『東奥日報』の斉藤光政記者が最近出版した『在日米軍最前線』は、「嘉手納基地の4,000m滑走路と県道74号を一つ隔てた東端の弾薬庫入り口部分に核貯蔵庫があり、最低でも200個以上核弾頭が貯蔵されていたことを明らかにした。核貯蔵の具体的事実が示されたのは初めてで、非核3原則の国是が形骸化されている実態が暴露された。
これまで「嘉手納弾薬庫のどこかに核がある」と噂されてきたが、それを具体的に指摘したものはなかった。核について米軍は「否定も、肯定もしない」という言葉だけが報道陣に伝えられた。その曖昧な表現は「それ自体が核抑止力になる」と言われても、沖縄に住む者にとっては不気味な言葉で、いっそう不安を書きたてる。しかし、最近出版された『在日米軍最前線』(斉藤光政著、新人物往来社)には嘉手納弾薬庫に核貯蔵庫があることを初めて明らかにしている。しかも、かつての保安管理要員の証言、航空写真での具体的な場所の特定。また「最低でも200個以上のコア(核弾頭)がある」ことも教えてくれた。
米軍三沢基地の取材中、F16戦闘機の前に立つ斉藤光政記者(斉藤氏提供)
今回明らかにされたのは、現在貯蔵されている核ではない。しかし、今も核が存在していることは確実である。1971年9月の毒ガス撤去のように、住民を避難させて「核弾頭が撤去」されたことはなく、同書が暴露した核貯蔵庫に変化もない。アメリカが「ならず者国家」と呼ぶ北朝鮮からのミサイル攻撃に備えて、その迎撃用パトリオットが在日米軍基地のなかで最初に配備されたのが嘉手納弾薬庫である。その行為は問わず語りに核の存在を示すものとなった。佐藤栄作首相が「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核3原則の国是は形骸化し、沖縄返還(1972年5月15日)で約束した「核抜き本土並み」は嘘だったことを同書は教えている。
著者の斉藤氏は青森県の『東奥日報』の現役記者。防衛・安全保障と歴史・考古学をフィールドとして取材している。現在は社会部付編集委員。斉藤氏が書く軍事記事は評価が高い。それは米軍の機密文書と日米の関係者の取材に基づいているからで、それが最大の強みだ。これまでラロック証言を例に挙げるまでもなく、何回となく「在日米軍基地の核」「米軍艦船の核搭載」が報道されてきたが、それらの記事はあくまでも“疑惑”としての報道の域をでなかった。
米軍再編でワシントン州のフォート・ハイス基地を取材中の斉藤光政記者(斉藤氏提供)
同書が明らかにした核貯蔵庫は、嘉手納基地の4,000m滑走路と県道74号を一つ隔てた東端の弾薬庫入り口部分にある。斉藤氏は「滑走路とはまさに目と鼻の先。これは驚き以外のなにものでもなかった」と書いている。嘉手納に保管されている核弾頭は現在も三沢基地のほか、入間、小牧、板付に運ばれ、実際の訓練で使われていることを同書は明らかにしている。核の貯蔵場所や核弾頭の数を特定したのは斉藤氏が初めてである。
斉藤氏が『東奥日報』2000年元旦号から書いた「解かれた核の封印〜三沢基地40年目の真実〜」の長期連載記事は全国のマスコミ関係者や軍事問題研究者を驚嘆させた。記事は非核3原則の形骸化の実態を具体的に述べ、日本新聞協会賞の最有力候補として最後まで残ったが、惜しくも受賞を逸した。その年の秋「第6回平和・協同ジャーナリスト基金賞」が贈られた。また、今回出版された連載記事は「第11回新聞労連ジャーナリスト大賞」を受賞している。
国是の非核三原則の形骸化を具体的に解き明かした『在日米軍最前線』。写真は嘉手納の核貯蔵庫(右ページ)と証言者が示す場所。
◇ ◇ ◇