「成功して不幸になる人々」監訳 神田昌典
を読みました。内容は、
●成功するために色々なことを犠牲にすると、そのしわ寄せが来る
みたいな感じです。
そして、この本では、抑圧された欲求や感情を
●シャドウ
と呼んでおります。
で、このシャドウがどんどん大きくなると、ビジネスで失敗したり
病気になると書いてありました。
で、ボクとしてはすごく感銘を受けたので、
「シャドウが!シャドウがたまる!」
なんつって、とにかく人間の本来の欲求を満たす動きをしております。
具体的には
●クリスマスパーティーに顔を出す。
●漫画喫茶に行く。
などしております。
結論を申しますと…。
●全然仕事してません。
ええ。
この3日の記憶がとんとないのでございます。
とにかく、飲んで飲んで飲んで、「ラスト・サムライを観に行った」
くらいしか覚えてないのです。
ボクにとっての「シャドウ」は体の良い言い訳と化しておりまして
遊ぶための隠れ蓑としてその機能を十二分に発揮しているのでございます。
が、こういった考え方も、「努力への強迫観念」を生み出すことにつながる
ので、
とにかくボクは遊び足りないと。
そういった結論に落ち着きつつあります。
といいましても、ボクは本当に強迫観念君に悩まされているという事実は
ありまして。
なんといいますか、「頑張ることに安心する」みたいな部分あるんです。
でも、それも「頑張らないこと」の言い訳になっているような感じがして、
もう、分からんわ。実際。
どうしたらいいのか。
分からんといえば、この日記もようわからんです。
最近は、ダメですね。なんだかボク「マジ」ですもん。
マジに日記書いてるボクが嫌。
●オチ
とか考えてる自分が、もうなんかやらしいわ。
それ日記じゃないわ。
●それ、「日記」じゃなくて、「本気」だわ。
こんなダジャレを許していきたいんですよ。この場所では。
ボイーン。
とかね、いきなり書いてもいいじゃないですか。本来。
でも、
ここで「ボイーン」が正解なのか?
ここでの正解は、「ボヨヨン」じゃないのか?
とか考え出すともう、というか、ボイーンもボヨヨンも両方不正解だということなんです。
どう?
もうさ、なんか、ウケるとかウケないとかそんなんどうでもいいじゃない。
今日は、こたつでみかんでも食べながら、ほんわかトークでもしましょうよ。ボクと。
どうなの、最近。
仕事とか、恋愛とか、うまくいってんの?
オレ?
オレの話はいいじゃない。
オレが知りたいのはあんたのあんな部分さ。
正月は実家帰るの?
実家どこ?
そっか、そっか。
帰る実家はないか。
いいんじゃないの。そういう生き方も。
でも、親ってのは、結局こどもがかわいいんだよ。
分かってくれるよ。絶対。
で、来年からどうすんの?
今の仕事続けるの?
まぁね。
この時代、安定した職業なんてないからさ。
好きに生きたらいいさ。
で、彼女は?
…ごめん。この話はナシだったな。
年末どうすんの?
バカだな。
無理だよ、紅白は。
だってあんたCD出してないじゃない。
出れないよ。さすがに。
いや、確かに夢は大きければいいけどさ。
やっぱ現実的な…わかったから。
紅白出れるから。
鼻の穴にピスタチオ入れるのだけはやめて。
…うん。
見るよ。紅白。
頑張ってな。
それじゃ、オレ、もうそろそろ配達の時間だから。
ホントだって。言うほど稼げてないから。
まだ、牛乳は配ってるんだ。
…飲んでないって!
商品には手つけてないって。
つか。
こんなわけわからんこと書くあたり、
オレもうシャドウにおかされとるかもわからん。
おやすみなさい。
2003年12月20日 03:10