◎金沢おどり 和の「熱狂の日」楽しみたい
金沢園遊会のメーン行事として二十日に幕を開ける「金沢おどり」が五年目の節目を刻
むのを機に、芸どころ金沢の底力を示す至高の舞台として、全国の芸能ファンにその名を定着させるステップにしたい。見る側も、春の「ラ・フォル・ジュルネ金沢」が、敷居が高いと言われるクラシックを広く市民らに開放したように、金沢おどりもまた、三茶屋街の芸妓衆のもてなしの心を楽しむ、和の「熱狂の日」として一層身近なものにしたい。
金沢の茶屋街は、かつて「此花をどり」などのように、それぞれの茶屋街ごとにお披露
目の場を持っていたが、金沢おどりは、ひがし、にし、主計町、それぞれに踊りの流派の違う三茶屋街の芸妓が総出演し、その垣根を乗り越え、切磋琢磨して作り上げる大舞台として際立った特徴がある。
これまで四年間の公演を通して、新しい趣向も随所に盛り込んできた。演出を手がける
県立音楽堂邦楽監督の駒井邦夫氏が言うように「三茶屋街を借り切ったようなぜいたくな舞台」を見るため、全国から訪れる常連客も、回を重ねるごとに増えているという。
今回は、直木賞作家の村松友視さんが、金沢おどりのために作詞した総踊り曲「金沢風
雅」の初披露の場となる。それぞれの茶屋街を背負って立つ芸妓たちが、静かに火花を散らせながら、オリジナルの新曲を一つの物語に練り上げる艶やかな舞台は、全国の名だたる踊りでも、めったに見られないだろう。「宝塚歌劇団のレビューのように華やかな群舞」(駒井氏)に期待したい。
三茶屋街一帯には、それぞれに金沢の伝統が息づく歴史的空間が広がっている。一般の
人が、そうした歴史にふれながら伝統芸能の情緒を楽しめるように、市などがお座敷体験の催しを実施しているが、豊かな伝統文化土壌の中で、茶屋文化の側面から金沢の魅力を発信する柱として、年に一度、金沢でしか見られない本物の芸を提供する金沢おどりの役割は、今後一層大きくなるだろう。地元も遠来客も肩の力を抜いて楽しみながら、もうひとつの熱狂の舞台として発信していきたい。
◎米の不良債権処理 公的資金の投入不可欠
米政府が金融機関の不良債権を買い取って処理する公的機関の設立に動き出した。金融
危機回避には公的資金の投入が不可欠であり、米政府の決断に期待したい。米政府が責任を持って金融機関を救済しなければ、金融危機は深刻化し、恐慌に至る可能性がある。
日米欧の主要六中央銀行は、サブプライムローン問題に端を発した世界的な信用収縮に
対処するため、十九兆円のドル資金供給を決めた。市場に潤沢な資金を提供する国際的な枠組みをアピールできた意味は大きい。ただ、日欧がいくら支援しても、肝心の米政府が信用不安解消に強い決意を示さねば、「負の連鎖」は止まらない。かつての日本の失敗を教訓にしてスピード感を持って不良債権処理を果敢に進めてほしい。
米政府が米議会に行った提案は、金融危機を経験した日本にとって目新しいものではな
い。金融機関が抱える不良債権を、公的機関が買い取り、バランスシートを健全化する狙いである。不良債権の抜本処理を行うために、欠かすことのできない措置といえよう。不良債権処理の公的機関設立と日米欧の中央銀行のドル資金提供の発表を受けて米株式市場や日本などアジア株は急騰したが、これはサブプライムローン問題の根幹部分に切り込む環境がようやく整ったことへの評価だろう。
巨額の税金を使うことに少なからぬ批判や抵抗はあろうが、サブプライムローン問題の
ツケは途方もない規模に膨れあがっており、民間の力だけでは手のほどこしようがない。米政府が、公的資金の投入をためらわないという決意を行動で示し、市場を落ち着かせる必要がある。税を投入するタイミングが早ければ早いほど、最終的に必要となる税は少なくて済み、国民の利益につながるだろう。
金融恐慌の一歩手前にある非常時に、モラル・ハザード(経営倫理の欠如)批判を気に
して投入をためらったり、公的救済の基準があいまいだったりすると、混乱を招く。市場の信頼を得ることが、問題解決の近道であるということを重ねて強調しておきたい。