世界経済の複合危機が高まり、これまで多くの問題を先送りしてきた日本の政治・経済にとって、さらに問題は急増し複雑化した。
首相ですら手をこまねき、次々と政権を投げ出す。後任候補たちも慎重で重い口ぶりで、問題解決の自信があふれているとは見えない。
結局現世代は問題をこねくり回しながら、つけを後世代に回そうとしているだけではないのか。そうであれば若者たちは、もう大人には任せられない、自分たちが政治・経済を動かす番だと思わないのだろうか。
アメリカの大統領選や韓国の大統領批判では、若者が率先して行動していたのだから、日本で出来ないはずはない。だが日本の若者は、自分が何を言ったところで動かせるはずはないと思いこみ、携帯電話のバーチャルで私的な世界に埋没しているようだ。
社会を動かすには、自分を人前にさらし、自分の声で自分の考えを人に通じさせる、生身のコミュニケーションが必要だ。だが、学生に聞くと、携帯のせいでそれはやらなくなってしまったという。困ったものだ。
だがこれに気付きタウンミーティングやデモに参加したり、ボランティア活動をしたりする者も少しずつ出ているのは心強い。それに若者は、大人社会の腐敗に対し怒り心頭だ。若者を非難する前に大人たちが反省しろと彼らは皆言う。
若者が日本を動かすには、携帯社会から生身の社会に飛び込み、腐敗をつまみ出し、難問に答えを見つけねばならない。これが出来るのか。出来なければ、若者も大人も衰退という船の同乗者になってしまう。これからの社会を担うのは若者だ。ここはやはり、若者よ出(い)でよ、と叫びたい。(曙光)