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  講談社 現代新書カフェ
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□        講談社 現代新書カフェ〜032〜                 
□            2008年9月18日                   
□                                 
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  ‖         〜〜 メニュー 〜〜                   
  ‖ 《1》新書9月新刊4点です!
  ‖ 《2》★連載企画★                                     
  ‖       1)『大学論──ぼくは、今、「まんがを教える大学」で
    ‖              何を考えているのか 』 第5回 大塚英志 
   ‖    2)『排除の空気に唾を吐け』第4回 雨宮処凛
  ‖    3)『アメリカ・インディアンは何を考えてきたか』
  ‖                  第6回 管 啓次郎
  ‖    4)『夢の男ーやさしさの豊かさー』               
  ‖                   第3回 信田さよ子
   ‖  《3》スペシャル対談 東浩紀×速水健朗 
  ‖       『オタク/ヤンキーのゆくえ』第2回
   ‖                 
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  現代新書カフェにようこそ。
   
  今年2月に現代新書で『世界を動かす人脈』という本が刊行されました。
  http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2879271 
  この本で著者の中田安彦さんは、今年中に、サブプライムに端を発した
  アメリカ発の大恐慌が起こる可能性について指摘されています。
  それにしてもリーマン・ブラザーズのみならず、AIGまでも危ない、
  というのは驚きです。
  アメリカという国は、なんでも自分たちで仕組みを作ってしまうだけに、
  儲けもでかいですが、失敗もでかい。
  でも問題は、儲けは自分たちで取るくせに、失敗のツケは世界中に
  ばらまくことですね。はぁ。 
   
  今月は新刊紹介はじめ、じつにボリュームのあるメルマガとなりました。
  秋の夜長、というにはまだ早いですが、じっくりお付き合いください。 
               


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◆  《1》新書9月新刊4点です!◆
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    ◇1958『早稲田と慶応』橘木俊詔 定価756円
 http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=287958

            【担当者挨拶】
「一匹狼」「地方出身者が多い」早稲田。「二世・三世が多い」「強い愛校心
をもつ」慶応――。両校の「校風」はどのようにしてつくられたのでしょうか。
 早稲田は昨年創立125年、慶応は今年150年と長い歴史を誇る両校です
が、戦前は経営危機に陥ることもあったりと、その歩みは順風満帆とばかりは
いえないものでした。しかし、現在では両校の附属小学校には志願者が殺到し、
雑誌の「社長になりやすい大学」といった特集では、両校が上位を占めるよう
になっています。
 本書は、格差研究の第一人者が、早慶がいかにして大学格差社会の「勝ち組」
とされるまでになったのか、そして私学にとって重要な「校風」がどのように
して生まれていったかを考察しています。ぜひご一読ください。  (JS)
  

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    ◇1959『世界の言語入門』黒田龍之助 定価756円
 http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=287959

             【担当者挨拶】
「世界中の言語から90を選んで、それぞれについてエッセイを書く」。そんな
大胆なことを試みた、本メルマガ人気連載「世界のことばアイウエオ」が、書
き下ろしも加えて本になりました。
 著者の黒田龍之助氏は、NHKラジオ・ロシア語講座「まいにちロシア語」の
講師もつとめる言語学者。ウクライナ語、ベラルーシ語の教材も執筆しています。
現代新書は、好評既刊『はじめての言語学』に続く2冊目です。
 たった一人で多様な言語について書くのだから、「お勉強」的な記述はやめて、
感じるままに魅力や印象を書いていこう、と黒田氏は考えました。
 読み始めのうちは「アラビア語は秀才の言語だ」とか「アルメニア語の文字
はカッコいい」などと言われて面食らうかもしれません。けれどもすぐに、著
者のペースに気持ちよくはまって楽しんでいただけるはず。「言語人口」「言語
地図」「語族」などのキーワードについての読みやすいコラムも要所にはさまれ
ていて、自然に知識が身につきます。
 語学上達は、まず「好きになること」から。「イタリア語は音楽みたい」とか、
「タイ語の文字はかわいい」とか。そんなことをきっかけにお気に入りの言語
を見つけませんか?                    (K.H)


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    ◇1960『女装と日本人』三橋順子 定価945円
 http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=287960

             【担当者挨拶】
 美輪明宏、ピーター、はるな愛、IKKO……女装の性別越境者をテレビで
見ない日はありません。そして、私たちはそのことを別段気にもしません。で
も、これは世界的に見ればきわめて特異な現象です。実際、海外から日本にや
ってきた女装者は、口をそろえて「日本はパラダイス!」と言うそうです。多
くの国では、女装姿では危なくて安心して街中を歩けないと言います。
 つまり、日本人は女装者に対してとても寛容なのです。歌舞伎の女形の人気
やニューハーフ・ショーの盛況ぶり、高校や大学の文化祭で行われている女装
コンテストのことを思うと、「寛容」を通り越して、むしろ「大好き」なので
はないかとさえ思えます。
 これはいったいなぜでしょう? この謎の答えを求めて、本書は日本史のそ
こかしこに存在した女装者たちを訪ね歩きます。ヤマトタケルの神話から、女
装のシャーマン、江戸時代の陰間、歌舞伎の女形に現代の新宿ネオン街まで、
一気に駆け抜ける魅惑の歴史ツアーです。どうぞご堪能下さい。(K・H)

    
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    ◇1962『親子という病』香山リカ   定価735円 
 http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=287962
 
            【担当者挨拶】
 北京オリンピックでは親子愛、兄弟・姉妹愛が賛美され、「家族礼賛」ムード
で日本中が覆いつくされた感があった。
 昨今の行政・文化・娯楽など、社会のシステムやスローガンも、「家族」単位
が基準となりつつあるようだ。
 だが、すべての事柄を「家族責任」「親子責任」にしていいのだろうか。
親子愛は、本来は「毒」になるものではないのか……。
 香山リカ先生にそんな疑問を投げかけた。
 現代新書のテーマになるかもしれないと、個人的な体験や思いを、香山先生
と何度話し合ったことでしょう。ためらいと迷いもありました。
「親子の絆」「理想の家族」に潜む罠を考え直す。
 そして、家族の中でも密着度が強い親子――
 その親子関係をどのようにとらえれば、生活スピードが速まり、情報が溢れ、
他者との繋がりが希薄化する現代社会を、人として幸せに暮らせるのだろうか。
「親子という病理」の社会的背景に踏み込んでの意欲作になりました。
                             (メイド岡部)


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◆  《2》連載企画  ◆
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 ◇1)『大学論──                         
 ◇    ぼくは、今、「まんがを教える大学」で何を考えているのか』
  ◇                                                    大塚英志 
 ◇   第5回 まんがはいかにして映画になろうとしたのか              
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《映画撮影の実習》

 去年の十一月。六甲山。降雪こそないが半袖の開襟シャツや浴衣姿の学生た
ちは寒さの余り震えて歯の根が合わない。六甲おろし、という程のものでは多
分ないのだろうけれど、強風が女子学生の肩まであるウィッグの髪を乱す。
 いや、だったらちゃんと季節相応の格好をすればいいし、何も強風の許で長
い髪のウィッグを被る意味もわからない、という反論は学生には許されない。
なにしろ今は「夏」であり、龍神の化身の少女は肩まで髪がなくてはならない。
何故ならこれは映画だからである。
 確かに責任の一端はぼくにもある。
 夏に予定していたロケが十一月下旬に延びたのは夏にぼくの目の手術が入っ
てしまったからであり、十一月の六甲山がここまで寒いというのは地元の人間
ではないぼくには想定外であった。「誰がこんな授業をやるといったのだ」と
いうぼくのいつものボケに、「あんたや」と返す気力も学生には残っていない。
 寒さに加えてひたすら「待ち」の連続である映画撮影は、初めて経験する学
生たちにはそれだけでストレスだ。カメラ位置やライティング、メイク、小道
具それぞれがようやくスタンバイできても、背後を観光客のハイカーが横切る。
龍神が住む神秘的な沼という設定だが、実際には神戸市の観光課からロケ地に
紹介されたのはバスで三宮から二〇分ほど、紅葉がそれは見事な一帯である。

 まんがアニメーション専攻では二年の後期、「まんが構成論」の名称で映画
撮影の実習が用意されている。一応は映画専攻の授業と区別するためにそのよ
うな名称を付してはいるが、撮影はドリーでカメラを移動させるなどかなり本
格的なものである。
 まんがを学ぶ学生たちに映画撮影の経験をさせておきたいのはそれまでの一
年半、まんがを描くという行為を介して紙の上で実践してきた「映画的手法」
を、「映画」というその本来の表現の上で確認するためだ。

《映画的手法がまんがに根付くまで》

 ここでは詳しく書かないけれど、この国においてまんがという表現は昭和の
初頭、ハリウッド産アニメーションによってその形式が書き換えられた時、そ
の演出に関しては「映画」ではなく「舞台」が雛型として一度、採用されてい
る。それはアヴァンギャルド芸術家高見沢路直こと田河水泡にとって、「舞台」
こそが大正アヴァンギャルドを象徴するものだったからだが、十五年戦争は結
果としてまんが表現に映画的手法を成立させる。そしてこの映画のようなまん
がは十五年戦争下の映画少年手塚治虫によって戦後に接ぎ木される。手塚が自
身のまんがを定義するために用いた「ストーリー」「記号」「デフォルメ」と
いったまんが関係者には馴染みの深い用語は、実は十五年戦争下の映画批評に
おいて重要な意味をもっていたものばかりであり、いささか早熟な子供であっ
た手塚は、十五年戦争下の「現代思想」としてあった映画理論によって戦後ま
んがを創り直そうとしていた節がある。ただし手塚の考える「映画的手法」は
極めて多義的で、例えば「モブシーン」もまた「映画的手法」の一つなのであ
る。このあたりは長い話になるので別の機会に譲るけれど、ある意味で政治的
に成立し、かつ、多義的であった「映画的なまんが」のあり方を映画の画面内
における空間構成とそのモンタージュに限定することで洗練し『マンガ家入門』
で体系立てたのが石森章太郎である。
 そして同書に作例として用いられているのが「龍神沼」という四八頁の作品
なのだ。これが今回の映画の「原作」なのだ。
 この作品はキャラクターの内面に軸足を置いた展開を後に二四年組の少女ま
んが家たちが採用することになる一人称叙述のモノローグを一切用いないでカ
ットとカットの接続(つまりモンタージュ)で表現する試みとしてある。まん
がの一コマはいくつかの例外を除き意図的に映画の一カットと定義され、それ
を編集するモンタージュも「クレショフ効果」や「並行編集」といった代表的
手法が教科書通りに使われている。
 ぼくの学科では一年生の前期、この「龍神沼」を脚本化したものを与え、そ
れを再度絵コンテ化するという実習を行うことはあちらこちらで記している
が、これは同作品に前述の如く「モンタージュ」の様々な技法が用いられてい
るためで、戦後まんがの基本的な演出技術としての「映画的手法」を習得する
には極めて合理的な教材だからである。

《石森章太郎の功績》

 とはいえ戦後のまんが表現技法を「映画的」もしくは「映像的」と見なす主
張は一種の定説だが、実を言えばその定義は極めて曖昧である。いわゆる学術
的まんが研究でも、例えばキャラクターが何かに視線を向けたコマの次にその
対象物が来るという連続の有無をもって「映画的手法」としたり、一つのコマ
の中に時間経過があることがそうだ、という主張もあり、恣意的である。
 そもそもが「映画的手法」とはまんがが「映画のように見える」という印象
論を出発点としている部分が一方にはあるが、例えば講談社の手塚治虫漫画全
集に収録された手塚の『新宝島』とオリジナルの『新宝島』の冒頭を対比して
も、「映画らしく見せる」技術体系は異質である。御存知のように全集収録に
当たって手塚は『新宝島』を全頁書き換えている。その「改変」が孕む問題に
ついては色々と興味深い点も多いが、中でも藤子不二雄Aらによってしばしば
言及されてきた旧『新宝島』冒頭の二頁への「加筆」である。比べてみれば歴
然としていて、旧版の冒頭の四コマが新版では何倍かに増えているのだが、エ
ピソードやシーンに追加変更があったわけではない。旧版の四コマは一コマが
映画の一カットに相当するのに対し、新版では一コマが数コマに分割されてい
る。つまり、まんが一コマが映画やアニメーションの一コマに近い形になって
いて、分解写真のような印象を与える。このまんが一コマをより細かな映画の
フィルムの一コマに近い形で細分化する手法は初期の手塚作品に特徴的だが、
前者のような一コマ一カットという技法を分解写真的に細分化されたコマに描
き直したことが『新宝島』冒頭の「映画的手法」の理解においても手塚と手塚
以外に乖離があることがうかがえる。
 これ以上深入りすると別に本が何冊か必要になってくるが、つまりは「映画
的手法」という言い方がごく普通に使われている一方で、その起源論には比較
的熱心な研究が行われているものの、まんがを「描く」という立場からこの問
題を体系化した、石森の『マンガ家入門』はこの種の「研究」ではあまり論じ
られない。石森は「まんが」を「映画らしく」見せるために、もしくは「まん
が」を映画的に見せるためにコマの接合の論理にモンタージュ、そしてコマ内
の構成にショット概念や空間の三分割に加えて、カメラワークという概念をか
なり合理的に導入している。無論、石森以前にもモンタージュとカメラワーク
を採用した先例はいくらでも見出せるが、それを実作で洗練させた形で用いた
上で入門書として解説してみせたという点で、石森の仕事の意味は大きい。

《映画・まんが・アニメ》

 ぼくはぼくの大学のカリキュラムの中に「カケアミの描き方」の類を一切入
れていないというのは公言するところだが、現在の「まんが」をまんがたらし
めている基本の技術は「カケアミ」ではなく、石森が示した「映画的手法」で
あるのは少し考えればわかることだ。あだち充にせよ浦沢直樹にせよ、結局は
「龍神沼」で具体化された演出技法の延長にある。
 これは海外の映画関係者と話していて何度か議題に出たことだが、日本のま
んがやアニメーションは海外と比して極めて映画的で、特にモンタージュがエ
イゼンシュテインの如くに使われていて奇妙だという。「龍神沼」に教科書的
なモンタージュが採用されていることは記した。例えば十五年戦争下のアニメ
『桃太郎 海の神兵』でもモンタージュ的なカットつなぎがかなり意識的に使
われている。戦後、リミテッドアニメ、つまり極力、止まった絵を「動いて」
みせようという試行錯誤の中で静止画のモンタージュをする手法を結果として
進化させもするのだが、ある映画研究者に言わせれば今時、ソビエトロシア的
意味で「モンタージュ」などと言っているのは戦後の映画批評家が皆左翼だっ
たからということになる。全くその通りだが、より正確に言えば昭和初頭に理
論のみ日本に入ってきたモンタージュ論は十五年戦争下の映画界で国策寄りに
転向した映画人によって戦後に持ち越されたもので、戦後、彼らが再びマルク
ス主義に戻って以降、突然、信奉されたわけではない。
 日本では映画やアニメを監督できるまんが家が珍しくないし、フランスにも
BDの作家で映画も撮ったエンキ・ビラルの如き例は確認できる。また八〇年
代辺りからアメコミの作画担当に映画のストーリースケッチやコンセプトアー
トの描き手の参入が目立ちもした。けれどそれはアメコミの一コマが一カット
ではなく、作品のイメージづくりのために代表的な場面をイメージして描くス
トーリースケッチやコンセプトアートに近く、アメコミが必ずしもモンタージ
ュやカメラワークを情報として必要としないからである。映画の工程に比すと
アメコミはコンセプトアートやストーリースケッチ、日本のまんがは映画の絵
コンテに近いのである。
 ぼくがまんがの授業に映画やアニメーションを組み込むのは、そのような演
出技術上の三領域の互換性がいわゆる「ジャパニメーション」や日本まんがの
特徴だと考えるからなのは言うまでもない。しかし一方で、神戸の大学や東京
芸大の映像研究科などで教えていて感じるのは、映画及びアニメーションの側
はこのようなまんがとの互換性をあまり認めたがらない、という傾向だ。彼等
にとって「まんが」とは映像作りの「原作」であり、自分たちの作品をつくる
方便でしかないケースが多い。それゆえ、映画やアニメーション関係者の口か
ら出てくるのは「映画とまんがは別物で原作者は口を出すな」であり、だった
ら他人の原作に乗っからず自力で映画の企画通せアホ、とぼくがキレてたいて
いぼくの作品の映画化企画は流れるのだ。

《映画化のプロセス》

 話が随分と横にそれた。
 まんがの授業として映画を扱うのは、だからあくまで映画の方法がまんがの
方法に置き換えられてきたか、その確認のためである。
 そのために「映画的手法」の教科書として使い倒してきた「龍神沼」を最後
に逐語訳的に映画化するのである。
 ポイントは「逐語訳的」というところである。現物を見せられれば話は通じ
やすいのだが、メルマガではそうもいかないので、その作業を文章で説明する
と以下の作業になる。
 まず「龍神沼」のまんがの一コマを原則として一カットと見なし、その上で
コマの中に石森が込めたであろうパンやスクロール、ズームインやアウトとい
ったカメラワークをコマの形や大きさ、コマの中の構図等によって規則的に読
み取り、コマを映画の絵コンテ用紙に一コマずつ貼りそこに読み取った演出を
逐一記入していく。これが「逐語訳」の第一段階である。無論、故人である石
森に解釈の妥当性を確かめようがないが、必ずコマの形や構図など根拠を作中
に見出し、演出意図、つまり映画のどのようなカメラワークやカットつなぎを
石森はまんがで再現しようとしたのかをなるべく正確に読み取り、アレンジや
修正は一切行われない。
 この時点で何ヵ所かカットへの置き換えが難しいコマが出てくる。例えば「映
画的手法」以前のキャラクターの動きがコマ運びに見つかってしまうのである。
見つかったらその理由を考えてみる。
 そして撮影はこの逐語訳絵コンテに忠実に行われる。カット割り、ショット
や構図、編集においては徹底して「絵コンテ」に近づけるようにする。すると
再び例えば石森が実写の映画ではなくディズニーの構図を使っていると考えら
れるところが見つかる。実写で再現はできるが構図的にはかなり苦しいという
カットがそれである。それでも極力、絵コンテに忠実に実写化し、そういう綻
びは綻びで「なるほど」と納得する。
 とにかく「逐語訳」であるからここでも勝手な演出上の変更はしない。
 実際に映画化するのは全編ではなく数シーンだけなのだがそうやってまんが
を文字通り映画にひたすら律儀に「逐語訳」していく。

《「逐語訳」の意味》

 などと記していっても一体何の意味があるのか、と大抵の人が思うだろうが、
やはりそこで色々なことが見えてくる。
 石森の絵は手塚に出自をもち手塚の絵はぼくが「ミッキーの書式」というと
ころのディズニー型の形式に行き着く。つまりあくまでもその書式によって要
求されるコマの中の空間は実写映画的なリアリズムによっておらず、アニメー
ション的な三次元空間であり、それはいわばありえない三次元空間である。結
果として逐語訳的な映画化はその問題を浮き彫りにしていく。例えばウエスト
ショットのキャラクターが二人描かれていても、一方のキャラクターは地面の
上に足が接していては、その構図は実写では再現できない、といった些細な矛
盾が生じる。
 しかしその一方でそれでも無理をして撮影し終えたカットを絵コンテ通り編
集すると、ちょっとレトロな印象の「映画」になってしまう。レトロな、とい
うのは使われる構図やカット割りの雛型が作品の初出以前の時代の映画にある
からそのような印象になるのだ。
 ちなみに画像はモノクロームで撮影するが、これは紅葉している六甲山をご
まかすためではなく(それも少しはあるけれど)、まんがが白黒である以上、
「色彩」という概念は採用しにくいだろう、ということが理由である。色彩に
ついての情報を作品から合理的に読み取ることは当然だが不可能なのである。
 そうやってなるほど色々と小さな矛盾や綻びのある一方で全体としては本当
にまんがは映画に置き換えられた、ということを最後に出来上がった映画をみ
んなでみて確認する。
 それがこの授業の全てである。
 そしてこれは、ぼくにとっては、「まんががいかにして映画になろうとした
か」という近代まんが史の追体験に他ならないのである。
 この二つの領域間の方法論の越境をちゃんと自分たちで確かめる、というの
はぼくにとって大事な問題だ。つまり「映画的手法」という一言で済ませてし
まう問題をわざわざ映画にフィードバックすることで初めて「わかる」ことが
ある。
 それはかつて「文学」について物を書いていた時、文学のサブカルチャー化
という現象が印象論として語られているのに対し、だからこそ「文学」の作り
手が「劇画」に越境しようとした中上健次の『南回帰船』の「失敗」をきちん
と検証しておくべきだろうとこの「原作」を私費で復刻した感覚にぼくの中で
は近い。実はまんがの授業で学年によっては『南回帰船』の何ヵ所かをまんが
の絵コンテにして、どこがまんがに移行しやすく、あるいはしにくいのかを実
感してもらう授業を、ちょっとした脱線で行いもするのだが、一つの領域が他
の領域に越境しようとしたり他方の技法を転用したりする試みを「サブカルチ
ャー化」とか「映画的」と形容してそれで何か論じた気になってしまうのが、
ぼくにはしっくりこない。それは村上隆がBOMEのフィギュアを現代美術に
「引用」し、あるいは高橋源一郎が少女まんがを丸々一頁「文学」に引用し、
更にまた岡崎京子そっくりの描写のある作品がしばしば文芸誌の新人賞の受賞
作に混じっていることとはやはり根本的に異なる問題だ。「映画的手法」とは
「映画」の方法の「まんが」の方法への「翻訳」であり、同様に中上の『南回
帰船』は「文学」の「劇画」への方法上の「翻訳」である。そこでは翻訳可能
な部分だけではなく不可能な領域、無意識の、あるいは意図的な「誤訳」とい
ったさまざまな問題が生じる。
 これはやってみたものにしか見えてこないし、つくり手を目指すならやって
おいていい経験だとぼくは思う。

《手塚治虫の試み》

 少し前半で書きかけたようにぼくは手塚にとって「映画的手法」はカット概
念とモンタージュに特化されない、もう少し多様な意味でアバウトであったと
感じている。手塚にとってはあの「まんが記号説」も「映画的なまんが」の一
つを構成していた。手塚は十五年戦争下の映画用語を彼がまんがを語る用語に
転用しているが(例えば「ストーリー」という語さえもそうであることは先に
も触れた)、「記号説」における「記号」の語法とその論理構成は昭和初頭に
出版されたクレショフのモンタージュ論からの転用であるとぼくは別の場所で
結論した。敗戦時、十代半ばであった手塚少年は早熟な映画少年であり、そも
そも十五年戦争下の映画評論は今でいったら「現代思想」の類で若い読者が東
浩紀だデリダだと興味を示す姿と少しも変わらない。
 その意味で手塚にとって映画的なまんがの試みは昭和二十八年の『罪と罰』
においてこそ集中的になされている、というのがぼくの見解だ。そもそも『罪
と罰』という作品そのものの選択が「映画的」であり、十五年戦争下の映画論
で『罪と罰』はいかに映画化しうるかという議論がいくつもなされ、手塚にド
イツ表現主義の影響を見てとるべきだろうという笠井潔の立場に立ったとして
も『罪と罰』は『カリガリ博士』の監督ローベルト・ヴィーネによって映画化
されているわけである。ヴィーネの映画をぼくは未だ観ることが出来ないので
映画版との直接的関係は論じようがない一方で、この作品ではモンタージュ的
な「映画的手法」のみならず、『新現実』VOL.5で指摘したクレショフ効
果の教本の奇妙な転用、あるいはクライマックスにおける「群衆」シーンもま
た十五年戦争下の映画論を踏まえたとき、陰影の極端な強調といった技法も含
め全て「映画的」なまんがの試みの一つ一つとしてある。それは繰り返すが「十
五年戦争下の映画理論」という文脈に手塚を置いて初めて見えてくる問題であ
る。

《失敗作の教訓》

 まんがを教える大学に映画やアニメーションが併設されたり、映画とアニメ
ーションの専攻はあるけれどまんがの専攻がない芸大の院に「まんが」の人間
であるぼくが話しにいくことも、そのどちらも決して無駄ではないとぼくが思
うのは、この手塚の例一つとってもまんがはアニメーションや映画から多くの
方法を受け取り、そして彼らもまた受け取ったはずだと感じるからだ。
 だが「映画」や「アニメーション」の側は必ずしもこのような考え方に同意
してくれない一方で、海外の映画に関わる人々からは日本のまんがの「映画」
的な側面に対する関心は大きい。日本のまんがを「萌え」や「オタク」「アキ
バ」として世界にプレゼンしたがるのは、そのような国策を進めるアカデミシ
ャンと官僚が要は高偏差値オタクだからであって(ちなみに海外のアカデミシ
ャンも中野ブロードウェイを知っているような奴らだから意見は合う)、ただ、
ぼくの実感では少し違う受け止め方をされている気がして仕方がない。
 無論、まんがの「映画的手法」に関心を示したこの国の映画人がいなかった
わけではない。例えば最近の監督なら大喧嘩したけど三池崇史などはそうだし、
古くはやはり大島渚がいる。大島のATG作品に『忍者武芸帳』(昭和四十二
年)という怪作(?)があることを映画批評はあまり触れたがらないが、これ
は白土三平の劇画の原画の一コマ一コマを接写して撮影し、編集、その上でア
フレコ等を加えたものだ。
 まあ、結論から言えば失敗作ではある。
 しかし、この失敗からはっきりと見えてくることもある。大島は劇画が「映
画的手法」から成り立っていることは理解していたということ、にもかかわら
ず、劇画の中にあった「映画」的な演出のための情報あるいはコードを読み取
ることができていないことの二点はやはり重要な問題なのだ。
 最近、手塚が五〇年代末貸本劇画に発表した作品を集めたアンソロジーが刊
行されたが、それを見ると手塚が受け止めた「劇画」はカット割りとモンター
ジュに特化した「映画的な」まんがであることがよく分かる。実際、六〇年代
に入ると故・石子順造らによって「劇画」の中の映画的な要素が自明の如く語
られ、大島はそのような論調を理解した上で「劇画」の逐語訳的「映画」化を
試み、失敗したのである。しかし、その「失敗」は中上の『南回帰船』の「失
敗」や手塚のクレショフ効果の「誤訳」と同様に評価すべきものだとぼくは考
える。

《映画の監督は誰か》

 最近では、芸大の大学院では逆にまんが作品を渡して、それを大島渚の失敗
を踏まえて同じ手法で「映画」にするというワークショップを始めている。
 その一つがぼくと藤原カムイが組んだ『アンラッキーヤングメン』の大島渚
的「映画」化で、この作品はもともとがATGとか末期の日活ロマンポルノっ
ぽい感じのまんがをやろう、というところで始まっている。だからそれっぽい
脚本(荒井晴彦あたりが書いていそうな)をぼくが書き、かつ、藤原カムイも
映画を意識した絵コンテを切った後、全コマ(つまり全カット)、モデルを使
って同じ演出や構図からなるスチル写真を撮るという段取りを毎回やった作品
だ。しかもその写真をパソコンでデータ処理して使うのではなく、ただ「見て
描く」という本当に無茶な創り方をした。毎回、衣裳や小道具を映画関係の会
社から借り集め、っていうか映画撮れば、と突っ込まれかねない創り方をした
のだ。ぼくたちの中にはまんが史に則って「まんがで映画をやってこそまんが」
という感覚があっての遊びだったのだけれど、そうやって「止まった絵」で「映
画」になろうという倒錯した試みをした「まんが」が、それでは大島渚式にや
って本当に「映画」になるのか、あるいは「動く」という映画にとって当たり
前の要素を奪われた「映画」の学生達が、「まんが」に何を加えて「映画」に
近づけうるか、それをわざわざ確かめてみたいのである。
 本当に「わざわざ」としか言いようがない。
 とはいえいくらこういう話を映画の人にしてもアニメーションの人にしても
「だから?」と怪訝そうな顔をされる。まんが関係者でも多少わかってくれる
のはどこかで手塚や石森をきっちりと引きずっている人たちである。まんがと
アニメや映画との関係は一方で国策でコンテンツ産業だソフトパワーだと一括
りにされる一方で、まんがは映画やアニメにとって原作の供給源であり、メデ
ィアミックスの対象でしかない。けれどまんがの歴史が映画の方法をまんがに
翻訳することによってつくられ、それがこの国のまんがの特異性の一つになっ
ているのなら、その点を「学ぶ」ことは「大学」や「大学院」でこそ可能にな
るのに、と考える。「萌え」や「BL」や「アキバ」にしても「研究」して学
問だとアカデミシャンに言われても何だかなとしか思えない。
 とはいえここで書いたような授業の理由付けを多分、神戸の学生たちの大半
は理解していない。それはそれで構わないのである。
 ただ、カメラをのぞいて、まんがと同じ構図を再現するのがいかに難しいか、
そして、そうやって切り取られたフレームの中の空間こそがコマであるという
実感や、バラバラに撮影された映像が絵コンテに従い編集されることで「映画」
に見えてしまうといった事実は、撮影中密かに人気のある女子学生の浴衣姿に
つい目がいってしまう男子学生たちにも多少は実感されたはずだ。何より「映
画」は自分たちにとってそう遠くない表現だとわかればそれでいい。
 そして学生のうち何人かは実のところ少しだけ気づいてはいるのである。「実
習」だからカットごとに監督役は変わるのだが、それを編集すると一連なりの
映画になる。それを不思議がる者がいる。「映画」はあるのにそこには本当の
意味での「監督」は不在だからだ。
 しかし、それではこの映画の監督は誰なのか。絵コンテが石森作品の逐語訳
である以上、答えは明らかだ。
 ぼくたちはロケ現場どころかこの世にいない石森章太郎の「監督作品」を作
ったのである。
 そんなふうにしてぼくたちはもうここにはいない誰かから何かを受け継ぐこ
とができる。ぼくが口先だけで「伝統」などと言う人たちを信じないのはそう
いうわけだ。
                               (つづく)

┌──────────────────────────────────┐
│大塚英志:1958年生まれ。まんが原作者、批評家。 神戸芸術工科大学教授、
│東京藝術大学大学院兼任講師。先月20日、東浩紀氏との対談集『リアルのゆ
│くえ──おたく/オタクはどう生きるか』を現代新書で刊行し話題に。
└──────────────────────────────────┘


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    ×↑××←→××←→→××××××↓×××↑××××→→→
    → 2)『排除の空気に唾を吐け』  
    ←    第4回 利用される「家族」
    →                       雨宮処凛
    ←→↓↓×××→→××←×←←××←→→×××→→↑↓↑↓

「家族なんだから助け合え」と突き放される

 1990年代、アダルトチルドレンという言葉によって様々な社会の問題が
「家族」に凝縮されてきたことを前回、書いた。
 その「家族」は、アダルトチルドレン的言説とはまた違った、様々な形で利
用される。 「新自由主義は家族を利用する」という言葉を聞いたことがある。
例えば、社会学者の入江公健氏は、拙著『生きさせろ! 難民化する若者たち』
のインタビューで、こう言う。
「(新自由主義は)『家族が大事』というふうに、やたら強調するきらいがあり
ます。たとえばフリーターが自立して生きていけるだけの賃金をもらっていな
いのに、なぜ路頭に迷ったり餓死しないで生きていけるかといったら、親が面
倒を見るなり家を持っていたりするからです。政府や企業はそこまで見ていま
す。賃金が下がってもまだ生きていけてるからいいんじゃないと。つまり家族
なるものを底辺労働力のプールとして利用しようということですね。だから家
族は大事だといいたがる(後略)」
 利用されるのは、フリーターの親だけではない。介護を必要とする高齢者や
障害者を抱える家庭は「家族なんだから助け合え」と言われ、時には「一家心
中するまで助け合う」ことを要求される。誰にも頼れない状況で子育てしてい
るシングルマザーも「親なんだから甘えるな」と突き放される。また、病気な
どで働けず、電気やガス、水道を止められるほどの貧困状態に陥って生活保護
を受けようと福祉事務所に行けば、「家族に助けてもらえ」と追い返される。
家族とどれほど複雑な関係だろうと、そんなことは滅多に顧みられずに。

生活保護を辞退させられての餓死

 2007年7月、北九州市で「オニギリ食べたい」という言葉を残して52
歳の男性が餓死したことは、大きく報道されたので覚えている人もいるだろう。
元タクシー運転手の男性は肝障害や糖尿病などで働けなくなって生活保護を受
けていたのだが、それを「辞退」させられた果ての餓死だった。大企業が「史
上最高の利益」を連発していたその裏で、オニギリひとつ買うお金もなく、ま
た福祉に頼ろうとしていたのに「自立」を強いられた挙げ句の餓死は、この国
の福祉行政のあり方を根本から問い直す事件だった。
 男性は亡くなる二、三ヵ月前の日記にこう綴っている。
「体がきつい、苦しい、だるい。どうにかして」「せっかく頑張ろうと思って
いた矢先、切りやがった。生活困窮者は、はよ死ねってことか」「腹減った。
オニギリ腹一杯食いたい。体重も68キロから54キロまで減った。全部自分
の責任です」「人間食ってなくてももう10日生きてます。米食いたい。オニ
ギリ食いたい」
 男性は家庭も持たず、離れて暮らす弟は火事で焼死していた。弟の葬儀にも
旅費がなく行けなかった男性に、頼れる家族はいなかったのだろう。男性は道
端に生えているニラを食べて飢えをしのいでいたという。

 北九州市の「餓死事件」は、これが初めてではない。
 その前年の06年5月、同じく北九州市で56歳の男性がミイラ化した遺体
で発見されている。男性は生前、2度にわたり福祉事務所で生活保護の申請を
していたが、生活保護が認められることはなかった。
 この男性もそれまでタクシー運転手として働いていたものの、05年に足を
悪くして職を失う。収入は途絶え、05年9月の時点でかなり衰弱しており、
電気、ガス、水道もすべて止められている状態だった。そんな時に生活保護の
申請に行くが、面接した福祉事務所の担当者の回答は「次男が養いなさい」と
いうことだった。
 次男はコンビニでアルバイト生活。父と離婚した母を養い、生活はギリギリ
だったはずだ。父まで養えるはずのない次男は、週に1度か2度、父のもとを
訪れ、ベランダからオニギリやパンを渡していたという。男性と次男の関係は
「複雑だった」と報じられている。男性は次男からの差し入れと公園の水でな
んとか生き延びていたが、05年12月、再び生活保護の申請に訪れる。自力
では歩くこともできなかったのか、次男に支えられている状態だったという。
が、福祉事務所の回答は、「次男がダメなら長男に援助してもらいなさい」だ
った。
 しかし、遠くに住む長男にもそんな余裕はなかった。
 半年後、男性はミイラ化した遺体となって発見される。

 北九州市ではこの2件だけでなく、05年にも68歳の男性が餓死している。
所持金は十数円、5度にわたって生活保護を申請していたが認められず、電気、
ガスも止められ、食べ物にも事欠き、餓死した。また07年6月には、61歳
の男性が生活保護申請を何度も断られ、自殺。福祉事務所からは「働かん者は
死ねばいいんだ」などと言われていたという。
 連続する餓死や自殺の背景には、「ヤミの北九州方式」と呼ばれる北九州市
独特の恐ろしいシステムがある。

生活保護「ヤミの北九州方式」の実態

『生活保護「ヤミの北九州方式」を糾す』(藤藪貴治・尾藤廣喜著、あけび書
房)には、このシステムの恐ろしい実態が暴かれている。
「餓死・自殺事件を生み出す『ヤミの北九州方式』は、1967年以降の旧厚
生省天下り官僚の下で造られた、『国の生活保護切り捨てモデル』であり、厚
生労働省の指導と通知によって全国に広がっている」
 同書でこう指摘されるように、これは一都市の異常な話ではなく、国主導で
行われている「棄民政策」なのだ。著者の藤薮氏は元北九州市の職員。福祉事
務所でケースワーカーとして働いていたこともある人だ。ヤミの北九州方式と
はなんなのか。
 話は40年前に遡る。
 当時の北九州市では、炭鉱の閉山により失業者が増え、生活保護受給者は全
国平均の約4倍半だった。それに対して旧自治省は「保護費の削減」を求め、
67年、谷伍平市長(自民党ほか推薦)が就任すると同時に旧厚生省から天下り
官僚を迎え入れ、生活保護の切り捨てを進めた。そして30年間で受給者は5
分の1に。バブル崩壊後の90年代後半には全国で受給率は増えるのだが、北
九州市だけは唯一減少。それほど政策が「徹底」していたのだろう。

「数値目標」とノルマ

 また、北九州市には生活保護行政にあってはならない「300億円ルール」
があった。藤藪氏は、市職員時代、「生活保護費は絶対に300億円を超えて
はならない」と複数の職員から耳にしたという。予算の方が貧困者の命より優
先される実態があった。その上「数値目標」を掲げ、職員にノルマを課す。例
えば、新しく生活保護を開始するのは月に何人までとか、年に何人生活保護か
ら脱却させるとか、そんなことがノルマとして課されていたというのだ。
 そのことから、先に書いた餓死事件の全容がつかめてくる。なぜ、あれほど
衰弱していた状態でも生活保護を受けられなかったのか。理由はなんのことは
ない、「数値目標」があったからである。平成17年度の申請件数は、どうし
ても184件以内でなくてはいけなかったのだ。そうなると面接主査一人あた
り月に7枚しか申請書を渡せない計算となる。餓死した男性はその「7枚」か
ら弾かれてしまったのだ。目の前の人間の生死より、こうしてノルマが優先さ
れていく。
 また、生活保護を「辞退」させられた果てに餓死した男性の例も書いた。
 なぜ、働くこともできず、収入の目処などまったく立たない状態で「辞退」
させられなければならなかったのか。それは「『自立』という名で『廃止』に
持ち込むことをノルマ化した計画」があったからだ。

国は北九州市を「モデル福祉事務所」と評価していた

 北九州市は、数値目標で市内の福祉事務所を競わせてもいた。福祉の世界に
競争原理が持ち込まれていたのだ。もちろん、生活保護をより多く受けさせず、
より多く受給廃止した方が「勝ち」とされる競争である。困っていた人にどれ
だけ生活保護をちゃんと受けさせたか、という競争ではない。
 数値目標やノルマを達成することによって、出世したり給料が上がったりす
るのだろうか。もちろん、人事評価への影響は大きいだろう。自らの出世のた
め、「人を殺す福祉」が幅をきかせる北九州市。
 ちなみに、数値目標に関しては、他都市では存在していないらしい。
 そんな北九州市のやり方を、国は「モデル福祉事務所」として高く評価して
いるのだからどうしようもない。
「オニギリ食いたい」という言葉を残して餓死した男性の事件が明るみに出た
際、北九州市の幹部たちは緊急の記者会見を開き、言った。
「対応は適切だった。亡くなったのは残念だが、市の保護行政とは直接関係な
い」
「生活保護制度を活用して短期間のうちに自立できたモデルケースだった」
 道端に生えるニラを食べ、その果てに餓死することが「モデルケース」なの
だろうか。その上幹部は「地域住民の支え合いが足りなかった」と、まるで近
所の人たちのせいにするかのような発言もした。
 そうして生活保護行政で、「地域住民の支え合い」以上に利用されるのが「家
族」である。「家族に養ってもらえ」という言葉だ。が、そんな家族がいれば、
多くの場合わざわざ福祉事務所を訪れはしない。

子が親を「捨てる」

「家族」が利用されるのは、介護の場面でも同じだ。
 06年2月、京都の河川敷で54歳の男性が86歳の母親の首を絞めて殺し
た。父は既に亡く、母親は認知症。男性は職場を40代でリストラされ、派遣
の仕事をしながら介護を続けるが、母親の症状は悪化し、働けなくなってしま
う。生活保護の相談に行くが受けられず、お金も底をつき、母親を殺害。自ら
も自殺を試みるが、一命をとりとめた(『反貧困』湯浅誠著、岩波新書)。
 また、認知症の親を、息子が「捨てた」ケースもある。
 親は59歳、次男は29歳。糖尿病が悪化した親を引き取るが、認知症の症
状がひどくなる。次男の妻は妊娠中で親の世話をしきれない。次男は「親類に
預ける」と言い、近くの川の橋の下に布団や毛布を運んでそこに「親を捨てた」。
仕事帰りに弁当やパンを与える生活。豪雨で橋の下にいられなくなった時には
ホームレスがいる公園まで移動させた。家のローンもあり、自分は働くので精
一杯だったという。(朝日新聞 07.9.9)

育児放棄への世間のバッシング

 公的なセーフティネットがあまりにも貧弱なこの国で、唯一頼りになるセー
フティネットは多くの場合、「家族」だ。しかし、家族に頼れない場合は餓死
などの悲劇が起き、頼れる家族がいたらいたで、必死で支え合った結果「共倒
れ」となってしまうことも珍しくない。
 が、そんな悲劇に、冷淡な反応を示す人も多い。
「助けられなかった家族に問題がある」「昔の家族はもっと助け合ったものだ」
など、モラルの話にしてしまうのだ。
 特にこういった問題が「育児」の領域で現れた場合、世間のバッシングはよ
りひどくなる。
 06年11月、埼玉県のアパートで火事があり、2歳の男の子が亡くなった。
24歳の母親はシングルマザー。火事の日はスノーボードに出かけていて、男
の子は1人だった。
 こう書くと、世間から猛烈なバッシングが巻き起こりそうである。しかし、
果たして彼女は「子どもをネグレクトする無責任な若い母親」なのだろうか?
 この事件を報じる記事などを読むと、そうとは言えない実態が浮かびあがっ
てくる。
 この母親は事件当時、誰にも頼れずに働きながら子どもを育てていた。子ど
もを寝かしつけた午後10時から朝4時まで居酒屋で働き、日中は子どもと過
ごし、乳幼児検診も予防接種も欠かしたことはないという。スノーボードに出
かけた日はパンとオニギリを置き、寒くないようにコタツの電源を入れて外出
した。事件後、彼女は「子どもが自分でゴハンを食べられるようになったし、
一日くらい骨休みがしたかった」と泣き崩れたという。そんな彼女は、公的扶
助が受けられることなどは何も知らなかったという。(中央公論07年5月号、
民主文学08年7月号)

シングルマザー地獄の日本

 日本のシングルマザーの置かれた状況は過酷だ。しかし、それはあまり理解
されていない。だが、数字がその厳しさを物語っている。日本のシングルマザ
ーの就労率は先進国で1位。厚生省発表の「平成18年度全国母子世帯等調査
結果報告」(09年10月)によると、84.5%が働いている。なぜか。そ
れだけ公的な支援が乏しいからである。平均年収は172万円。それに児童扶
養手当てや養育費を加えても213万円。一般世帯の3分の1程度である。で
も、離婚した人だったら別れた夫から養育費があるんじゃないの?  という
疑問もあるだろう。が、厚生労働省の調査によると、養育費を貰っているのは
たった19%。この背景には、男性の側も生活が厳しい、という事情もあるよ
うだ。元夫の収入がよかったり、正社員である方が払っている率が高いという。

 この国では、夫の暴力や借金などが原因で離婚し、小さな子どもを抱えたシ
ングルマザーが一人で生きていくのはあまりにも大変だ。子連れで家を出ても、
不動産屋は無職で子連れのシングルマザーにまず部屋を貸してくれない。生活
のため、子どもを保育園に預けて仕事をしようと思っても、仕事をしていない
と保育園にも入れられない。が、子どもを保育園に入れないと職探しもできな
い。そして仕事の面接を受けても、子どもがいるとなかなか正社員としては雇
ってもらえない。子持ちの女性は「子どもが熱を出した」という理由などで休
むのでは、と敬遠されがちだ。結果、低賃金で不安定なパートなどを2つも3
つも掛け持ちするケースも少なくない。シングルマザーの中には、弁当屋や工
場、新聞配達などを掛け持ちしてなんとか子どもを育てている人が多いが、せ
いぜい月収は良くて十数万円。睡眠時間を極限まで削って子育てと仕事を両立
させている。

 以前、あるシングルマザーの人に話を聞いてショックを受けた。その女性の
知人もシングルマザー。知人は昼も夜も働く日々で、彼女は夜の仕事に行く前、
子どもに睡眠薬を飲ませるという。多くのシングルマザーは、夜の仕事に行く
前、子どもを寝かしつける。が、夜中に目を覚ましてしまったら子どもは母親
がいないことにパニックになってしまうかもしれない。だからその女性は睡眠
薬を飲ませるのだ。
 もし、睡眠薬で事故が起きたりしたら、その女性は世間から激しいバッシン
グを受けるだろう。睡眠薬を飲ませず、夜中に目を覚ました子どもが外に出て
なんらかの事故に巻き込まれた場合なども同様だ。しかし、そんな彼女は「ひ
どい母親」なのか? ひどいのは、そこまでして働かなくては自分も子どもも
食べていけないほどの状況が放置されていることではないのか?

児童扶養手当をもらう困難

 06年、滋賀県では仕事と子育ての両立がシングルマザーにとっていかに難
しいかを証明するような悲しい事件が起きている。パチンコ屋に勤める女性が、
子どもが風邪をひいていたもののどうしても休めずに出勤。その結果、肺炎を
起こした子どもは亡くなってしまったのだ。
「子どもが病気なら仕事を休むべき、母親失格だ」と口で言うのは簡単だ。が、
そうした理由で、シングルマザーはずっと仕事から排除されてきた。彼女には、
そんな理由で休めば今の仕事を失ってしまうという恐怖感があったのだろう。
そこまで追い詰められていなければ、風邪の子どもを置いて出かけることなど
できない。

 母子家庭が受けられる支援には「児童扶養手当」があるが、満額で月に4万
2370円。しかし、シングルマザーの女性に話を聞くと、ダブルワークをし
ても月収で10万円いかないケースなどザラにある。そうすれば月収14万円
程度。ここから家賃や光熱費を払い、子どもを育てていくのは難しい。そして
その児童扶養手当の申請にも、生活保護の申請同様、水際作戦がある。『貧困
の現場』(東海林智著、毎日新聞社)には、愛知県の市役所の窓口で児童扶養手
当の申請を告げた女性が、担当者にプライバシーに関することを根掘り葉掘り
聞かれた上に、別れた夫と性的関係があるかどうかまで聞かれる、という実例
が紹介されている。しかも、相談室などではなく、普通に人が行き来する窓口
でだ。こんなふうに、児童扶養手当をもらうこと自体が困難なこともある。そ
の上、児童扶養手当の存在自体が知らされていない。スノーボード中に息子を
死なせてしまった母親は、公的扶助が受けられることなど知りもしなかったの
だ。

「餓死」に直結する実情

 そんな母子家庭で、母親が働けなくなったらどうなるか。前出の『生活保護
「ヤミの北九州方式」を糾す』には、生活保護問題対策全国会議で、あるシン
グルマザーがみんなの前で語った体験が紹介されている。
 女性は47歳で、9歳の男の子の母親。夫の借金が原因で離婚してからは配
達や喫茶店のアルバイトをする。が、狭心症となり、週に1度しか働けなくな
る。夫からの養育費はゼロ。家賃は滞納し、電気やガスは止まる。生活保護の
申請に行くが相手にされない。ガスが止まっているので、不憫だと思いながら
も子どもを水風呂に入れたこともある。自殺も考えたが、たまたま生活困窮者
の支援団体「もやい」を見つけ、申請に弁護士と司法書士が同行すると生活保
護はすぐに開始された。
 このケースはたまたま「もやい」に出会ったから救われたわけだが、そうで
なければどうなるのか。
 02年、倉敷で、誰にも助けを求めることができなかった50代の母親が、
11歳の娘を餓死させるという事件が起きた。母親は70代の男性の家に娘と
ともに住まわせてもらっていたが、男性が入院。そのまま所持金が尽き、家に
あったハチミツなどを舐めつくした果てに娘は餓死。発見された時には母親も
栄養失調で衰弱していた。
 こんなふうにして、日本のいたるところで「餓死」は起きている。第2回で
も触れたように05年だけでこの国の餓死者は82人。子どももいれば、生活
保護を受けられなかった大人もいる。もちろん路上生活者もいる。

「自暴自棄」になるまでに追い詰められて

 そして08年3月、埼玉でまたしても餓死事件が起きた。餓死したのは2歳
の男の子。30歳の母親には6歳の長男と2歳の双子の男の子と女の子がいた。
内縁の夫は名古屋に単身赴任中。2月に近くの居酒屋の店員と交際を始め、そ
の男性と同棲するために3月3日、「ママはもう帰らない。後はよろしく」と
長男に双子の世話を頼んで家を出る。子どもたちがいるのは母親の祖父母宅。
が、母親は祖父母を部屋に入れないよう、長男に厳しく言い付けていたという。
「おなかがすいたら電話をかけて」と言われていた長男が一日数十回電話した
が、母親は一日に一、二回、パンやハンバーガーを玄関で渡すだけだった。
 その間、母親は交際相手の男性と遊んでいたのだが、3人が置き去りにされ
て10日後、「弟が大変。起きない」と長男から電話がある。しかし、部屋に
入る勇気がなく、母親は居酒屋で浴びるように酒を飲み、翌日、ベビーサーク
ルで餓死している次男が発見された。長女も衰弱している状態で、2人とも母
親が出ていってからは一度もおむつを替えられていなかった。
 母親は逮捕され、9月3日、懲役6年の判決を言い渡された。長男は「全部
ボクが悪い」と自分を責め、母親をかばっているという。当時6歳だった長男
は、双子の弟と妹を笑わせようと必死だったそうだ。が、餓死した次男は、い
つも泣いてばかりいたという。
 なんともやりきれない事件で、猛烈なバッシングに包まれそうな母親だが、
彼女の供述も火に油を注ぎそうなものばかりだ。
「20歳前後から育児に追われていたので、一人の女として自由になりたい」
「育児が大変で自分の時間が欲しかった」
 弁護側は、内縁の夫や実母らの支えもなく、「育児放棄になりやすい状況だ
った」と主張した(朝日新聞08.9.3夕刊 asahi.com 08/8/21)。

 それにしても、謎の多い事件である。なぜ、祖父母が同居していたのにここ
までひどい状況になってしまったのか。なぜ、6歳の子どもに「後はよろしく」
と頼めるのか。6歳の子どもが2歳の双子を世話するのにあまりにも無力であ
ることは誰にだってわかる。
 報道だけでは「男を優先させた無責任な母親」像が浮かび上がってくる。が、
果たして本当にそれだけで片付けてしまっていいのかと、ここまでシングルマ
ザーの状況に触れてきて、思う。なんだか彼女が精神的に追い詰められた果て
に、あえて何もかもを放り出して無理矢理男に「逃避」したようにも見えてく
るからだ。たった一人で3人の子どもを育てる日々。「後はよろしく」と子ど
もから逃げ出し、しかし、その後は少しでも気を緩めてしまうと叫びだしそう
なほどの罪悪感の中で、だけどどうしても家には帰れないという葛藤。一分一
秒が「取りかえしのつかない」時間の中で、何も考えてしまわないように浴び
るように飲むお酒。どうしてこうなったのかは、たぶん、本人にも説明がつか
ない気がするのだ。
 同じような、親の「自暴自棄」によるとも見える子どもの餓死事件は、07
年2月、北海道でも起きている。逮捕されたのは21歳のシングルマザー。無
職。男の子2人を置き去りにし、1歳の男の子が餓死した。

多くの児童虐待の原因は「経済的問題」
 
 多くのシングルマザーが、金銭的にも精神的にもギリギリの状態で働き、子
どもを育てている。しかし、その頑張りの糸が切れてしまった瞬間、子どもは
容易に餓死の危険に晒されるという現実。
 それは「だらしない母親」という側面からバッシングされるだけの問題では
なく、シングルマザーへの公的支援の問題として考えられるべきだろう。いく
らモラルを説いたところで、お金がなければ生きていくことはできない。シン
グルマザーだけでなく、多くの児童虐待の原因は、親のモラル以前に「経済的
な問題」だ。
 家族は助け合え、家族なんだからこれくらいのことは我慢しろ。そう言われ
続けているうちに、取りかえしがつかなくなってしまう事態。
「小さな政府」というかけ声のもとで、福祉や社会保障はずっと切り捨てられ
てきた。弱者に対する公的支援は本当に必要な場所へは届かず、その時に「家
族」の「助け合い」が持ち出される。もう家族では到底手に負えない事態にな
っても「家族なんだから」とモラルを持ち出され、悲劇が起これば断罪される。

もう少し助けを求めやすい社会だったら

 ここに出したすべての例が公的福祉やセーフティネットの貧困が原因で起き
た事件とは言い切れないだろう。ただ、もう少し助けを求めやすい社会だった
ら、もう少しセーフティネットが充実していたら、と思ってしまうのは私だけ
ではないはずだ。もちろん、すべての福祉事務所や役所の対応がここに書いた
ようにひどいわけではない。適切な対応をしてくれる職員も多くいる。
 最近、障害を抱える男性と話をして、改めて「家族」の問題について考えさ
せられた。中学時代、彼には重度の障害を抱える友人がいたという。しかし、
中学3年生の時、その友人は母親に首を絞められて殺されてしまった。それま
で障害を持つ息子を介護する母親は「献身的な母親」として周りの目には映っ
ていただろう。「心あたたまる美談」として語られていたかもしれない。が、
時に家族のみが病人や障害者を丸抱えするということは、こういう悲劇が起こ
るということだ。

弱者を守るのか、切り捨てるのか

 この原稿を書いている最中、OECD諸国のうち、教育への国・自治体の支出
がデータのある28カ国中、日本が最下位であることが報じられた(朝日新聞
08.9.10)。国や自治体の支出が少ないということは、それだけ家計の負担が重
いということである。そしてそれは、金持ちの家に生まれればよりよい教育が
受けられ、そうでない場合は選択肢が狭められる、という問題に直結する。こ
んなところにも、この国の姿勢が見てとれる。
 が、それは当り前のことなのか? 例えば、ヨーロッパの多くの国では大学
まで学費は無料だ。そうすればシングルマザーでも子どもの学費に苦しめられ
ることはない。フランスでは「RMI(エレミ)」という失業給付があり、それは
主に若者を劣悪な雇用から守る社会保障制度だという。ひどい職場で働くくら
いなら、失業給付を受ける方がマシだ、という発想だ。そうすることによって、
劣悪な雇用がのさばることはない。この発想も日本にはまったくないものだろ
う。だからこそ、違法派遣や二重派遣がはびこる日雇い派遣の劣悪な労働が広
がっている。また、デンマークでは大学の学費はもちろん無料の上、大学生に
は月に8万円ほどが支給されるという。学費と生活費のため、バイトに追われ
る日本の大学生が聞いたらなんというだろうか。
 もちろん、これらの国のすべてがいいわけではないだろうが、そうして弱者
を守ろうという姿勢の国がある一方で、この国は弱者切り捨てをより進めよう
としているかのようだ。
 社会保障の貧困の言い訳に利用される「家族」。今後、家族が大切、家族の
助け合いや地域住民の助け合いが大切、なんていう一見「正論」に見える言い
分には、気をつけた方がいいかもしれない。
 その多くは、「自己責任」を家族単位に広げたものに過ぎないからだ。
                              (つづく)

┌─────────────────────────────────┐
│雨宮処凛(あまみや・かりん)
│1975年北海道生まれ。
│幼少期からイジメを受け、10代はリストカットと家出、ビジュアル系バン
│ドの追っかけに使い果たす。96年、右翼団体に入会。愛国パンクバンド
│「維新赤誠塾」でボーカルとして活動。99年、その活動が映画「新しい
│神様」になる。
│2000年『生き地獄天国』(太田出版)で作家デビュー。以降、右翼を
│脱退、執筆活動に専念する。
│著書に『自殺のコスト』(太田出版)、『暴力恋愛』(講談社)、『右翼と
│左翼はどうちがう?』(河出書房新社)、などがある。07年『生きさせろ!
│〜難民化する若者たち〜』(太田出版)で日本ジャーナリスト会議(JCJ)
│賞受賞。現在は生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)
│の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。
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    ☆3)『アメリカ・インディアンは何を考えてきたか』
                  −第6回−  管 啓次郎☆
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土地への所属 三つのかたち
 
 土着。土に着くこと。この言葉を、ありのままに捉えてみたいと思う。
 ある土地に住みつき、土地が分け与えてくれるものを食い、身にまとい、土
地の年ごとの変動にすべてをゆだね、いつか土地に死んでゆく。アメリカ大陸
にかぎらず世界のあらゆる地域で、先住民と呼ばれる人々は――そしてつい昨
日までの「われわれ」のすべては――土に住み、土地をこの上なく大切なもの
と考え、一定の範囲をもったテリトリーに所属してきた(定住民か移動民かと
いうライフ・スタイルのちがいによって、かれらが知覚し把握している土地の
範囲や性質には大きな差があったにせよ)。
 まずは、もっとも基本的な問いに戻ることにしよう。
 なぜ土地は大切だったのか? 三つの側面が考えられるだろう。
 
(1) それは、人が生きるための物質的根拠のすべてを、土地が与えてくれ
たからだ。
 狩猟採集によるにせよ、牧畜や農耕によるにせよ、食物と水や熱、生きてゆ
くために必要なエネルギーの循環は、すべて土地があまりにも寛大な好意をも
って、無償でもたらしてくれたものだ。この肉を作り、この私を動かすものは、
すべてこの土地に由来する。だからわれわれは、何よりも純粋にマテリアルな
意味で、この土地の者なのだ。
 これを「物質的所属」と呼ぶことにしよう。
(2)ついで、土地とは自分の父母や祖父母やあらゆる先祖たちが死に、葬ら
れ、文字どおりに土へと還っていった場所だからだ。
 この血統の伝統に、自分もやがてはしたがうにちがいない以上、いずれは自
分もまた現実の人生よりもはるかに長い死後の生を、このおなじ場所で生きて
ゆかなくてはならない。現世にあったささやかな移動の自由は死後の生には望
めず、自分はこの丘、この森、この川辺、この空と一体になって、多くの祖霊
たちとともに無限の長い時をここですごすことになる。だったら、生きている
今から、この土地をいつくしみ、居心地のよい場所にしておくのは当然ではな
いか。この生涯の「私」として、限定された時間だけ集合している物質がすべ
て離散したのちにも、「私」の記憶をもってかもたずしてか、霊魂はとどまる。
 そんな考え方を「霊的所属」と呼ぼう。
(3)最後に(もちろん以上の二点と深く関連することだが)ただ単純にいっ
て、土地は「美しい」からだ。
 この美しさは、生きることの実際的な必要とも深く関わっているにちがいな
い。土地は物質的なあらゆる恵みを自分に気前よく分け与えてくれるから、美
しい。自分がその風景に深く所属していることを事あるごとに保証し、必要を
感じたならいつでも目に見えない風の毛布で自分をくるみ抱きとってくれるか
ら、美しい。さらに、こうした経験的な理由づけを超えて、それが自分自身に
本当に有機的に(物質交換をともなって)体験しうる「世界」そのものの姿で
あることによって、美しい。人間のあらゆる判断・尺度・意図を超えて、そこ
にはある完全な調和がある。その美しさに激しい愛着をもつことは、それ自体
が、土地の無償の贈与に対してヒトにできる唯一の報いなのだ。
 こんな考え方を「審美的所属」と呼ぼう。
 
「物質的」「霊的」「審美的」な、土地への所属。こう並べてみると、貨幣と物
資の流れに浮かぶ都市の網目を流浪するわれわれが、いかに土地への所属のす
べての絆を失ってしまったかに、慄然とせざるをえない。人間が作る都市とは、
生物の居住形態としては、異常事態なのだろう。遠くからやってきた物資が集
積し、厖大な人口が居住し、生物種の数が動植物を問わずひどく限られ、環境
を制御するために莫大なエネルギーが消費される。そんな肥大した大小のこぶ
のような都市と都市をむすぶネットワークが、ひとつのメタ都市を作り上げ、
ぼくらはそこに関わっているかぎりにおいて生存を確保している。それは仕方
がない。だがヒトの居住がこのようなかたちになったのは、まだまだごく最近
のことでしかない。
 自分自身に対する注意として、問いを発してみてもいいだろう。
 きみは自分を作り上げる物質の故郷を知っているか。
 きみはきみの祖霊たちが宿る場所をそれとさししめすことができるか。
 きみはきみが生活圏とする土地のいくつかの美しいポイントに回帰的にたた
ずむことがあるか。
 この三つの問いに「はい」と答えられるとき、人は「土地の人々」(ネイテ
ィヴ)なのだ、と定義できるように思う(したがって農耕の開始以降の世界に
も、世界市場の本格的展開以後の近代にも、「土地の人々」はついこのあいだ
まで、いたるところにいた)。
 しかしわれわれは、もはや土地に所属しない。帰還の道すらない。安定した
所属へのノスタルジアを抱くことも禁じられている。貨幣経済に全面的に依存
して現代の都市ネットワークに居住する「われわれ」は、「土地」から、配列
された人工物の群れと歴史の遷移によって、あらかじめ引き離された存在でし
かなくなっている。けれども「かれら」はちがった、というのがこのエッセー
の根本的な出発点だ。
 世界の土地の人々の伝統が、どんなふうに土地に所属してきたかを見るため
の手がかりのひとつとして、広大な北アメリカ大陸というもっとも人口密度の
稀薄だった大地に少しずつ居住空間を開いてきた「かれら」アメリカ先住民の
生活と考え方をたずねてみる。ヒトの歴史における現在のわれわれの逸脱(グ
ローバル消費社会の全面的展開)がいかに大きなものかを考えなおすための小
さな一歩を、さらに踏み出すことにしよう。
 物質的・霊的・審美的という三つの所属をめぐる反省が、今日ではエコロジ
カルな意識として噴出しているのだと考えていいだろう。「物質的所属」を問
いなおすことが、科学としての生態学の基本だった。一方、「土地の人々」の
「霊的・審美的所属」を対象化して考え、ひるがえって自分自身の土地との関
係を問いなおすことが、それ自体さまざまな立場をとりうるスピリチュアル・
エコロジー(ないしはディープ・エコロジー)の基本をなす。
 さまざまな立場というのは、そこには仏教やキリスト教といった世界宗教を
背景にするものも、あからさまに先住民世界の意匠を借りてきてそれに同化す
るニュー・エイジ神秘主義も、ある種の反宗教的立場からヒトという種の生存
の倫理と美学を考えつつ結局はなんらかの超越性の次元(隠された神)と手を
切ることができないものも、含まれているから(したがってここでは「スピリ
チュアル」という単語を、きわめて広い意味で使っている。倫理的な折り返し、
というか、観念的反省に立つ自己規制が見られるときに、その態度をスピリチ
ュアルと呼ぶことにしても、そのとき「スピリット」すなわち「霊、魂」を実
体化して考えているわけではない)。
 
生きられる多様性

 どうにも否定のしようがない、われわれの生の最初の与件は、土地の圧倒的
な現れだ。世界のすべての土地は畏怖すべきものだが、その美しさには土地ご
とにさまざまなかたちがあるだろう。北アメリカ大陸に話をかぎっても、地表
の多様性は驚くべきものだ。
 太平洋岸北西部、緯度のわりにはきわめて暖かい温帯雨林の濃密な緑と霧、
重い雨雲と澄みきった静寂、川面を跳ねる鮭の群れ、海を泳ぐクジラ。
 南西部高原砂漠の、岩山とサボテン、はてしない視野の開放とひそやかに育
つトウモロコシ、舞い飛ぶハチドリ、歌う犬コヨーテたちの遠吠え、藪に潜む
ジャックラビットや剛健な陸亀。
 ロッキー山脈東麓高原地帯の、風に波打つ緑の海のような大草原、それを埋
めつくす茶色い波のような勇猛なバッファローの大群、自分の手足となって活
発に働いてくれる馬、大空を旋回する鷲。
 南部沼沢地帯の、まるで空中から水滴が湧きおこってきそうな湿気と熱、水
にひそむワニやマナティー、水辺に集うフラミンゴやペリカン、あるいはペカ
リーやマスクラット。
 これら互いにまったく異なった風土のすべてに、無数の世代をかけて東アフ
リカから拡散し、ユーラシア大陸をはるばる横断し、ついでベーリンジア(氷
河期に陸橋化したベーリング海峡地域)を歩いてわたってきた人々が、太古か
ら住み、土地ごとの生き方を編み上げてきたのだ。
 そして異なった生き方があるところ、異なった言葉があり、異なった考え方
がある。それでもあらゆる「土地の伝統」に共通するのは、元来流浪する存在
であった自分たちが、ある決定的な選択によってこの土地に住むようになり、
この土地を心から愛し、土地に感謝し、これからもいつまでもここに住んでゆ
こうと思っている、という決意だ。
 いや、それを決意と呼ぶことは避けたほうがいいのかもしれない。それは「あ
れもこれも選べるけれど、とりあえずこれにしておこう」といった程度の、ぼ
くらが日々おこなっている決意よりは、はるかに選択の余地のない運命に似て
いる。それでも、口伝えの教えや祈り、歌や生活の細部にいたる掟によって、
人々が世代ごとに(あるいはひとりの生涯の中でもその大きな節目ごとに)「こ
の土地で生きてゆくのだ」という決意を確認しつづけてきたことは、まちがい
ない。空をかけてゆく太陽の運行に合わせて、毎年の周期の中で祝われる部族
の儀礼は、どれもこの根源的な決意の確認であり、確認の上演=再現にほかな
らなかった。
 
土地という母
 
 一九六〇年代以降のエコロジー的意識の高まりとともに、「母なる地球」(マ
ザー・アース)という表現はおなじみのものとなり、それはイギリスの風変わ
りな民間科学者ジェイムズ・ラヴロックの「ガイア仮説」(地球全体をひとつ
の生命単位とみなす説、ガイアとはギリシャ神話の大地の女神のこと)にまで
連続している。
 もちろん、土地を母と呼ぶ言い方が、ごく近年にはじまったものであるはず
はない。それはヒトがヒトとしての意識をもちはじめたのと同様に古いものだ
ろう。エコロジー的な運動への意識は、科学としての生態学の知見が土着のさ
まざまな知恵を発見し、いわば隔世遺伝的にそれを継承してゆこうとする意志
の中から生まれてきたものだ。その流れで使われるようになったマザー・アー
スという呼び名は、六〇年代カウンター・カルチャーの基本語彙のひとつであ
り、アメリカ・インディアンへの非本質的転身という流れに密接に関係してい
る。
 古典古代(つまり文書が残されるようになった時代)以前の多くの文化に、
大地母神は存在した。ある生産の力を地中という母胎に宿し、天から降り注ぐ
太陽の光や雨の水による「受精」を経て、さまざまな植物を大きく育てる大地
が、「母」という大いなる女性だと見られたことは当然だったのかもしれない。
水と光という特別な精液をもたらす空および太陽が「父」、直接的に事物を抱
きとり大きく育てる土地が「母」と見られることには、ある明快な洞察が感じ
られる(もっとも、たとえばチェロキー族にとっては「太陽」は女性だったし、
月はその「弟」だったという。それにまた、自然物に対するこのような性別の
指定も、男にも女にも男性と女性が共存しているとするナバホ族のような円満
な判断の前には、あまり意味をもたなくなる)。
 それでもここで、「父なる太陽」と「母なる大地」という対を考えてみるこ
とは許されるだろう。こうした対の形成はあくまでも認識の一表現であり、別
にそこに本質的な永遠不変の真理を見出そうとしているわけではないのだか
ら。
 いったいどの部族の神話にそういうカップルが現われるのか、という実証性
も、ここにかぎっては問題にならない。「アメリカ・インディアン」という大
雑把な呼称を採用したときからただちにはじまる「パン・インディアニズム」
(個々の部族を超えた共通の地平をはたして語ることができるかどうかという
試みそのもの)、新たな神話創設の平面に、とりあえず太陽と大地のカップル
を置いてみるというだけのことだ。現代におけるそんな神話は、いかなる既定
の超越性(神)も前提としない。むしろそれは、なぜ祈るのかと問われて、た
だ祈ることができるから祈るのだ、と答えるような態度に近い。世界宗教が
「神」と呼ぶ何かにむかって祈るのではなく、ただ自然にあるがままにある存
在そのものの剥き出しの姿に対して、敬虔さの練習にとりくんでみる、という
ことだ。
 ここで断っておくが、ぼくとしては霊界の存在も死後の存在も信じるわけで
はなく、なんらかの超越者に身と心をゆだねるつもりはまったくない。ただ世
界を織りなす物質の流れの圧倒的な循環ぶりに目をみはり、その循環に鋭敏に
目覚めた人々の古来の精神のあり方に感嘆するだけだ。
 それでもこの素朴な、超越性なき敬虔さの練習が、万物に霊魂が宿るとする
アニミズムの世界観にきわめて似かよってくることだけは、認めてもいい。さ
らにはそのとき、あらゆる宗教を超えて、アニミズムとは実践的にいって正し
い態度なのだ、とはいってもいいだろう。現在の世界の最大の問題は生物多様
性の破壊であり、人間の自己規制として生物多様性の維持にむかう可能性のあ
る思想はすべて多かれ少なかれアニミズムの色彩をおびるのではないか。
 太陽と大地をめぐって、ナバホの神話はこういう。父である太陽は絶大に強
力な神だが、その父の力は「地表の人々」(アース・サーフェス・ピープル)
にとっては、あまりに過剰なところがある。それで太陽に長時間あたれば、肌
がひりひりと焼けてしまうのだ。ところがそのときにも「姿を変える女」(チ
ェンジング・ウーマン)とも呼ばれる母なる大地は、適切な薬草をちゃんと準
備して、それで火傷を治してくれる。この母は産み、育て、手助けし、癒し、
つねに子供たちに気を配ってくれるのだ、と。
 空や太陽はたしかに父かもしれないが、それは手の届かぬ、直接には接触す
ることができない、恐ろしい父親。それに対して、つねに直接に体をふれあう
相手であるこの大地という「母」に、人は物質的・霊的・審美的に、全面的に
所属した。たとえば南西部のプエブロ・インディアンでは、共同体の全員がそ
のいずれかに属する「氏族」は、母系によって決まる。家や財産の継承も、ま
た母系に立つ。かれらにとって、社会的な存在はあくまでも「女」を中心に構
想され、運営されてゆくのだ。
 それなら何の見返りも求めずに産み、育て、世話をする「母」への義務が、
人間の母だけではなく、はるかに広大無辺な「土地という母」にまでおよぶの
も、当然だろう。一神教世界宗教の原型だといえるユダヤ教が、父である神と
男たちのあいだの言語化され文字で記録された契約に基礎を置くのに対し、プ
エブロ世界では、母である神と女たちとのあいだの沈黙の儀礼が日々を支えて
いる。
 ここでは、人々は土地という母をよく敬い、彼女に住む種々の動物や植物た
ちによく気を配り、土地の体を傷つけないようにしなくてはならない。土地を
私有するとは、あまりにばかげた考えだ。土地を売買したり、鉱物を掘ったり、
木々を大規模に伐採したり、動物を狩りつくしたりしてはならない。水を汚し
てはならない。野生の、あるがままの姿を損なってはならない。そして機会あ
るごとに、歌や踊りによって土地への感謝をよく表し、よく祈り、土地を知る
ためによく歩かなくてはならない。
 ところが、アメリカ大陸への侵略を開始したヨーロッパ系白人たちは――さ
らにはヨーロッパ的な市場と産業の原理を社会の基礎として採用した近代世界
のすべてのわれわれは――これらの原則とは正確に対立することばかりをやっ
てきたのだった。                       (つづく)

                  
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│管 啓次郎(すが・けいじろう):1958年生まれ。翻訳者、エッセイスト、
│比較文学者、明治大学理工学部教授(総合文化)。
│著書に『コロンブスの犬』(弘文堂)、『コヨーテ読書』(青土社)、
│『オムニフォン』(岩波書店)、『ホノルル・ブラジル』(インスクリプ
│ト)など、訳書にリオタール『こどもたちに語るポストモダン』
│(ちくま学芸文庫)、コンデ『生命の樹』(平凡社)、ベンダー『わがま
│まなやつら』(角川書店)などがある。          
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  □4)『夢の男―やさしさの豊かさ―』            ■
  □        第3回 「動物化するおばさんたち?」   ■  
  □                       信田さよ子  ■ 
  =============================================================
 

 知人にこの連載を開始したことを伝えたら、あきれたような顔をされた。そ
れは、連載などという重荷を抱えることに対してだけではないだろう。たぶん、
題名を聞いたとたんに起きた反応なのだ。「あ〜あ、飽きもしないで」という
言葉がその顔に書かれているようだった。私の年齢に夢の男という言葉を接合
すると、一種の化学反応が起きるかのようだった。そんな反応に私は既視感を
おぼえた。
 ちょうど今から4年前、NHK総合テレビで放映されたことからじわじわと
人気が出た韓国テレビドラマ「冬のソナタ」についてはここで説明するまでも
ないだろう。韓国ドラマとしては過去最高の視聴率を叩き出し、出演した俳優
たちはいずれも高い人気を博した。中でも主演俳優のぺ・ヨンジュンにいたっ
ては、「ヨン様」という呼び名が定着するほどの熱狂ぶりだった。ドラマに登
場する春川(チュンチョン)の並木道などをめぐる冬ソナツアーも、旅行会社の
ドル箱商品になった。一説によると、一連の冬ソナブームが日韓両国にもたら
した経済効果は2000億円を超えたといわれる。

「冬のソナタ」にズブズブにはまった

 わざわざ断らなくても周知の事実かもしれないが、実は、私は自他共に認め
る大変なミーハーなのである。一定の世代にしかこのミーハーという言葉は通
用しないのかもしれないので、サブカルに強く、そして流行に乗りやすいと言
い換えておこう。それも、ちょっとばかりプライドが邪魔をするので、最初は
軽蔑しながら横目で眺めているうちに、いつのまにかズブズブにはまってしま
うという経過をたどる。これが、私のミーハーぶりの経験則である。
 最初に冬ソナが面白いという話を聞いたときは、どうせまた定型的なラブロ
マンスなんだろう、おまけに主人公の高校生を20代後半の俳優が演じるなん
てとんだ茶番だろうと、鼻でせせら笑っていたことを記憶している。ところが、
一度見たとたんにはまった。強烈なハリケーンの渦に巻き込まれたかのように、
あの一種独特の非現実的なドラマの世界にどっぷりと浸ってしまったのだ。多
くの視聴者同様、私はどっぷりと女性主人公のユジンに我が身を重ねてしまっ
ていた。
 ぺ・ヨンジュンの顔や肢体は、あのきめ細かな皮膚の細部まで独占したいと
いう欲望を喚起した。最初の反応からみれば、まったくもって無責任なほどの
豹変ぶりである。それからは、もう包み隠すことなく友人たちにヨン様ファン
であることを公言し、写真集があれば買い、机の前にはポートレートを貼った。
テーマソングや挿入歌を耳にするたびに、脳内にはあの世界が直ちに現出する
のだった。しかし、ただの熱狂で終わってはつまらないので、できる限りそん
な自分を観察してみようとも試みた。
 ところが、私が「ヨン様」、時には「ぺ・ヨンジュン」と口にしたとたんに、
相手の顔になんともいえない表情が走るのだった。一筋縄ではいかないそれら
の反応は、複雑に見えて、実は驚くほど似ていた。とにかく笑みを浮かべるの
だが、あまりにパターン化された反応は、私にしてみればどうにも心地悪い。
いったい、あれはなんだろうという疑問がずっとくすぶり続けていたことに気
付かされたのが、冒頭の一件だったのだ。いやーな印象を受けながら、それを
言えずにぐっと我慢してきたのだ。

「ヨン様に熱狂している」カムアウトへの男女の反応の違い

 多くのひとたちが、私がヨン様に熱狂していることをカムアウトしたとたん
に見せた反応は、興味深いことに、男性と女性とでは異なっていた。意外にも、
男性のほうがストレートであり、好意的だったのだ。「ああ、そうですか、あ
れは面白いドラマですからね」と相槌を打ってくれたり、中には「妻があそこ
まで夢中になってしまう秘密を教えてくださいよ」といった真剣な意見もあっ
た。おそらく彼らはわけがわからなかったのだ。突然、妻が部屋を閉め切って、
ひとりだけで何度も冬ソナのビデオを見て涙を流す行為を理解できなかったの
だろう。
 ところが、マスメディアの反応は違った。テレビの男性コメンテーターたち
は、成田空港でのぺ・ヨンジュンの出迎え場面を、判で押したようにあきれ果
て小馬鹿にしたように見つめた。「仕方ないねえ、あのおばさんたち」といっ
た風情で溜息をつき、ふっと鼻先で笑ったのだ。村上春樹ではないが、どの男
性も「やれやれ」という顔つきをしてみせたのだが、それはまるで群れをなす
動物を見るような目つきだった。社会現象としてはひんしゅくものだが、個人
としてはどうでもいいという落差は、彼女たちの冬ソナ現象は夫たちにとって
ほとんど無害なできごとだったことを表している。

 いっぽう、同性たちはどうだったのか。彼女たちは、まず私を笑った。大声
で、時にはひそやかに。その笑いにこめられたものを丹念にひろいあげるのは、
なんとなく気がすすまないのだが、やはりそれは冷笑だったと思う。あられも
なく、年甲斐もなく、あなたは一体何をしているのか、という叱責をこめたま
なざしである。そこには、私をヨン様の追っかけおばさんと差異化するという
前提があり、それなのに、あんな愚かな中高年女性と同じ行動をするなんて、
あなたはわたしたちと同じ陣営に所属しているはずでしょ、というメッセージ
が含まれている。口に出して言うにはあまりにばかばかしすぎる行為なので、
せいぜい口をゆがめて笑うのだ。つまりあの笑いには、ヨン様フィーバーのお
ばさんたちへの深い蔑視と同時に、私への好意から出たものと信じたいのだが、
そんなおばさんたちと歩調を合わせる私への警告のふりをしたひそやかな軽蔑
が含まれていたのだ。

おばさんの性的欲望を蔑視するまなざし

 ではそもそも、なぜヨン様にはまることがそれほど軽蔑されなければならな
いのだろうか。狂奔し、徹夜で成田空港に待ち伏せる彼女たちのエネルギーの
底に、性的欲望のにおいをかぎ取るからこそ、それは軽蔑されるのだ。私はそ
う断定していいと思う。どれほど「あこがれ」「ロマンチック」「まるで少女
のように」といった言葉で偽装されようと、そこにあふれた性的エネルギーは
隠しようもないだろう。だからこそ、メディアも良識ある女性たちも、あの表
情を見せる。そう、蔑視するまなざしの向こうにあるのはまるで群れをなす動
物のようだ。ペットでもなく、どうもうなライオンでもない。大勢で群れをな
し、集団にかこつけて性的エネルギーをあらわにする「動物化するおばさんた
ち」(注1)をそこに見ているのだろう。
 男性たちの風俗での遊びやキャバクラなどに比べれば、かわいいもんじゃな
いかと思うのだが、それでも社会のある種のコードにひっかかるのだ。そこに
は、中高年の女性たちの性的欲望をめぐるドミナントな言説の存在が横たわっ
ている。中高年の男性と若い女性のそれとを対比しながらみてみよう。

 中高年の男性にとっての性的関心は、おそらく彼らの性的ポテンシャリティ
にあるだろう。できるかどうか、それが問題なのだ。週刊誌やスポーツ紙を埋
め尽くすバイアグラをはじめとする数々の薬の宣伝は、何より雄弁にそれをも
の語っている。なにしろ男性なのだから、いくつになってもできるかどうかは
別として、彼らが性的存在であることはそれ程奇異ではない。若い女性たちは、
性的欲望の対象であることはいうまでもなく、彼女たちの性行為は、そのまま
出生率の上昇にもつながるだろうし、究極的には人口減少の歯止めにつながる
のだから大きな関心事である。
 ところが、中高年の女性たちの性の問題はこれまで完膚なきまでにネグレク
トされてきた。なにしろ、石原都知事の「ババア発言」にみられるように、更
年期を過ぎた女性は女性としての存在価値もないに等しいと思われているのだ
から。夫の介護要員として、孫の養育係としての存在価値はあっても、そこに
性的欲望の主体としての座は用意されていない。
 夫婦間の性交渉の頻度に関しても、英国の避妊具メーカー・デュレックスの
調査で、日本は先進諸国の中でも最下位に近いことが明らかになっている。私
の臨床経験からも、彼女たちの夫婦間の性生活はほとんど無きに等しいといえ
る。例外は、DVの夫からレイプ同然の性交渉を強いられている女性たちであ
る。彼女たちは有無を言わせぬひどく乱暴で人間扱いされないような性行為だ
けを経験してきている。悲劇的なのは、その夫たちも、妻を歓ばせていると勘
違いしている点である。

男性が常識としてつくりあげた「おばさん像」

 性的欲望の主体としては承認されず、夫からは暴力的性行為しか受けてこな
かった彼女たちにとって、いったい愛し愛される行為としての性はどこで実現
されるのだろう。西原理恵子のマンガ(注2)に、村芝居の役者と駆け落ちを
する中年女性の姿が切ないほど見事に描かれた作品があった。味気ない日常生
活に、ぽっと咲いたような感情の揺れに身を任せてしまったのだ。歌舞伎や大
衆演劇の役者を生で見ることで、彼女たちが満たされるものはあるだろう。
 とすれば、ヨン様ブームは、かつての村芝居の役者へのあこがれが、テレビ
という媒体をとおして全国規模、アジア規模にまで拡大したものともいえる。
もちろん、そこで演じられるのは江戸時代の演目ではなく、近代のロマンティ
ックラブイデオロギー(RLI)に骨がらみになった男性像である。中高年女性
が思春期に刻印されてしまった白馬のやさしい王子様の体現である。それが現
実には存在しなかったこと、おそらく今後も不可能であることを知っているか
らこそ、彼女たちは熱狂する。宝塚のように、非現実であることによる安全弁
が作動するので、一層過激になるのだ。そして、そこに性的欲望のにおいをか
ぎとれる同性だけが、ヨン様ファンのおばさんたちを蔑視する。なぜなら、あ
るべき中高年女性の姿は性的欲望をあらわにしてはならないからだ。もしくは
それを否認しなければならないからだ。しかし、それは彼女たちが自主的に構
築した姿ではない。男性たちが(世間一般が)それが常識であるとしてつくり
あげた「おばさん像」でしかない。それ以外のモデルを指し示す言説がなけれ
ば、彼女たちはそれを内面化するしかなかっただろう。だから、たとえ同性を
蔑視し「動物化」しているなどと判断したとしても、不愉快ながらも私はそれ
を責める気にはならない。                   (つづく)
                       
(注1)東浩紀の『動物化するポストモダン』(講談社現代新書、2001)から
    表現だけをお借りしたことをお断りしておく。
(注2)「パーマネント野ばら」西原理恵子、2006、新潮社



┌─────────────────────────────────┐
│信田さよ子(のぶた・さよこ)
│1946年生まれ。臨床心理士。原宿カウンセリングセンター所長。お茶の
│水女子大学大学院修士課程修了。アルコール依存症、摂食障害、ドメスティ
│ック・バイオレンス、子どもの虐待に悩む本人やその家族へのカウンセリン
│グを行っている。
│著書に『アダルト・チルドレンという物語』(文春文庫)、『愛しすぎる家族
│が壊れるとき』(岩波書店)、『カウンセリングで何ができるか』(大月書店)、
│『加害者は変われるか?――DVと虐待をみつめながら』(筑摩書房)、『虐
│待という迷宮』『母が重くてたまらない――墓守娘の嘆き』(春秋社)などが
│ある。                           
└─────────────────────────────────┘ 

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*********************************
◆  《3》スペシャル対談   ◆
********************************* 

    >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>□
    ◇                              ◇
    ◇ 『オタク/ヤンキーのゆくえ』第2回(全3回)      ◇
    ◇                東 浩紀 × 速水健朗    ◇
    □<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<

ヤンキーとオタク

東 メルマガ読者向けということで、速水さんがどんな人なのかをお伺いした
いと思います。いままでの著作を読むと、僕のような東京中心主義的なオタク
系論者(笑)がもっている妙なひきこもり感がなくて、もっとふつうに大衆的
な文化現象を捉えようとしている印象があります。まずはデビューの背景など
お話しいただけますか。

速水 僕が仕事を始めた1990年代半ばって、就職超氷河期といわれた時代で
したけど、出版業界自体は雑誌の創刊ラッシュの時代でもあったんです。とく
に、『WIRED日本版』が創刊されるなど、コンピュータ、テクノロジー周辺の
状況ががらっと変わろうとしていた。僕はその頃にアスキーという会社にバイ
トで潜り込んだんですけど、僕のような出版業界志望の学生は、表からでなけ
ればいくらでも入り込める時代でした。例えば、本田透さん(1969?)や、
僕と同じ年生まれの津田大介さん(1973?)なんかもその頃のパソコン雑誌
で働いていた口です。ところが90年代末から2000年代あたまにかけパソコン
雑誌やネット雑誌がバタバタと潰れてしまい、大勢の同業者が消えていった。
でも、そこに入れ替わるように生まれたのがインターネットの個人サイトの世
界。本田透さんは「しろはた」、津田大介さんは「音楽配信メモ」といったよ
うに、サイトの運営が、次の仕事に結びつくことになっていく。僕も、その少
し後のブログブームに乗ることができたといった感じで、そこが物書きとして
の足場につながった部分が大きいんです。

東 最近現れてきた新世代の論客、それは鈴木謙介さん(1976?)でも宇野
常寛さん(1978?)でもいいし、またそのまわりのブロガーたちでもいいけ
れども、彼らは一般に、論壇での自分の立ち位置を考えるあまり、大衆的な現
象に対峙してそのまま言葉を発するというより、それがどう語られているかに
ついての分析、つまり一種のメタ批評に近づいていく傾向があると思うんです。
 そうした流れからすると、『自分探しが止まらない』にしても『ケータイ小
説的。』にしても、そうした若手論壇と問題意識を共有しつつも、メタ批評か
らは切れて、ジャーナリストに近い仕事になっていると感じます。そういう訓
練は受けたのですか。

速水 僕は編集者としてのキャリアがいちばん長くて、パソコン雑誌を辞めて
フリーになって以降も、『タタキツクルコト 1/1スコープドッグ制作日誌』(倉
田光吾郎)、『攻殻機動隊』のDVDブックレットの編集など、いわゆる裏方
の仕事をしてきました。自分の名前を出して物書きとして仕事をするようにな
ったのは、2005年の『ユリイカ』の「ブログ作法」特集に参加したり、トー
クショーに出演したとき以降ですね。そういう意味では、ブログ出身のライタ
ーといってもいい。特に、僕がブログを開設している「はてなダイアリー」は
ライターや人文系の学者が多いと言われているブログサービスで、東さんも初
期の頃にはまさにその中心として関わられてきましたけど、純粋に、はてなか
ら出てきたライターというのは、そんなに多くないんじゃないでしょうか。だ
からといって、ブログ論壇的なところで発言をしてきたということもないんで
すけど。

東 パソコン雑誌、そしてはてなから出てきたということからすると、一般的
にはオタクな人が多いというイメージがあるんですが、速水さんの仕事はどち
らかというと非オタク的ですよね。速水さん自身は、高校時代などはヤンキー
的メンタリティーのなかで生きてきたのですか。

速水 いえ、最初にこの業界に入ったきっかけは、単なるゲーム好きだったの
で、明確にオタク側ですよ。美少女ゲームではなく『シムシティ』のような海
外のゲームが好きだったんです。むしろ単なるパソコン少年ですか。もともと
編集者でゲームクリエイターでもある伊藤ガビンさんにあこがれていたから、
アスキーという会社にバイトに行ったんです。ただ、小中高と東北や北陸とい
った地方都市を転々としていたので、ヤンキーとは切り離せない環境で生きて
きたのは確かですけど。

東 むかし、作家の阿部和重さんと話をしたときに、彼が「田舎ではそもそも
普通の奴と普通じゃない奴しかいないので、オタクとヤンキーはまざっている」
と語ったことがあって、それは印象的でした。阿部さんは山形ですが、新潟も
そうでしたか。

速水 田舎ではヤンキーと普通の奴しかいなかったという言い方はできるんじ
ゃないかと思います。憧れの女の子はだいたいみんなヤンキーサイドにいたの
で、高嶺の花でしたね(笑)。地方都市でヤンキーと接触せずに生きることは
不可能です。でも、僕が高校時代を過ごした新潟は、結構オタク度の高い街で
した。当時、僕が住んでいたのは高橋留美子の出身高校の近くで、当時は女子
校だったんですけど、ひょっとしたらここが友引高校のモデルなのか? と学
園祭に行ったりしましたね。あと、僕の出た高校の先輩には魔夜峰央がいます。
あまり有名人を輩出する場所ではないのですが、漫画家は結構出ています。

東 ヤンキー的感性とオタク的感性は、いまでこそ対極なように語られていま
すが、そんな簡単なものでもないですよね。僕の高校時代、おニャン子クラブ
の私設ファンクラブに入っている友人がいましたが、思い起こすに彼などはむ
しろヤンキー的だった。1995年以降、オタクの共同体がどんどんネットを舞
台に純化していくなかで、ヤンキー的な感性が忘れ去られていったということ
のような気もします。

速水 そうですね、アイドルファンっていうのはオタク的でもあるし、ヤンキ
ー的でもある、両方にまたがる存在だと思います。アイドルのルーツには、『ウ
エスト・サイド物語』のヒロインや歌手のコニー・フランシスのような、ポニ
ーテールにプリーツのロングスカートといった、1950年代のアメリカのティ
ーンエイジの少女のファッションや文化があります。一方、ヤンキー文化のル
ーツも『暴力教室』やエルビス・プレスリーといった50年代のティーン文化
にあるので、かなり重なる部分は多い。ヤンキー系アイドルといったら三原じ
ゅん子を思い浮かべるかもしれないですけど、むしろ岩井小百合ですよね。彼
女はポニーテールにロングスカートというフィフティーズファッションなんで
すけど、横浜銀蠅のマスコットとしてデビューしています。ロリータ風でかわ
いい系が、正統派のヤンキー系アイドルなんです。その系譜には河合奈保子が
いて、東さんの好きな「ゆうゆ」(岩井由紀子)も含まれます。
 あと、アイドルファンといえば親衛隊ですね。絶頂期の松田聖子の武道館コ
ンサートには、全国から親衛隊が集まった。彼らは統制の取れた全国規模の巨
大な集団だったんです。現在の浜崎あゆみのファンも、当時とほとんど変わら
ない親衛隊文化を継承していますしね。
 アイドル以外にしたって、ヤンキー文化とオタク文化が不可分だなあと思わ
せる領域がコスプレと痛車(いたしゃ)ですね。どちらも、自分たちの悪趣味
なところを、あえて見せようとする露悪的文化であるという共通点がある。暴
走族が改造車の品評会をやったり、つなぎの特攻服を着て集まるのと極めて似
ている。その発展系であるキグルミンなんかもコスプレですしね。

オタクvs.ヤンキー=東京vs.地方?

東 僕は『ケータイ小説的。』はいろいろな読み方ができる本だと思います。
たとえばそのひとつが、宮台真司(1959〜)、大塚英志(1958?)的な少女論
のアップデート版という読み方です。
 そもそも、日本でなぜサブカルチャーのトライブ(部族)に関する議論が盛
んかというと、それがライフスタイルと関係していて、そしてライフスタイル
というのは最終的に政治的な立場と関係しているからだと思うんです。たとえ
ば、『ケータイ小説的。』ではヤンキーは基本的に保守的だという議論がある。
それに対して、宮台さんや大塚さんが見出した都会的なあるいは岡崎京子的な
援交少女は、守旧的な家族観や結婚観から逸脱していたという意味で、どちら
かといえばリベラルな存在だったんですね。だからこそ彼らは少女たちを応援
した。
 だとすれば、それがいま「再ヤンキー化」しているというのは、とてもおも
しろい現象ではないか。地方の保守的なヤンキーが都市のリベラルなコギャル
になり、それがまたふたたび地方化しヤンキー化している。これは、90年代
からゼロ年代にいたる日本社会の変化の一側面を、正確に切り取っていると思
います。

速水 世間的にはギャルもヤンキーも一緒くたですけど、やっぱり違うものだ
と思いますね。90年代のレディース雑誌の『ティーンズロード』とギャル雑
誌の『egg』を見ると、互いに敵対する部分もあれば、レディースからコギャ
ルになった子たちも結構いたんだなというのはわかる。ただ、強い地元志向や
成熟志向、つまり早く結婚して子供を育てたいというトライブは、明確にコギ
ャルとは違うものだと思います。
 むしろ、コギャルと対比するよりも、90年代以降の都会の結婚しない「負
け犬」と呼ばれる女性、もしくはネットで「スイーツ(笑)」(雑誌などの流
行に流されやすい女性を指すネット用語)と呼ばれる女性たちと対比するべき
かもしれません。独身=可処分所得の高い消費者であると考えると。ある種の
市場にとっては結婚は先延ばしして独身者が増えるとおいしいんです。そうい
う意味では結婚しないオタクというのも、市場にとって好ましい存在である。
両方とも都市の消費者層で、市場の要請として婚期が引き延ばされているのか
もしれない。
 一方、早々に結婚して子供を作るというヤンキー的ライフスタイルは、そう
いった都会的な消費像に対するアンチテーゼなのではないかと思うんです。家
族を作ると、可処分所得は減って、もっと生活志向の消費生活に変わらざるを
得ない。ケータイ小説にブランドが出て来ないというのも、そういった消費生
活への一種の拒否なんじゃないかと。まあ、仮説レベルの話ではありますけど。

東 そこらへん、今後も速水さんが詰めてくれると嬉しいですね。たとえば最
近のブログ論壇では「非モテ」なんて言葉がよく使われます。普通に考えれば
政治的な話ではない。しかし、違う読み方もできるかもしれない。
 たとえば僕は1980年型の都市型オタクなので、基本的にはリベラルだと思
うんです。そんな僕は萌え系が好きだけど、『ガンダム』にはどうも惹かれな
い。それはおそらく、僕が『ガンダム』に右翼的でマッチョな匂いを感じてい
るからだと思う。世の中的には大きく「オタク」と括っても、そういう差異っ
て微妙にあると思うんですね。
 93年に宮台さんは『サブカルチャー神話解体』を出版し、サブカルのアイ
テムをコミュニケーション・ツールに還元しました。いまならば宇野常寛さん
がその立場です。彼らの主張は、オタク系でもヤンキー系でも、それぞれが世
俗的な人間関係を動かすためのツールとしてサブカルを使っているに過ぎない
というわけです。それは一面では真実ですが、そのうえでいまは、ふたたびサ
ブカルがツール以上の価値をもち始めているような気もします。嫌韓厨などの
問題もその位相で考える必要がある。すべてがネタだ、とひとことで言えるも
のでもない。そこで『ケータイ小説的。』を読んで、ひとつのヒントが得られ
た気がしました。
 そこでお伺いしたいんですが、少女たちが2000年代に「再ヤンキー化」し
たとして、男の子にもそれに対応する現象があるのでしょうか。
 
速水 「再ヤンキー化」っていう言葉は、90年代以降に現れている地元志向、
伝統回帰的な現象を思い浮かべて付けたものなんですけど、そのひとつの例に
Jリーグがあります。サッカーが都市に根付いているのってイギリスでは産業
革命以降の工業都市ならではの事情がある。当時、労働者層が生まれて、その
規律訓練や健康管理に用いられたのがサッカーだった。今でもマンチェスター
やリバプールといった北部の工業都市はサッカーが強いし、階層のよって応援
するチームがはっきりしている。
 でも、日本のプロスポーツというのは、野球を始め、最初からテレビのコン
テンツとしてスタートしているので、地元密着にはならないし、階層とも結び
つきようがない。だから、93年にJリーグが始まって、ヨーロッパの真似を
した地元密着型なんて言い出したときに、絶対うまくいくわけがないと思われ
ていた。イギリスの150年のサッカーの歴史をそう一朝一夕に真似なんてでき
るわけがないと。でも、たかだか10年で実際に地元密着で成功してしまう。
歴史の「捏造」がうまくいってしまったんです。
 これは、サポティスタというニュースサイトを運営しているサッカー・ジャ
ーナリストの岡田康宏氏と対談したときに聞いた話なんですけど、サッカーの
サポーターグループの中には、暴走族から転向したグループもあるらしいんで
すよ。ちょうど、90年代半ばって暴走族が激減し、Jリーグが始まった頃な
んです。そういう元暴走族のサポーターチームは、女性はメンバーに入れない
という規則が残っているそうです。暴走族も基本は女子厳禁ですから。なので、
観戦するにはメンバーの彼女という立場でしか入れない世界らしいです。まさ
に、『ケータイ小説的。』で書いた、地方の男性中心の互助組織と疎外された
女性の姿というケータイ小説の構図そのまま。ちなみに、ドラマの『木更津キ
ャッツアイ』って完全に男中心の地方のヤンキー的世界なんですけど、その中
の紅一点に酒井若菜が演じたモー子という登場人物がいる。彼女はおっぱいが
大きくて、頭がわるくて、みんなにさせ子だと思われているんだけど、実はバ
ージンという男ならみんな大好きであろう、かなり都合の良いキャラクターが
いるんです(笑)。でも、ああいう立場の女の子が現実にいたら、あれほど快
活かというと疑問です。多分、病むだろうって思いますよ。ケータイ小説の主
人公たちみたいな感じに。

東 なるほど、おもしろいですね。
 サブカルチャーについて考えるとき、地方の視線は大事だと思います。いま
サブカルチャーについて語るというと、いわゆるブログ論壇になるのだけど、
あれは現実にはかなり東京に根ざしているでしょう。ネットだからバーチャル
だと思うと、ぜんぜんそんなことはない。実際、僕が東京で講演をするときと
地方で講演するときだと、聴衆のサブカルネタへの反応が全然違うんです。東
京だと会場にブロガーが必ずいて、講演会の様子もすぐにブログにアップする。
こちらもそれを織り込んで、会場でのリアルな反応とバーチャルな反応を混ぜ
合わせて笑いをとったりする。東京以外ではそんな戦略は通じない(笑)。

速水 アマゾンを使えば全国どこでも本を買えるはずなのに、実際にアマゾン
で本を買う人を調べてみると、都会に住んでいる人たちが多いという話もあり
ますよね。

東 となると、オタク=ブログ論壇的なものとヤンキーの対立は、東京対地方
の対立に重ね合わせられるのかもしれない。

速水 まさに、そういいきれる部分は大きいです。「郊外・ヤンキー・少女」
=ケータイ小説、「都市・オタク・少年」=ライトノベルと、くっきり色分け
できるんじゃないかと思います。

東 むろん、地方にもオタクは多いので、ここで言っているのは、あくまでも
ブログ論壇化したオタクたちの話なのだけど……。
 速水さんが、講談社現代新書の『見えないアメリカ』を推薦してくれました
ね。アメリカでは、思想としてリベラルもしくは保守であることと、生活スタ
イルでリベラルもしくは保守であることは違うのだけれど、そのうえでなんと
なく両者はくっついているという議論です。僕は実は、ヤンキーやオタクなど
のトライブの議論は、そういった政治の話とゆるやかに繋がるのではないかと
思うんです。
  実際、都市在住の結婚しないオタクと、郊外にいて子沢山のヤンキーでは投
票行動も違うのではないかと思います。クルマを持たないオタクは「道路財源
一般化賛成」だろうし、地方のヤンキーはむろん「いやいや道はちゃんとつく
ってくれよ」という意見だろう。『ケータイ小説的。』の議論がそういうとこ
ろに繋がっていくとおもしろいですね。

固有名のない物語が好まれる理由

速水 前に東さんが仲俣暁生さんとのトークショーで、文化じゃないと思われ
ていたTSUTAYAやマンガ喫茶から育ってきた連中が、小説を読んだり、映画
を見たりする。そして市場を作る。それが文学にとっても無視できなくなる。
それがライトノベルブームやケータイ小説ブームの本質だというようなことを
いってたことを覚えいていて、それが『ケータイ小説的。』の骨子になってい
るんです。J-POPやコミックスなど、郊外型複合書店を文化の供給元として育
った世代が、ケータイ小説を生み出した。一方、郊外型複合書店にはゲームも
置いてあるわけで、『ゲーム的リアリズムの誕生』で指摘されているようにラ
イトノベルが生まれた環境でもあるわけです。そういう意味ではケータイ小説
とライトノベルは、同じ親から生まれた兄弟のようなものです。東さんの『東
京から考える』では、ご自身が引っ越された理由に、そのような郊外的な環境
に身を置かなければ評論家としてダメだと感じたからということを書いてまし
たけど、僕が10年住んだ下北沢を出たのも、それと似たような思いを感じて
いたというのがあるんです。

東 ありがとうございます。
 いま振り返れば、『ゲーム的リアリズムの誕生』はネットコミュニティ論と
して書いたほうがわかりやすかったのかな、という気もします。あの本で僕が
主張したのは、「コミュニケーション志向型メディアが圧倒的に優勢な環境」、
つまり、発売翌日にレビューががんがんネットに出て二次創作も作られ始める
ような世界において、それでも小説を書くとはどのようなことなのか、という
問題意識でした。
 さきほどの区分で言えば、「都市・オタク・少年」の文学環境を問題にした
わけです。それに対して、速水さんが「郊外・ヤンキー・少女」の文学環境を
明らかにしてくれた、という関係ですね。

速水 最近、妹とマイミクになったんですよ。僕の妹は去年子どもを生んで、
千葉の郊外のニュータウンで、クルマとショッピングモールが欠かせない生活
を送っている。妹のマイミクはほぼ近所の子持ちのお母さんたち。そんな妹が、
ミクシィで僕が書いた本の宣伝とかしてくれてるんですけど、まったく関心が
持たれないですね。「すごいねー、お兄さん小説とか書くんだ」っていう反応
しか来ない。小説じゃないよ(笑)。だけど、東京にいるとパーティでたまた
ま会った人に名刺を渡すと「あ、ブログ読んでますよ」なんてことは、ざらに
ある。最近は、ネットやモバイルツールって、遠くにいる者同士のコミュニケ
ーションを可能にする効果よりも、近くの関係をより強化する側面の方が大き
いんだということを切に感じることが多いです。

東 あと僕が『ケータイ小説的。』を読んで興味をもったのは、物語の抽象性
です。
 ここはむしろケータイ小説とライトノベルの共通項かもしれないけど、僕が
『ゲーム的リアリズムの誕生』で取り上げた美少女ゲームで、ケータイ小説に
似た独特の抽象性がある。つまり、たとえば主人公が病気になったとしても、
どんな病気になったかもわからないし、家族背景もわからないし、どの街でど
んな時代なのかもわからない。ただ淡々と何か悲劇が起きて、泣けるという構
造です。なぜひとが、こういう無時間的かつ無地名的な作品に惹かれるように
なっているのか、ということは考えるに値すると思います。

速水 これは大塚英志さんが『サブカルチャー文学論』の中で、昔話や口頭伝
承で使われる「昔々あるところに……」という言い方と、紡木たくなどの少女
マンガなどで使われる「あの頃僕たちは……」という言い方が同じじゃないか
ということを指摘している。それに、ケータイ小説が出てきたときに、社会学
者の鈴木謙介さんや中森明夫さんも、これはフォークロアであるといった趣旨
の発言をしています。固有名詞や情景描写がほとんど出てこないっていうのは、
なるほど昔話の世界、もしくは都市伝説なんだと納得しました。

東 僕はむしろそこに、現代社会で広い読者の共感をどのように担保するのか、
という問題への解答が表れている気がします。
 僕は『ザ☆ネットスター!』で、「『恋空』の美嘉の設定なんて大して書き
込まれてないんだから、ケータイ小説に抵抗感があるオタクは『CLANNAD』
のキャラに置き換えて読んでしまえばいいんです」と言ったことがあるんです
(笑)。じつはあれは結構本気で、というのも、いまの創作はどんどんそうい
う方向に向かっていると思うからです。作品内での細かい描写はできるだけ避
けて、ざっくりとした設定だけ与え、読み手の皆さん、あとは勝手に脳内補完
してくださいという方向に向かっている。
 それは伝統的な「文学」の作法とは違いますね。いわゆる自然主義的なリア
リズムにおいては、年齢から始まり、職業、家族構成、嗜好等々、登場人物の
背景をきちんと描写するのが文学の厚みを支えると考えられていたわけです。
ところが、ケータイ小説でもライトノベルでも、そうした描写はむしろ避けら
れている。これは、ヤンキー/オタクの消費環境の差異を超えた傾向なので、
興味深いです。

速水 ケータイ小説の場合はライトノベルのようなキャラの描写すらなく、出
てくる男の子が「ホスト顔」だとか「ヤンキー顔」だとかで終わりですね。「ご
ついヤンキー顔」って説明されているから、てっきり不細工キャラなのかと思
っていたら、そうじゃなかったりするんですよ。常識が根本から違う。ケータ
イ小説は、人物が描けていないと批判されることも多いですけど、それはラノ
ベなんかとも共通しますね。

東 いわゆる「人の厚み」がない小説のほうが、いまや人々の共感を集めてい
る。これは文学史的に見ておもしろい現象だと思います。
 そこからは、ふたつ批評的な補助線を引くことができます。ひとつは、柄谷
行人が1980年代に「村上春樹の小説は固有名がないからダメだ」と批判した
ことです。僕はこの柄谷の批判はまさに村上春樹の小説の本質を突いたものだ
ったと思います。しかし逆の価値評価においてです。というのも、そのあとの
村上の受容を見ると、彼の小説が固有名をもたないものだったがゆえに世界に
拡散した、ということは明らかだからです。これはよく言われることですが、
村上春樹の小説というのは、ドイツ人が読むとドイツの小説だと思い、中国人
が読むと中国の小説だと思うというふしぎな特徴をもっているらしい。
 そしてもうひとつは、新本格ミステリー・ブームです。彼らが出てきたのは、
松本清張的な「社会派」への抵抗です。新本格のキャラクターにはやはり人間
的な重みはまったくないし、社会も描かない。そしてその手法は、現在のライ
トノベルのひとつの起源になっています。村上春樹のメジャー化と新本格の台
頭はほぼ同時期で、そういう意味で、ここにはなにかの関連がある。『ノルウ
ェイの森』は純愛小説の起源とも言えますしね。

速水 美少女ゲームとケータイ小説の共通点は多いように感じます。とくに、
純粋なものを求める傾向というか、純愛志向というか。ただ、美少女ゲームに
おける村上春樹の影響といった指摘は理解できる部分はあるんですけど、ケー
タイ小説における村上春樹の影響はなさそうですね。影響を受けたものは違っ
ても、同時多発的に似たものが生まれてくるという現象はおもしろいですけど。

東 影響の有無というより、もう少し抽象性が高い話です。いま文学を書こう
とすると、現実的な設定を詰め込んで人間の厚みを出してそこで共感を担保す
るより、むしろ登場人物をキャラクター化し物語を抽象化したほうが読者層を
拡げることができる、というような転倒があるのではないか。そして、そうい
う中から現れた「新しい寓話文学」とでもいうべきカテゴリーがあって、じつ
は春樹も新本格も、ライトノベルやケータイ小説の一部すらも、そのなかに入
るのではないか。そういう新しい日本文学史を書けるのではないか、と思うの
です。

速水 社会派ミステリなどは、実社会の題材がテーマになって、社会のディテ
ィールが描かれますよね。宮部みゆき作品なんかで、下町育ちの汗水垂らして
働く人たちは必ず正しい人たちとして描かれ、ヤンキーが猟奇的な犯罪を起こ
したりするというのはちょっと違和感がある。社会派ミステリから見えてくる
のは、社会の姿よりも著者の社会観でしかなかったりしますね。

東 そうなんですね。社会派もまた社会の全体性を確保できない。そういう状
況では、小説の寓話化は必然なのかもしれない。

主人公への同一化と構造への同一化

東 いまの日本では、青森でも九州でも郊外に行くと同じようなショッピング
センターがあってTSUTAYAがあってというように、交換可能な風景が広がっ
ています。また秋葉原事件で注目された派遣労働者のように、全国どこに行っ
ても交換可能な使い捨ての労働者がいるという現実もある。そういった現実と、
いま述べたような小説の匿名性は関係があるような気がします。

速水 ケータイ小説に登場するロードサイドのカラオケ店やファミレス、ファ
ストフード店、ショッピングセンターなどは、まさに交換可能な光景で、だか
らこそ、読んでいる側が同じ風景を想像できる。そういう共有できるプラット
フォームがあるからこそ、ケータイ小説はリアルなものとして受け止められた
んだと思います。実際に、僕の本の中でも取り上げましたけど、ケータイ小説
は他の文芸書と違って、まんべんなく地方で売れている。

東 ロスジェネ系の杉田俊介さん(1975?)にはじめてお会いしたとき、「東
さんの『ゲーム的リアリズムの誕生』は派遣労働の話としても読める」と言わ
れました。それは新鮮だったんですね。

速水 ゲームのように同じステージが淡々と続く現実だったり、すぐに循環し
てしまうようなループ構造のライトノベル小説が派遣労働の現実と似ている
と。

東 そうですね。いまのマスコミにはオタクの経済的環境について大きな誤解
があって、「オタクって家にひきこもって好きなことやってる金持ちの息子で
しょ」というイメージがいまだに強い。たしかにオタク第一世代にそういう傾
向はあったと思います。でも最近では、ネットの普及もあり、オタクはむしろ
金のかからない趣味になっている。だからライトノベルの読者や美少女ゲーム
のプレイヤーには、現実にはニートやネットカフェ難民である人が少なくない
わけです。
 だからこそ逆に、そうしたハードな現実を生きているひとがなぜオタク的な
ファンタジーを好むのか、そこが謎になってくる。むろん、物語の内容につい
ては「現実逃避」の一言で切ってしまってもいいのですが、僕としては、むし
ろその「形式」に特殊なリアリティが宿っていると考えたんですね。それが「ゲ
ーム的リアリズム」の理論なんです。

速水 一方で、桐野夏生がワーキングプアの話を書いたり、最新の『池袋ウェ
ストゲートパーク』(石田衣良)では、主人公がネットカフェ難民を助けると
いう話がありますけど、そういったものよりも、むしろ現実から遠く離れた物
語であるライトノベルにリアルを感じると。

東 単純に現実からの距離というより、リアリティの位相が違っているのだと
思います。
 読者が作品に感情移入するとき、二種類の場合があると思います。ひとつは
物語内の主人公にそのまま同一化する場合、もうひとつはもう少し抽象的で、
物語そのものが嘘であることは百も承知しているのだけど、その作品の構造そ
のものに巻き込まれていくような場合です。僕が関心があるのは後者です。そ
ういう視点をとると、現実逃避の物語も必ずしも現実から離れていない、とい
う分析ができる場合があります。
 ケータイ小説も、物語としては荒唐無稽で単調だと非難されているけれど、
そうした構造的な視点からは別の意味が見えてくるかもしれません。

速水 ケータイ小説の場合、アルコール依存症とその子どもたちの治療プログ
ラムに非常に似ているんです。治療のために自分のトラウマを語る。つまりセ
ラピーとしての自分語りというわけです。すると、人は実際になかった話まで
トラウマとして語り始める。かつては、そういうものがメディアに載る機会は
なかったのですが、ネットで誰でも発信可能になり、しかも書かれている過程
で第三者の感想や意見が混ざるようになって、中身もどんどん変わっていく。
 もともと個人的な悩みや問題を語っているようなレベルのものが、より都市
伝説的な色を帯びて、多くの人の共感を呼ぶ物語に変質する。ケータイ小説は
そんな構造があるんじゃないかと思います。

東 おもしろいですね。そして、『ケータイ小説的。』が明らかにしたのは、
そういう新しいリアリティの起源を見るためには、もはや文学史だけではなく
サブカルチャー史を広く視野に入れなければならないということです。ライト
ノベルについても同じことがいえますが、小説だけを専門的に読んでいるひと
が小説について語れる時代は、終わりつつあるという気がします。
(つづく)

┌────────────────────────────────┐
│東 浩紀(あずま ひろき):
│1971年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。哲学者・
│批評家。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論
│的、郵便的』(新潮社)、『郵便的不安たち#』(朝日文庫)、
│『動物化するポストモダン〜オタクから見た日本社会』
│ http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1495755
│『ゲーム的リアリズムの誕生〜動物化するポストモダン2』
│ http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1498835
│『文学環境論集 東浩紀コレクションL』
│ http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2836211 
│最新作に大塚英志との対談集
│『リアルのゆくえ〜おたく/オタクはどう生きるか』
│  http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=287957
│渦状言論 http://www.hirokiazuma.com/blog/
└────────────────────────────────┘

┌────────────────────────────────┐
│速水 健朗(はやみず けんろう):
│1973年生まれ。フリーランスライター・編集者。
│コンピュータ雑誌の編集を経てフリーに。音楽、芸能、コンピュータ
│など幅広い分野で執筆活動を行っている。
│著書に『自分探しが止まらない』(ソフトバンク新書)、『タイアッ
│プの歌謡史』(洋泉社新書y)、最新作に『ケータイ小説的。〜“再
│ヤンキー化”時代の少女たち』(原書房)。
│【A面】犬にかぶらせろ! http://www.hayamiz.jp/
└────────────────────────────────┘

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次回は10月8日、配信予定です。
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