ついに、と言っていいだろう。
ダッチワイフを試してみた。
終わってから、泣けてきた。
それが、人として間違っていたからではない。
それが、クリスマスだったからではない。
●生身の人間と同じくらい気持ち良かったからだ。
いや、
●生身の人間以上
だったかもしれない。
というのも、ダッチワイフが対人間を超える快楽を提供できるには
理由がある。
●タブー性
である。
やってはいけないこと。
禁止されていること。
その点で、ダッチは人を超越している。
その点で、ボクは3こすり半で果てたのだ。
ボクの新たなるアイデンティティとして
●対ダッチ早漏
が加わった。
ダッチワイフを抱いて感じた焦燥感は、
ボクがタイで2日で5人女性を買ったとき感じた焦燥感と似ている。
自分で言うのはこの上なくサムいのだけど、
ボクは
●生粋のロマンチスト
である。
ボクは一日3時間以上は妄想にふけり、
それは「夢」だの「愛」だのに溢れた世界の住人として、
色々なことを考えて、いる。
しかし。
ダッチワイフとの性交は、
セックスが
●粘膜と粘膜の擦り合い
でしかない現実を突きつけてくる。
人が、その知恵としてセックスの価値を高めるために
「禁止」して
「洗脳」して
きた世界の嘘はいとも簡単に暴かれてしまう。
その嘘の犠牲者は
●風俗嬢
だ。
社会が禁止したセックス、裸を生業とする彼女たちは、
人間が作り出した嘘によって日陰の存在として扱われる。
この嘘がなければ、
例えば
●レイプされて自殺する女性
は世の中に存在しないだろう。
これが社会の作り出す共同幻想であり、ボクたちは選び取れない
生み落とされた時代の幻想の中で、踊っているだけの存在でしかない。
「成功」とか。
「愛」とか。
「使命」とか。
それは、あくまで一つの幻想の中で見つける
ゲームの目的であって、
本当の意味での「使命」なんてボクらにはない。
ただ、そこにあるのは細胞の活動だけなのだ。
●動き続け、止まる。
これがボクらに与えられた唯一の使命だ。
だからこそ、ボクは知りたいと思う。
世界がそれでも時折見せる、「真実の顔」をのぞくために、
ボクは新しい世界と新しい経験に触れてみたい。
ボクがダッチワイフを試食したのも、そう言った意味、だ。
つまり、これは極めて「真実を探求する」という哲学的な嗜好によるもので、
決して、「汚れ」「たまりすぎ」などといわれるのは心外だ。
そんな話をS君にしたところ、
「オレも、試していいか?」
といわれたので、
「ああ、存分に試すがいい。そして、世界の真実を見つけるがいいさ」
というわけで。
近日中に、ボクとS君が
●兄弟
になることは間違いない。
もしかしたら、ダッチを奪い合うという
●三角関係
にもつれこむこともあり得る。
そんな生活、嫌だ。
2003年12月26日 03:15