このブログは桜井淳水戸事務所と桜井淳カリフォルニア事務所の(1)業務内容(2)桜井淳個人情報(3)米国での活動内容(4)専門家養成のための学術セミナー開催案内等を掲載するHP代わりの硬いブログです。スタッフが交替で最新情報の更新や新項の追加をしています。 各項を順序よく読むと(a)事務所業務内容紹介(b)桜井所長学歴(c)哲学(d)著書(e)学術セミナー(f)米国での活動内容等、情報の価値が分かります。ここに記載した情報の信頼性は、他のいかなる組織・団体・文献・電子情報よりも、格段に高く、すべての判断基準になります。情報の信頼性については両事務所のスタッフがすべて責任を負います。著作権・情報のオリジナリティを確保するため、本ブログの内容のコピー・事実関係の引用・電子媒体へのリンク等は、すべて禁止します。不正行為を確認した場合には米国感覚で法的手続きを行います。事務所への連絡・メッセージは、各項の欄外のメールマークをクリックすれば、わかるように、アメーバ会員に手続きすれば、誰でも、自由にできます。ただし、送信者の身元は、サイバーエージェントによって管理されています。
桜井淳所長に拠れば、国内外にいる時を問わず、新聞社・出版社やテレビ局からインタビュー依頼があれば、特に、会議中とか、手が離せない仕事中で無い限り、できるだけ協力するようにしており、しかし、すべてのインタビュー内容が掲載されているわけではなく、誰でも経験するように、平均的には、2回に1回の割合であり、半分は、記者が記事を書くための出汁に利用されており、それはそれとして、どの新聞社やテレビ局もそのようなものと受け止め、ビジネスとしてクール対応しており、最近では、「毎日新聞」から2回、「中日新聞」から1回あり、後者においては、浜岡訴訟を中心とした原発の耐震安全性について、1時間弱のインタビューに応えており、(1)耐震指針の内容、(2)志賀訴訟と浜岡訴訟の耐震指針の妥当性を巡る判決文の比較、(3)浜岡訴訟の論点、(4)柏崎刈羽発電所の耐震安全性と懸念すべき問題、(5)これまで採用されてきた活断層探査法や地下深くの地質構造の探査法の限界等について、自身の技術論・安全論に則り、語りましたが、柏崎刈羽発電所の場合、最大地震加速度約2200galilei(ファーストネームのgalileoとするのは、不自然であり、正しくは、ファミリーネームのgalilei)というのは、まったくの非人工的自然現象であり、より小さい地震加速度の可能性やより大きい可能性も有り(新潟県中越沖地震は、大地震クラスではなく、中地震の大クラス)、偶然にも、多度津工学試験所での耐震試験の条件が制御棒等のように2000galilei弱であったため、地震時の機器の挙動や信頼性が予測できましたが、より大きな地震の場合には、耐震の専門家でも確信がもてないことも少なくなく、柏崎刈羽発電所の震災状況が考えられる最悪ではなく、原発の耐震安全性の一般論を語るには、参考にはなっても、現行の耐震指針と耐震設計法を肯定的に位置付ける事例には、ならないそうです(適用した地質探査技術に深さという探査限界というグレーゾーンが存在していたにもかかわらず、それを無視して審査を進めた安全審査体制に瑕疵があったことは、否定できません)。
桜井淳所長に拠れば、Alvin M. Weinbergは、Oak Ridge National Laboratoryの研究員の時(戦後すぐ)、今日のPWRの概念を提案したことで知られており、最終的には、Oak Ridge National Laboratoryの所長を務め、哲学論文や著書を発表しましたが、中でも話題になった哲学論文が、Alvin M. Weinberg "Science and Trans-Science", Minerva, Vol.10, pp.209-222(1972)で、その一節のMany of the issues which arise in the course of the interraction between science or technology and science hang on the answers to questions which can be asked of science and yet which cannot be answered by science.(p.209)(科学に問うことはできても、科学には答えられない問題がある)は、あまりにも有名になり、Alvin M. Weinbergは、そのようなグレーゾーンに満たされた分野のことをtrans-scientific(超科学)(p.209)と定義し(領域横断科学と訳している例もありますが、意味からすると、超科学の方がぴったりします)、いくつかの具体例を挙げておりますが、それらの中で、今日、なお、超科学のままなのか否か、ここで吟味しますが、まず、論文の構成と事例をピックアップしてみると、(1)Examples of Tran-Scientific Questions(Biological Effects of Low-Level Radiation Insults, The Probability of Extremely Improbable Events Engineering as Trans-Science, Trans-Scientific Questions in the Social Sciences,Axiology of Science as Trans-Science), (2)Trans-Science and Public Policy, (3)The Republic of Trans-Science and the Political Republic, (4)The Impact of Trans-Science on the Republic of Scienceとなり、The Probability of Extremely Improbable Events(p.210-211)において、発生確率の極めて低い事例として、破滅的原子炉事故と大地震が挙げられており、いずれも計算でき、前者の場合には、「もっともらしい"事象の樹"と"失敗の樹"を設定でき、個々の機器の故障の統計的数字から、破滅的事故のシーケンスを決め、発生確率を機械的に算出することはできるものの、その数字(炉・年当たり10のマイナス7乗)は疑わしく、途中の計算で使用したデータの信頼性の証明がなされていない」(関係箇所の要訳)としているが、この論文が書かれたのは、1971-1972年であり、当時、米国では、NASAで開発された"事象の樹"と"失敗の樹"を採用し、商用軽水炉(PWR, BWR)の破滅的原子炉事故の分析がなされており、Alvin M. Weinberg は、その手法と暫定的な数値を把握した上で、この論文を書いており、確かに、当時としては、Alvin M. Weinberg の指摘どおりでしたが、AEC "Reactor Safety Study", WASH-1400(1975), その後のNRC "PSA Procedures Guide", NUREG/CR-2300(1983)とNRC "Severe Accident Risks : An Assessment for five U.S. Nuclear power Plants", NUREG-1150(1990)を見る限り、手法とデータは、洗練され、信頼に値するレベルに達していることが分かり(trans-scienceとは位置付けられません)、よって、問題は、ふたつの事例の後者の大地震に対して、最近、世界(特に日本)で発生した大地震(中地震の大も含む)を吟味してみると、事前に発生メカニズムも分からず、当然、発生時期の予知もできないことからして、今日でも、依然、trans-scienceと位置付けることができ、つぎに、Engineering as Trans-Science(p.211-213)の内容についてですが、ここでは、「エンジニアが設計する時、特に、先端技術分野ではそうですが、時として、設計に必要なデータが揃っていないにもかかわらず、データの蓄積を待つことなく、定められたスケジュールと予算の中で、保守的条件(安全側に評価する条件)での設計条件を課し、仕事を進めなければならないという問題がある」という主旨の議論をしていますが、エンジニアのそのような判断は、確かに不確実性はあるものの、大きな安全係数を採用する等のengineering judgementにより、処理できる問題であり、採りあげるテーマにも拠りますが、trans-scienceと言うほど大きな問題でないように思え、多かれ少なかれ、時代ごとに、ひとつのtrans-scienceが消え、新たなtrans-scienceが発生し、その循環によって、科学と技術が進歩していると解釈でき、現代社会におけるtrans-scienceが何であるかを分析し、社会が認識しておくことは、重要なことです。
桜井淳所長に拠れば、Stainless Steelの大体の組成は、1900年よりちょっと前に分かっていたとされており、すなわち、鉄を主体として、クロムやニッケルを混ぜると、クロムが12w%くらいになると、従来にない特有の性質が顕著になり、それでも、高級材料であったために、なかなか普及せず、第二次世界大戦当時においても、戦闘機の部品として利用されるくらいで、産業分野で大量に利用され始めたのは、米shippingport原子力発電所(PWR10万kW、1953.7発注、1957.12.18商業運転開始)からであったが、使用経験が無かっただけに、運転開始後、亀裂が生じ、次々に建設された他の米原子力発電所(Dresden-1等)においても、同様の現象が生じ、Stress Corrosion Cracking(SCC)として、大きな研究テーマに発展しましたが、Stainという語は、化学分野で良く使われ、汚れという意味があり、それに打消しのlessを付けてstainlessとし、汚れない、もっと意訳して、錆びないという意味になり、逆に、stainedとして、そのあとに名詞をつなげた用語でいちばん知られているものは、stainedglass、汚れたガラスを意訳し、色付きガラスないしステンドグラスと呼ばれますが、最近の電車は、錆びないために塗装の必要が無く、見た目がよく、機械的特性が近いため、鉄製からstainless製に変更しており、ただ、密度も機械的特性も近い物をstainlessで置き換えているだけでなく、すなわち、同じ厚さの外壁で、同じ厚さの構造材による骨組みでなく、高速化のための軽量化と省エネルギーによる高効率化、レールへの負担を軽減するため、構体重量(台車部分を除いた車体そのものの重量)を半分(たとえば、鉄製103系に比較し、E231系は、約半分、安田浩一『JRのレールが危ない』(金曜日、2006)のp.22)にしており、半分にして、設計の工夫だけで同じ機械的強度が得られる産業構造物ができれば、それに越したことはありませんが、実際には、できず、それによるメリットもありますが、デメリットもあり、そのデメリット(コンピュータを利用した構造設計の最適化によるぜい肉削り落としだけではなく、強度低下による衝突時や脱線時の被害増加)の構造設計の意味を的確に理解している人は、意外に少ないそうです。