僕のアウトドア的半生 遅ればせながら自己紹介
学校のオフシーズンには動物図鑑と植物図鑑を持って山に入り、長いときで2週間以上もキャンプ生活をしたものだ。珍しい草花や、有袋類など多くの固有動物が住むオーストラリアのフィールドは、まさに毎日が発見の連続だった。この雄大な自然に抱かれ、僕はそこで本当に多くを学んだ。人生をも学んだように思う。オーストラリアに行く際、この僕を快く送り出してくれた母には今も心から感謝している。

アイロン掛けに出会ったのも、オーストラリアで最初に入ったホームステイ先だった。シドニー郊外ホーンズビーにあるマックロー家。ここのホストマザーに僕はアイロン掛けの手ほどきを受け、次第にそのしわが伸びる快感に魅せられていったのだ。ここの家族は、皆それぞれ自分の衣類には自分でアイロン掛けを行うという、まさにアイロン一家であった。この家族との出会いが無ければ、エクストリームアイロニストとしての今の僕は存在しなかったと思う。
卒業後、僕はオーストラリアの企業に就職し、オーストラリアに残った。ブリスベン、ハミルトン島、ケアンズ、そしてシドニー。それぞれの街をベースに、僕は本物のアウトドアライフを謳歌した。ブリスベンではロッククライミングに勤しみ、ハミルトン島では競技者としてカヌーとアウトリガーカヌーにすべてを注ぎ、ケアンズではラフティングとロデオ(カヌー)に没頭し、シドニーでは波乗りとシーカヤックに力を注いだ。ワイルドカードを獲得し、カヌーの世界大会に出場して入賞を果たした事や、パイオニアリバーで狩猟しながらの川下りツーリング、ブルーマウンテンでのサバイバルキャンプ、そしてキャサリン渓谷での150kmトレッキングなどは特に印象深い。仕事が休みの時、僕は山か川、または海で過ごした。この8年間に渡るオーストラリアでの潤い溢れる濃厚な時間によって、僕のアウトドアにおける技術と経験は着実に形成されていったのだと思う。
オーストラリアでは多くの出会いと別れも経験した。素敵な人達との出会いもあった反面、僕は時に無責任な行動をとり、大切な友を失い、パートナーも失いかけたりした時期もあった。そんな僕に対し、皆は口を揃えて「長く海外で暮らしているなんて凄いね」などと言っていたが、実際はそうではなかった。オーストラリアに住んでいるのは僕にとって単純に楽だったのだ。世間体やしがらみから開放され、僕は本当にのびのびと気ままに生活していた。現実逃避的な感覚も、きっとそこにはあっただろう。能天気な行動とは裏腹に、僕は深い悩みを抱え、当時は最も哲学的な思考で生活していたのだ。向こうでは、日本語も完璧では無いのに常に英語を使っていたおかげで、僕の主要言語は一時消滅した。
いろんな意味で一筋縄ではいかない時期だったが、それでも僕は何故かアイロン掛けは手放さなかった。当時からアイロン掛けにてストレス発散や癒しの効果を存分に味わっていたので、僕は毎朝せっせとアイロン掛けをし、それを心底楽しんでいた。
エクストリームアイロニングという新スポーツの存在を知ったのもオーストラリアだった。しかし僕はすでにあちらの濃厚な自然環境によって完全に満たされていたので、実際にエクストリームアイロニングを始めたのは日本に帰国してしばらく経ってからのことであった。帰国してからの僕は、まさに憂鬱な日々を送っていた。日本で山や海を改めて見据えると、あまりにも管理された街の公園のようなところが多く、僕は逆にカルチャーショックに陥っていた。それでも僕は貪欲に日本の繊細な山や、開発の進む川に分け入り、「日本順応」を図った。細かく分け入ると、日本にも華奢ながらしみじみと素晴らしい自然環境がいたるところにあった。僕は次第に肩の力を抜き、日本の優しい自然と正常に向き合えるようになっていった。
そんな中、僕はふとしたきっかけでエクストリームアイロニングを思い出し、やってみることにした。そしてあれよあれよと言う間に今に到る感じである。エクストリームアイロニングに関しては、僕はオールマイティーで山も川も海も水中も競技も全部行うが、最も得意としているアイロニング環境は山と水上、そして水中である。今年は、隙あらば空中にも手を出してみたいと考えている。
ここに書いたように、僕はアウトドアに関して多くの時間をオーストラリアにて過ごした。しかし、それぞれが持つ自然環境の良さは、日本もあちらもさほど変わらないレベルだと感じている。ただしひとつだけ大きく違う点がある。それは、その環境が変わりゆくスピードだ。日本で幼少期に僕が遊んだ川や沼、そして森はことごとく消滅してしまったが、初めて行った頃のオーストラリアの山や川は、20年経った今でもさほど変わっていない。オーストラリアでは、きっと100年前と100年後も、そこで見る風景はほとんど同じものに違いない。しかし日本では数年で豹変してしまう場所が到る所にあるのだ。残念ながら、この感覚の差はこれからの環境問題にとって埋められないほどの大きな意味を持つと思う。日本は今もって環境問題に少し疎すぎるのではなかろうか。
少し話がそれたが、こんな感じでなんとか成長を遂げ、ここに今の僕は存在する。
僕は今も波乗りやカヌーに勤しみ、週末は山に入る。そして今と昔で唯一変わった事があるとすれば、今は野外で気が向けば、僕は躊躇無くアイロンを手に取るのである。
ところで年末、国内の某有名家電メーカーのアイロン担当者様から連絡を頂き、なんと新型のスチームアイロンを頂きました。そのアイロンなんだけど、スチーム量とフェイスの滑らかさが段違いに良く、その大きさといい重さといいなかなか武骨でカッコいいアイロンなのです。その僕らEIJへ対する気配りに心から感謝すると共に、日本メーカーの誇りをもって率先して野外で使っていきたいと思っています。
やはり国内メーカーのアイロンは素晴らしい。鎖国再開決定。
卒業後、僕はオーストラリアの企業に就職し、オーストラリアに残った。ブリスベン、ハミルトン島、ケアンズ、そしてシドニー。それぞれの街をベースに、僕は本物のアウトドアライフを謳歌した。ブリスベンではロッククライミングに勤しみ、ハミルトン島では競技者としてカヌーとアウトリガーカヌーにすべてを注ぎ、ケアンズではラフティングとロデオ(カヌー)に没頭し、シドニーでは波乗りとシーカヤックに力を注いだ。ワイルドカードを獲得し、カヌーの世界大会に出場して入賞を果たした事や、パイオニアリバーで狩猟しながらの川下りツーリング、ブルーマウンテンでのサバイバルキャンプ、そしてキャサリン渓谷での150kmトレッキングなどは特に印象深い。仕事が休みの時、僕は山か川、または海で過ごした。この8年間に渡るオーストラリアでの潤い溢れる濃厚な時間によって、僕のアウトドアにおける技術と経験は着実に形成されていったのだと思う。
いろんな意味で一筋縄ではいかない時期だったが、それでも僕は何故かアイロン掛けは手放さなかった。当時からアイロン掛けにてストレス発散や癒しの効果を存分に味わっていたので、僕は毎朝せっせとアイロン掛けをし、それを心底楽しんでいた。
エクストリームアイロニングという新スポーツの存在を知ったのもオーストラリアだった。しかし僕はすでにあちらの濃厚な自然環境によって完全に満たされていたので、実際にエクストリームアイロニングを始めたのは日本に帰国してしばらく経ってからのことであった。帰国してからの僕は、まさに憂鬱な日々を送っていた。日本で山や海を改めて見据えると、あまりにも管理された街の公園のようなところが多く、僕は逆にカルチャーショックに陥っていた。それでも僕は貪欲に日本の繊細な山や、開発の進む川に分け入り、「日本順応」を図った。細かく分け入ると、日本にも華奢ながらしみじみと素晴らしい自然環境がいたるところにあった。僕は次第に肩の力を抜き、日本の優しい自然と正常に向き合えるようになっていった。
ここに書いたように、僕はアウトドアに関して多くの時間をオーストラリアにて過ごした。しかし、それぞれが持つ自然環境の良さは、日本もあちらもさほど変わらないレベルだと感じている。ただしひとつだけ大きく違う点がある。それは、その環境が変わりゆくスピードだ。日本で幼少期に僕が遊んだ川や沼、そして森はことごとく消滅してしまったが、初めて行った頃のオーストラリアの山や川は、20年経った今でもさほど変わっていない。オーストラリアでは、きっと100年前と100年後も、そこで見る風景はほとんど同じものに違いない。しかし日本では数年で豹変してしまう場所が到る所にあるのだ。残念ながら、この感覚の差はこれからの環境問題にとって埋められないほどの大きな意味を持つと思う。日本は今もって環境問題に少し疎すぎるのではなかろうか。
少し話がそれたが、こんな感じでなんとか成長を遂げ、ここに今の僕は存在する。
僕は今も波乗りやカヌーに勤しみ、週末は山に入る。そして今と昔で唯一変わった事があるとすれば、今は野外で気が向けば、僕は躊躇無くアイロンを手に取るのである。
ところで年末、国内の某有名家電メーカーのアイロン担当者様から連絡を頂き、なんと新型のスチームアイロンを頂きました。そのアイロンなんだけど、スチーム量とフェイスの滑らかさが段違いに良く、その大きさといい重さといいなかなか武骨でカッコいいアイロンなのです。その僕らEIJへ対する気配りに心から感謝すると共に、日本メーカーの誇りをもって率先して野外で使っていきたいと思っています。
やはり国内メーカーのアイロンは素晴らしい。鎖国再開決定。