釜ヶ崎との出会いについて。
本田 私は大学卒業後、カトリックのフランシスコ会に
入会して神父になり、はた目には順調に修道者の道を歩んでいました。ある時、会の役目がら釜ヶ崎に立ち寄ったので
す。それまで長い間、私は宗教者でありながら、祈りや瞑想によっても解放や救いの手応えが得られないという
忸怩たる思いがありました。それが、釜ヶ崎で夜まわりをしていた時、一人の野宿者との出会いを通して、私は
解放されたのです。初めは納得できませんでした。聖職者である自分が誰かを元気づけたとか救ったというのなら、
すんなり納得したと思いますが、まったく逆でしたから。
それで、思い切って山谷に行って、ほんの二、三日でしたが、日雇いの仕事を経験しました。
見ず知らずの労働者と一緒に働くうちに、世間的には軽く見られがちな彼らがどれほど気遣いに満ちた人たちかと
いうことが少しずつ見えてきて、こんなふうに痛みの分かる人というのは、ひょっとして他者を解放する力があるのか
なと思ったんですね。
そのころ、聖書の徹底した再読もなさったそうですね。
本田 私の体験したことは、それまで教会で学んだり神父として
信者に教えたりしてきたこととはかみ合わないので、おかしいと。そこで従来の訳や神学にとらわれず、原文に
こだわりながら聖書を丁寧に読み直すことを始めたのです。その過程で、それまで見えていなかった聖書の一貫した
メッセージがはっきり見えてきた。それは、神は一番貧しく小さくされた仲間たちを選んで、その人たちを通して
救いの力をすべての人に伝えようとなさる方だということ。聖職者だからとか、洗礼を受けた信者だから神の
はたらきを人々に伝えることができると考えるのは、根本的なところで間違っていた。私は釜ヶ崎での体験が強烈
だったので、新たな赴任先に釜ヶ崎を志願しました。
「ふるさとの家」ではどのような活動をしてこられましたか。
本田 当初は仕事を得る上で不利な高齢の日雇い労働者に、
せめて安くて栄養のあるものを食べてもらうために食堂として、四十年ほど前に始まりました。しかし不況で
仕事が減るようになると、一番来てほしい貧しい労働者たちは来られず、多少ゆとりのある人が特権的に利用すると
いうことになってしまった。
そこで、お金がなくても誰でも気兼ねなく利用してもらえるように、数年前に食堂はやめ、食料や
ボランティアの支援は近くの公園で行なっている炊き出しに統一することにしました。現在は、日雇い労働者たちの
生活相談や安否確認、労働者同士の情報交換の場になっています。野宿を強いられた労働者の散髪もしています。
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宣教については。
本田 釜ヶ崎では、炊き出しを組み込んだ礼拝集会をして、
洗礼を授けるというような団体もいろいろあるようですが、それはあまりあるべき姿ではないという気がします。
私は、痛み、苦しみ、さびしさ、悔しさ、怒りを身をもって知る人はみな、本物の洗礼を受けていると考えています。
むしろ、宗教者たちが、もっと人の痛みに敏感になって、小さくされているがゆえに本物と偽善を見分けることの
できる野宿者たちの鋭い感性や洞察力を学ぶことの方が大切なのではないかと思います。
近著『釜ヶ崎と福音』では、独自の福音解釈をされていますね。
本田 「福音」というのはキリスト教の専門用語ですから、
もう少しかみ砕いて、どこの宗教の人たちにとっても違和感なく共通する言葉を本当は探し当てなくてはならない
のではないかと思っているのです。人を元気にさせる知らせ、とかね。イエス自身、さまざまな宗教や文化を
オープンマインドに認めていた。そして特定の宗教の人に対してではなく、すべての人に向けて福音を告げたのです。
そういう意味で、福音の中身、エッセンスは、超宗教的で普遍性があるということですね。
福音は言葉以上に「身をもって告げ知らせる」ことが大事だと指摘されていますね。
本田 例えば、飢餓やエイズに苦しむアフリカの人々のために、
と日本で讃美歌を歌ってお祈りをしても、現実的な結果や効果はないわけですね。イエスが教えたのは、あなたたちが
祈ることはすでに聞き入れられていると信頼して行動を起こしなさい、ということだった。神は常に、人間を
通してはたらかれる。行動を起こすまで行って、それが本当の祈りだということですね。
私たちを行動に踏み切らせるのは「痛みの共感」だとご著書で言及されていますね。
本田 イエスは、打ちくだかれた貧しい民衆を勇気づけ、希望を
抱かせるような、当時の人々に奇跡と呼ばれた行為の前に、しばしば「彼らを見てはらわたを突き動かされた」と
聖書の原文には書かれています。ギリシャ語で「スプランクナ」という「内臓」を意味する言葉が動詞として
使われている。それは、痛みや苦しみに直面して、やむにやまれず、何かせずにいられないという感情ですね。
イエスの福音活動は、いつもそのような痛みの共感から始まりました。
日本語の聖書ではそれを「深くあわれまれた」と訳していますが、「あわれみ」とは上から下へと
いう、一方の優位性が前提になった発想ですから、そのような表現ではイエスが本当に伝えたかった、放って
おけないという気持が逆にゆがめられることになる。そういうところは、原文に忠実であるべきだと思います。
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他者への「痛みの共感」を深めるには。
本田 痛みを否応なく見せつけられるような場に自分も
立ってみるということが有効な方法かもしれませんが、それだけでは不充分です。大事なのは、自分の人生の中で
極度に落ち込んだり、つらかったりした体験を思い起こして、その時に自分は何が見えただろうとか、本当に支えに
なってくれたのは誰だっただろう、というかかわりの本質のようなものを丁寧に受け止め直す努力をしてみること。
その痛みや苦しみ、さびしさ、悔しさ、怒りの深さ、重さは、ゆとりの中で生活している自分と野宿を強いられる
までに社会から切り捨てられた労働者とでは違うかもしれない。しかし、悲痛としては必ず共通するものが
あるわけです。自分が経験した数倍、数十倍の思いをこの人たちはしているということが分かれば、何をなすべきか、
何をしてはならないかということが見えてくる。自分の中の負の部分をしっかりと受け止める勇気を持つことが、
ある意味で痛みの共感・共有につながるのではないでしょうか。
路上生活者支援の望ましいあり方とは。
本田 衣料や毛布を配布したり炊き出しをしたりするのも
もちろん、緊急避難として必要なことですが、そこに終始するような支援というのは、労働者が一番必要としている
仕事を作り出すことにはつながらない。例えば、一九九三年に私たちが始めた「釜ヶ崎反失業連絡会」では、
行政から振り向けられる仕事の受け皿として「NPO釜ヶ崎支援機構」という組織をつくり、一回四時間の地区内の
清掃の仕事枠を一日二百十四人分獲得しました。そこに野宿の労働者が三千人近く登録していて、輪番制で一ヵ月に
一人三回くらいは確実に仕事が回ってきます。年を取っても体力が落ちても、炊き出しに並ぶのではなく、自分に
見合う仕事をして飯が食いたいというのが本当の望みなんです。だけど日雇い労働者は住民票や身元保証人などが
ハードルとなって定職に就くことが容易ではない。他に選択肢がないので野宿せざるを得ないという事実を受け止め、
そうならずに済むように、就労や福祉による生活をともに実現させるようなかかわり方を模索することが
必要ですね。
宗教者にはどのようなかかわり方を期待されますか。
本田 釜ヶ崎に限らず、何の恩恵もなく貧しい中でひたすら
耐えているような社会の底辺に立たされている人たちに、どんなポジションからでも連帯してほしいですね。
例えば浄土真宗ならば親鸞聖人の「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という悪人正機説は
本当にすばらしい逆説で、真実をついているわけですね。そういうことをもっと多くの人に伝えて、社会一般の
偏見を崩していく砦になってほしい。
そもそも改善するべき問題は釜ヶ崎にあるというよりも、釜ヶ崎を必要とする社会の構造に
あるわけです。ですから宗教者にしても、政治家や医者や教師にしても、それぞれが自分の社会的立場で、
一番底辺に置かれている人たちの視座に立って、与えられた能力や技術や人脈を有効に生かして、彼らの真の
願いの実現に協力していただきたいと思いますね。
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