主催者に約6億4000万円の損害賠償を求めた訴訟の差し戻し控訴審判決で、高松高裁(矢延正平裁判長)は17日、学校と高槻市体育協会に総額3億円余りの支払いを命じた。
矢延裁判長は判決理由で「引率教諭が生徒を避難させ、試合開始の延期を申し入れていれば、事故を避けることができた」と認定。学校に使用者責任があるとした。
課外クラブ活動中の自然災害で、学校の責任が明確に認められた判決は、教育関係者に大きな影響を与えそうだ。
判決は、事故当時暗雲が立ち込めていたことなどから、あらためて「落雷は予見できた」とした。
その上で事故回避の可能性を検討。試合会場の外周にある50本のコンクリート柱付近に避難すれば、落雷の直撃に遭う可能性は相当程度低くなると指摘。「教諭には生徒を安全な場所に誘導し、姿勢を低くして待機させるなどの措置をとらず、北村さんを試合に出場させ事故に遭わせた過失がある」と述べた。体育協会は主催者として同様に責任を負うとした。