2008年06月25日
飛行機内で救命中、傍観乗客の視線と写真撮影及び客室乗務員からの放置プレーでPTSDになった女性事件の詳細
結論から申し上げると、ベトナム航空だそうです。
なんで急にこの事件が今日になって報道されたのか?が、気になりますが・・
ご本人からの状況詳細メール
(関係各位 以下、無断引用がご迷惑であれば削除しますのでお手数ですがご連絡下さいませ)
なんで急にこの事件が今日になって報道されたのか?が、気になりますが・・
飛行機内で救命中、傍観乗客の視線と写真撮影でPTSDに 産経新聞
2008.6.25 09:08
このニュースのトピックス:航空・マイレージ
航空機内で心肺停止した男性に蘇生(そせい)措置をして助けた女性が、やじ馬状態のほかの乗客に写真を撮影され、恐怖心などから心的外傷後ストレス障害(PTSD)になった。
女性を診察した国保旭中央病院(千葉県)の大塚祐司医師によると、女性は会社員。救急法の指導員資格があり、機内で倒れた男性に独りで人工呼吸や心臓マッサージをした。男性は呼吸が戻り、規則的な心拍も回復して命を取り留めた。
この間、多くの中高年の日本人男性乗客らが「テレビと同じ」「やめたら死ぬんでしょ」と携帯やビデオで撮影。女性は中年男性が集まる場所で過呼吸症状が出るように。カメラのシャッター音が怖く携帯のカメラも使えなくなった。「やじ馬の罵声(ばせい)と圧力の怖さは忘れないと思う」と話しているという。
客室乗務員は手伝わず、AEDを頼んだが、持ってこなかったという。
ご本人からの状況詳細メール
(関係各位 以下、無断引用がご迷惑であれば削除しますのでお手数ですがご連絡下さいませ)
機内での人命救助 救急・災害医療ホ−ムペ−ジ
越智 [eml-nc6: 1563] 機内で人命救助
Date: Fri, 01 Sep 2006
eml-ncの皆様、市立八幡浜総合病院麻酔科 越智元郎です。他のメーリン
グリストで得た情報ですが、機内でCPRを実施されたバイスタンダーがCPR中
様々なことをお感じになり、そのことをまとめた文章をそのMLにに投稿され
ました。以下、関連の情報を紹介させていただきます。
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機内で人命救助の女性 日赤から表彰
ベトナムへ向かう飛行機の中で心肺停止状態となった男性に心肺蘇生法を
行い、救命したとしてさきごろ、・・県在住のWさんに日本
赤十字社から表彰状が贈られることが決まりました。
Wさんは、今年2月17日、(中略)男性が発作を起こした時、
客室乗務員に救急法を学んでいることを申し出て適切な処置を施しました。
Wさんは昨年3月、日赤の救急法指導員として認定されていました。
■――――――――――――――――――――――――――――――
From: X
Subj: [rcml:0001523] 1時間のCPR後に蘇生した事例
Date: Thu, 31 Aug 2006
RCMLの皆さん、こんばんは! Xです。
3月の指導員研修会で初めてWさんの救護体験をお聞きして衝撃と感銘を受
けました。
でこの貴重な体験の詳細をRCMLの皆さんにもお知らせしたいと思いWさんに投稿の
許可をお願いしました。
「皆さんのお役に立てるのなら」と快くお返事頂き、わざわざ辛い経験を思い起こし
ながら原稿を書いて下さいました。
(因みにWさんは華奢な女性で救助された方は大柄な男性でした。)
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平成18年2月17日 成田発ベトナムホーチミン行きに搭乗
離陸から2時間半後、突然「ドカン」という音がしました。
慌しく動くフライトアテンダントと旅行会社の添乗員に気付きもしかしたらと思い近
くを通った添乗員に「救急法を学んでいる者ですがお役に立つことがありました
ら…」と声をかけました
「人が倒れまして」と言われ急ぎ現場へ添乗員引率のもと向かいました。
傷病者はアテンダントの男性によって手荒にも上着が脱がされ仰向けで横たわってい
ました。
アテンダント達は戸惑うばかりで傷病者は放置されたまま、添乗員はCPR経験なし、
機内には医師や看護師もおりませんでした。
「もしもし、大丈夫ですか?」3回の呼びかけにも反応が無くすぐ気道確保しまし
た。
ですが狭い機内、傷病者は通路いっぱいに横たわり野次馬が増すばかりか中には携帯
で写メを撮る者まで数多く現われました。
周りの騒がしさもあって呼吸の確認もかなり慎重に行いました。
呼吸も無い状態で、日頃携帯しているキューマスクを取り出し人工呼吸を開始しまし
た。
抵抗も無く2回の吹き込み後、脈の確認を試みましたがエンジン音や振動で分からず
耳を心臓に直接あてて聞きました。不安もあって2回繰り返して聞いたように思いま
す。
心臓の音も聞こえず迷い無く心臓マッサージを開始しました。
時間が経つにつれ床に着いた足は痛くなり、ずっと圧迫していた手は真っ赤で腰から
大腿にかけては時々つるような痛みが走りましたがとにかく続けました。
そんな中、野次馬から
「あいつが止めたら あの人死ぬのか?」という声が聞こえました。
ここでCPRを止めてしまったら『人殺し』と呼ばれるのではないかという恐怖に襲わ
れとても怖かったです。
40分CPRを続けたところで指が動き始め次第に心音も確認できるようになりました。
しかし呼吸は回復せず人工呼吸を続けました。
そして20分位たった頃に僅かな吹き返しを感じ、次第に呼吸が回復したので呼びかけ
や身体に刺激を与えながら様子を見ていました。
とりあえず反応が返ってくるのですが元気な人の反応とは違い微妙なものでした。
意識の戻らない傷病者を前にまた異変が起こるのではないかという不安でいっぱいで
した。
救助開始から3時間半後やっと目を開けましたが話しはできませんでした。
それから30分後ホーチミン空港に到着
飛行機から運び出す間際に呂律が回らない様な口調で「どうして寝ているんだ?」と
聞いてきました。
飛行機から運び出し待機していた救急車に引継ぎ4時間に及んだ救護活動は終わりま
した。
ただただ怖かったです。
今だから言える話ですが野次馬の罵声と圧力の怖さは一生忘れないと思います。
そして自分一人しかいない状況での救護活動がどんなに大変なものかも分かりまし
た。
もっと色々な救急法の勉強が必要だと思いました。
ベトナム航空への問い合わせについての返答
・搭乗した機内にもAEDは装備されていたにもかかわらず使用しなかったのはなぜか?
「心臓病の患者のみに用いると思っていたのでは…」
・アテンダントについても「CPRを学んでいても躊躇してしまい手が出せなかった」
と言われた
⇒ 航空会社に遺憾の意を示す手紙を送りました
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この場をお借りしてWさんのご好意に感謝すると共に素晴らしい行動に敬意を表し
たいと思います。
皆様のご意見ご感想をお寄せ下さい。
航空機内での心肺蘇生の実施により心的外傷を負った1例 救急・災害医療ホ−ムペ−ジ
(前略)
そのような中,2006年2月17日,V航空機内にて心肺停止に至った日本人男性が,居合わせた1名の乗客により救命されるという事例があった。救命したのは福島県相馬市在住のY氏(31歳,女性,会社員,日本赤十字救急法指導員)で,後日,日本赤十字社より表彰を受けた34)。著者はY氏に本事例を活字として残したい旨を伝えて2006年12月16日と2007年4月21日に福島県相馬市及び宮城県仙台市にて面会し,救命時及びその後の状況について詳しく聞いたのでここに報告する。
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症例
平成18年2月17日金曜日,成田発東南アジア行きの外資系航空会社であるV航空のB777が離陸して約2時間半後,客室内で突然「ドカン」という大きな音がした。Y氏はベトナム戦争の際に米軍が散布した枯葉剤が環境に与えた影響について調べるために同便エコノミークラス前方席に乗っていた。彼女は慌しく動く客室乗務員と旅行会社の添乗員に気付き,近くを通った添乗員に「救急法を学んでいる者ですが,人命に関わることでしたらお手伝いいたします。」と声をかけた。添乗員は「人が倒れまして。」と返答し,Y氏は袖を引っ張られてエコノミークラス後方の通路まで連れて行かれた。倒れた乗客X氏(55歳,男性,会社員)は会社の同僚とツアー旅行に参加していた。同僚によるとX氏は飛行機に乗るのが初めてで,搭乗後より強い緊張が続き体を硬直させてほとんど身動きせず,生あくびを何回もしていたとのことであった。倒れる直前,X氏はトイレに行ったがドアを閉めた直後に出てきてそのまま通路に倒れた。
Y氏が現場に駆けつけた時には,X氏は客室乗務員の男性によって上着を脱がされ通路に仰向けで横たわっていた。客室乗務員達は戸惑うばかりで急病人は放置されたままであった。Y氏は直ちにドクターコールとAEDを要請してX氏を客室乗務員と共にギャレーに運んだ。Y氏は「もしもし,大丈夫ですか?」と3回呼びかけたが反応が無く,直ちに丸めた毛布を背中の下に入れて気道確保した。しかし呼吸もない状態であったため,日頃携帯しているキューマスク(人工呼吸用携帯マスク)を取り出して息を2回吹き込んだ。吹き込みに際して抵抗はなく,吹き込み後,脈拍と体動の確認を試みたが騒音や振動で分からず耳を心臓に直接あてて聞いた。不安もあって2回繰り返して聞いたように彼女は記憶している。心臓の音も聞こえなかったため迷い無く両乳頭の中間に手を置き,15対2の心臓マッサージを開始すると共に数回に渡って客室乗務員にAEDを要請した。
その間ギャレーのカーテンは開けられたままであり,乗客であった多数の中高年日本人男性が群れをなして押し寄せて「テレビと同じのをやっている。」「あの人が止めたら死ぬんでしょ?」などと言いながらカメラや携帯電話で写真を撮ったり,ビデオ撮影をしたりしていた。Y氏は心肺蘇生を止めたら「人殺し」と呼ばれるのではないかという恐怖心を感じながら心肺蘇生を行っていた。
その後,客室乗務員は乗客を座らせてカーテンを閉めたものの心肺蘇生を手伝わず,Y氏が繰り返し要請したにも関わらずAEDを持ってくることもなかった。またX氏が参加したツアーに添乗していた2名の大手旅行会社添乗員は,心肺蘇生法を知らなかったため手伝うことが出来なかった。医療従事者の協力を求めるアナウンスは英語,日本語,ベトナム語の3ヶ国語にて30分に渡り繰り返されたが,名乗り出た者はいなかった。その後も添乗員がしばしば様子を伺いに顔を出したが客室乗務員は全く様子を見に来ず,飛行機が緊急着陸することもなかった。
時間が経つにつれY氏の床に着いた足は痛くなり,圧迫し続けていた手は真っ赤で,腰から大腿にかけては時々つるような痛みが走ったが心肺蘇生は続けられた。途中,ベトナム人と思われる高齢の女性がギャレーでY氏の横に座り全身汗まみれになっていた彼女の顔の汗を拭っていた。
約40分心肺蘇生を続けたところで,当の高齢女性がX氏の指がかすかに動き始めたことに気付いた。Y氏がX氏の胸に耳を当てて心音を確認したところ,微弱でゆっくりとした心拍が感じられた。しかし自発呼吸は回復していなかったため,5対1で心肺蘇生を継続した。彼女にとっては15対1のそれよりも体の動きが多く,体力的にきついと感じていた。
心拍が再開してから20分位たった頃に僅かな吹き返しを感じ,次第に呼吸が回復,心拍も規則的かつ強く回復したので呼びかけたり身体に刺激を与えたりしながら様子を見ていた。心拍と自発呼吸が再開したものの意識が戻らない急病人を前にY氏は,また異変が起こるのではないかという不安で一杯であった。
X氏は救助開始から約3時間半後に目を開けたが話はできなかった。開眼したことを添乗員に伝えたところ,客室乗務員が酸素を持って来て吸入が開始され,その約30分後目的地の空港に到着した。
到着後,Y氏は最前方のビジネスクラスを担当していた唯一の日本人客室乗務員と始めて言葉を交わしたが,彼女は後方での様子について詳しくは知らなかった。また飛行機から降りる際にY氏は,最後方にAEDが設置されているのを見つけた。
X氏とY氏は荷物搬送用車両の荷台に乗って救急車まで搬送されたが,その際初めてX氏が言葉を発して,呂律が回らない口調で「どうして寝ているんだ?」とY氏に尋ねた。X氏を救急隊に引継いだ所で,Y氏の4時間に渡る救命活動は終わった。
X氏は現地の病院に入院し,手指の軽度の運動障害が残ったのみで退院した。日本に帰国後,精密検査を受けるも心肺停止の原因となる疾患は見つからず,頭部MRIにて微小な脳梗塞巣を指摘されて生活習慣に注意するよう指示されたのみであった。その後X氏は通院・服薬することなく会社に復帰して,通常の社会生活を送っている。尚,X氏は旅行傷害保険に入っていなかったため,入院した病院から数百万円の支払い請求が来たとのことであった。
一方,Y氏は通常の体位を維持できないほどの強い筋肉痛が約10日間続き,枯葉剤についての調査は不十分なまま予定より早い5日の滞在で帰国し,帰国後高熱で寝込むこととなった。
X氏と妻は名前,住所,日本赤十字社救急法指導員との情報からY氏を探し出して,お礼の電話を入れた。その際,実際に会って礼を言うことを申し出たが,Y氏は「電話を掛けて頂いただけでも十分です。」と返答し,宮城県南部と福島県北部に居住する両者が会うことはなかった。
V航空の対応に疑問を持ったY氏は帰国後,同航空日本支社に問い合わせた。AEDを使用しなかったことについては,「心臓病の患者のみに用いると思っていた。」,客室乗務員が手伝わなかったことに対しては「心肺蘇生法を学んでいても躊躇してしまい手が出せなかった。」と返答があった。
心肺蘇生の経験について「ただただ怖かった。野次馬の罵声と圧力の怖さは一生忘れないと思う。そして自分一人しかいない状況での救護活動がどんなに大変なものかも分かった。」との感想を抱いたY氏はこの一件以来,中年男性をはじめとする日本人そのものに「この人も野次馬のようなことをするんだろうな。」「冷やかしを好むんだろうな。」などと不信感を抱くようになり,孤立感も感じて笑うことが少なくなった。Y氏は大衆居酒屋などの多数の見知らぬ中年男性が集まる場所などで過呼吸症状が出るようになり,食事は女性同士で個室のある飲食店へ行くことが多くなった。またシャッター音が怖くなり,携帯電話に付いているカメラが使えなくなってしまった。救命救急に対する熱意も消失してしまい,指導員として参加していた救命講習にも参加しなくなった。さらには蘇生した時の状況が繰り返し思い浮かんでしまい,物事に集中出来なくなっていた。
そのようなY氏を支えたのは普段から一緒に救命救急のトレーニングを積んできた地元消防署署員,「兄の両親」,妹,日赤指導員の先輩・仲間,顔見知りの医師,事件後知り合った救急専門の医師達であった。2006年10月,人間不信が続いていたY氏の考え方が大きく変わった出来事があった。その日,地元の消防署員と居酒屋で飲んでいたときに,衝立の向こうにいた中年男性達が会話に割り込んで来た。彼らは「自分は火事があったら見に行く。」「心臓マッサージがどんなものか見たくなる。」と言っていたが,その一方で「(蘇生の)現場を見たくて写真を撮ったからあなたのことは覚えていないと思う。」「その人たちだって病人が助かって良かったと思っているはず。」などと言っていた。Y氏が忌避していた機内の野次馬と同世代で恐らくは同じ考え方を持っていた人たちが「助かって良かったと思っている。」と言ったことで彼女の不信感が軽減して気が楽になったという。その日を境に過呼吸症状はほとんど出なくなり,救命講習にも指導員として参加するようになった。しかし2007年2月に1年ぶりに飛行機に乗った際には,事件のことを思い出してしまい1度だけ過呼吸が再発した。2007年の4月時点でも講習時の心肺蘇生のデモンストレーションの際に立ったまま周りを囲まれることに恐怖心を抱いているため,受講者には座ったままにしてもらい写真やビデオ撮影もしないように協力してもらっている。
また,これとは別にトラウマとまでは行かないものの,Y氏を困惑させることが続いた。蘇生行為を当然のことと捉えていたY氏は日本赤十字社本社にて総裁から表彰状を受け取ることを断り,福島支部で顔見知りの医師より受け取っていたが,表彰されたことが赤十字新聞2006年7月号に載ってから8月中旬まで自宅への電話連絡が相次いだ。その後も講演依頼が続き,福島県や宮城県の新聞にて本事例が報道されると見知らぬ人から電話がかかってきたり,勤務先でもある実家が経営している会社に次々と人が訪れたりしていた。Y氏とコンタクトを取った方々は異口同音に「感動した」「素晴らしい」などの賞賛の言葉を口にしたが,彼女はそれを好意的に受け入れる一方で「当然のこと」をしたにも関わらず話が大きくなることに戸惑いを覚えていた。その中で電話にて連絡を取ってきた一人の救急専門の医師は,まず「大変ね」と一言言った。Y氏は大変なことを理解してもらえて嬉しかったという。前記のようにこの女性医師は,その後もY氏を支える一人となっている。
以上の経緯をたどってきた事例であるが,「もし同じようなことがもう一度起こったらどうするか?」との著者の問いに対してY氏は「怖いけど,また出て行くと思う。」と答えた。また「同じようなトラウマを持った人と話が出来たらもっと短い時間で良くなったかも知れない。」「同じ状況を経験した人たちと話がしたい。」とも話していた。
(以下略)
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