小谷野さんから、(たぶん、僕の著書『三浦綾子論ー「愛」と「生きること」の意味』<94年 小学館刊 今年中に80枚ほど増やした「増補版」が出ます>を意識しての質問だと思うのだが、『氷点』で主人公の「陽子」が物語の終盤になって「自分は犯罪者(殺人者)の娘である」と意識するようになったことに関して、「犯罪者の娘もまた犯罪者のごとくに想定する点で差別的な小説だと考えており、……いかがお考えか、お聞かせ下さい」との質問があった。
そのことについてお答えしたい。僕は、三浦綾子の文学について考え続けてきた批評家の一人として(また、何度か直接お会いして彼女の人間観・文学観についてお話を伺う機会を持った人間として)、基本的に三浦綾子という作家は「差別意識を持たない作家」、あるいは「内なる差別意識を排除しようと努力してきた作家」と言えるのではないか、と思っています。その意味で『氷点』において『差別』を増長するような意図は全く三浦綾子の中にはなかった、と僕は思っています。ただ、小谷野さんが指摘するような意味での「差別」は、三浦綾子の「無意識部分」にはあったかも知れません。僕も含めて誰でも、「無意識」のうちに他者を「差別」することがあるからです。特にプロテスタントの熱心な信者であった三浦綾子の人間観の根底には、「性善説」があったと僕は見ており、殺人=悪、犯罪=悪と単純に見ていたのではないか、とも思っています。これが、小谷野さんのような考え方も「あり」かな、と思う理由です。
ただし、僕自身は「陽子」が「人間の中には<氷点>がある」(要旨、つまり「犯罪者の娘もまた犯罪者である」という考え方を許す三浦綾子の思想)と言った意味は、小谷野さんがいうようなことではなく、自分が存在することによって自分を育ててくれた「辻口家」やその関係者に言うに言えぬ精神的負担をかけたことの全体=総体に対してであって、「犯罪者の娘もまた犯罪者」という考え方とは違うのではないか、と思っています。つまり、「人間の心の中には氷点がある」という考え方は、キリスト教で言う「原罪」から導き出されたもので、そうであるが故に『続氷点』において、実は「陽子」は犯罪者(殺人者)の娘ではなかったことが証されるようになったのだと思います。この『氷点』から『続氷点』へ移行する際の「差違」について、僕はやはり小谷野さんが言うような三浦綾子の「差別」意識(思想)に基づくものではないのではないか、と考えています。
詳しくは、拙著を読んでいただくしかないのですが、これでいいでしょうか。
なお、一つだけ訂正があります。それは僕の著書は昨年までで「21冊」(編著書・共著は別。因みに、自費出版は1冊もありません)、「10冊以上」(僕の解釈では12,3冊)ではありません。今年は、(僕の努力次第ですが)先の「増補版」も含めて3冊出る予定です。
(昨日のこの欄に「農水省」と書くべきところ年金のことを考えていたので「厚労省」と書くなど「重大な間違い」がいくつかありました。気が付いたところは訂正しておきました。読者の皆さん、ご了承下さい。) |
おれの批判に答える答えないは自由だが、おれの批判には応接すべき理があると思うから言うだけだ。
三浦綾子のような通俗作家にゴマをすろうなどという黒古先生のコンタンは卑しいが、それはまあ良い(そりゃぁ、三浦綾子も生前1冊くらいはモノグラフィーが欲しかったろうし、版元もサーヴィスしてやりたかっただろうよ)。で、プロテスタントが「性善説」だという珍説の意味ワカラン。それでなおかつ、「原罪」云々というのだから支離滅裂だ。「原罪」を背負ってても、人間は「性善」なんですか?そのことについての説明は、増補版でしてあるんでしょうか?
問題は、黒古先生の言う差別意識なるものが、「『差別』を増長するような意図」の有無に基本的に規定されているとされているところだ。しかし、先生が選考委員をしている部落解放文学賞の胴元が言う「差別」は、「意図」などに関係なく、「無意識部分」に向けて差別糾弾闘争を行ってきたのではないか? ちなみに言えば、おれは、そういう糾弾闘争の意義を一定程度評価するものである。それが、黒古先生の誇る「全共闘」の言った、「すべてのことは政治的である」という言葉の世界的な意味でもあった。ただ、その糾弾闘争が、自派の都合のいい者には極端にアマくなり不都合な者には必要以上に厳しくなるということを何度も見てきた。そのところには批判的だ。黒古先生の三浦綾子擁護は、間違いなく前者である。『氷点』という通俗小説の通俗な所以は、たとえば、かつてハンセン病が「原罪」だと言って大衆に媚びた多くの小説と同じ(いや、それ以下)であることは明らかではないか。
黒古先生は、それでも左翼で全共闘世代なのか?
おれには、サヨクの恥、全共闘世代の恥としか思えん。
あまりにもバカバカしいので、怒り心頭、小谷野先生より先に書き込んでしまいました。スマソ。
一般化した場合:プロテスタントが性善説とか性悪説とかはないでしょう。また、原罪は、とくにプロテスタントと繋がるということではありません。
三浦綾子の場合:「生前」に確認しておくべきだった、ナンチャッテ。
いや、真面目に言えば、クロコダイル先生が「三浦綾子が性善説を取っていた」と作品等から立証できるなら構わないでしょう。しかし、上にも述べたとおり、彼女がプロテスタントだからというのは理由になりません。
(しかし、「はてな」の自動URLリンクと違って、URL貼り付けたって実名かどうかわかりませんな。私がいくら実名と主張しても、そちらでは確認できないので匿名と同じですわ。)
連投スマソ
先生は目が悪いかブラウザの文字を小さくしているのではありませんか。
誰でも誤字やミスタイプはありますが、学校の先生としては確かに多すぎますので。
余計なことですみません。
三浦綾子が言っているのは、単なる「親の因果が子に報い」的な因果話。まぎれもなく差別的だ。
そして、そのいい加減さ(非哲学性)はこの部分につきる。
>実は「陽子」は犯罪者(殺人者)の娘ではなかっ
>たことが証されるようになった
ほう。そのご都合主義的プロットでどうやって「犯罪者の娘もまた犯罪者」という差別的意識が解消されたといえるのかな?
>この『氷点』から『続氷点』へ移行する際の「差違」に>ついて、僕はやはり小谷野さんが言うような三浦綾子の>「差別」意識(思想)に基づくものではないのではない>か、と考えています。
「と考え」た黒古センセの意識(無意識?)のなかには、なお「でも、本当の人殺しの子なら人殺しと同じ」という差別意識がウズ巻いているのではないか?
とうとう文芸サヨクの底が抜けはじめたな!
ところで、もう一つ。黒古先生は『氷点』と『続氷点』の「差違」と(わざわざ括弧付きで)おっしゃっていて、この「差違」に深遠な思想が込められているように言っていますが、この「差違」って何ですか?
昔、ある書評で黒古先生が「脱構築」なんて言葉を一知半解(というよりは、無知に基づいて)使っているのを読んで呆れはてたことがありましたが、まさか、デリダを念頭において三浦綾子を論じたなんて言い出すんじゃないでしょうね。
ちょうど先生は全共闘世代(団塊世代)にあたるようですので、お尋ねしたいことがあります。
まずこちらをご覧頂けますか。
http://kangaeru.s59.xrea.com/G-Satujin.htm
少年犯罪はちょうど1950年から1960年にかけての犯罪が非常に多いという統計結果になっています。
これは先生と同時代の少年が該当するものと思われます。
昨今の少年犯罪のひどさがマスメディア上で声高に叫ばれていますが、統計を見る限り、実は半世紀ほど前の日本のほうが、むしろひどい状況だったのではないかと思うのです。
果たして当時の人々には、少年犯罪がひどい時代だったという認識があったのでしょうか?
そこで同時代に生きた者として、先生に当時の少年犯罪はどのように苛烈なものだったのか、何かエピソードなどをお聞かせ頂きたいのですが、このような質問にお答えいただくことは可能でしょうか?
よろしくお願いいたします。
私は三浦綾子より住井すゑの方が遥かに好きです。
以下は、自称小谷野先生に対してです。
>そしてキリスト教において、親が犯罪者であれば子も罪人という思想は、あったに決まっており、なぜならキリスト教徒の多くは、ユダヤ人を、キリストを殺した民族の子孫として差別してきたからです。
というのはどこかからの引用ですか。それとも小谷野先生の認識ですか。もし小谷野先生の認識なら、
>親が犯罪者であれば子も罪人という思想は、あったに決まっており
とは、何を根拠に。
>キリスト教徒の多くは、ユダヤ人を、キリストを殺した民族の子孫として差別
通俗西洋史ですね。キリスト(ナザレのイエス)自身が純粋なユダヤ人なのにね。
そうでなかったら、小谷野先生ごめんなさい。
(どうも、このブログではクロコダイル先生が匿名匿名というわりには「はてな」のような本人確認機能がないのですよ。私も私自身を証明できないし、猫猫先生も本人かどうかわかりませんよ。どうも変だ。)
Dr. Marks こと
Mark W. Waterman, Ph.D.
↑このように書いてもむなしいんだよ。このシステム。
バカ
クズ
と罵った相手を、
相手ブログのコメ欄で
「先生」
とか
「礼を失したことがあればお許しください」
などとヘリ下れるのだろうか。
実に不思議です。
ただ、僕はあなたの言う「1850〜60年」が僕の5歳から15歳に当たり、人口4万人足らずの田舎町で育っていますので、実感(記憶)としては僕の育ったその町で、僕らと同世代の少年が殺人事件を起こしたということは記憶していません。しかし、新聞やラジオ(テレビはその当時、ほとんどの過程で所持していなかった)のニュースで少年が起こした「凶悪犯罪」(殺人事件や強盗事件など)を知った大人たちや教師たちが「また浮浪児(戦災孤児)が事件を起こした」というようなことを話していたのを聞いたことがあります。
戦争が終わって10数年、文学も含む様々な分野で「もはや戦後ではない」と言われたのは、確か1960年代の半ばだったように記憶していますが、それ以前は、戦争(銃後も含む)による精神的な荒廃が激しかったのではないか、と思っています。警察による都会(恐らく県庁所在地の都市と同等以上の都市)での「浮浪児」狩りのことをある教師が「お前たちも街でふらふらしていると捕まるぞ」と半ば脅かすようにしゃべっていたのも記憶していますし、戦争の後遺症ということであれば、夏祭りや神社の例大祭、鎮守様などのお祭りに行くと必ず白衣を着て軍歌をかき鳴らす「傷痍軍人」を見ることになり、子供心に「戦争の爪痕」がいつまでも残っている、というようなことを思ったものです。
体験的な言い方になりますが、僕の記憶ではその4万人弱の町で僕が育った時代に同じ年頃の少年が殺人を犯すという事件は全くありませんでした。
ですから、あなたが改めてお示しになった「統計」と僕の体験では大きな「ズレ」があり、そのことが僕の昨今の「少年凶悪犯罪」に対する考えに影響しているかも知れません。経済的にも精神的にも追い詰められていた「浮浪児」を中心とした当時の少年たちの犯罪には、僕の記憶を元にした思考では、何らかの「理由」があったのではないか、という思いが強くあります。例えば、何不自由なく育った中学生たちが「面白半分」にホームレスを襲って殺すというような事件はなかったのではないか、と思っています。「団塊の世代」ど真ん中の家人(彼女は僕の育った田舎町よりもう少し大きな都会の真ん中で育ちました)にも聞きましたが、少年犯罪が頻発していたという記憶はないそうです。
以上ですが、これでよろしいでしょうか。
ただし差別意識があるからといって、必ずしも作品の価値が損なわれるとは限りません。そのような差別意識を持った人間の姿、或いは差別意識そのものを描くということが、文学として優れた価値をもつ場合もあるからです。そして勿論、作者自身が差別意識を客観化してなくて「本当に」差別意識を持っていた場合であっても、いい作品になることはあるでしょう。
三浦綾子を擁護するなら、そういう観点からするしかないでしょう。差別意識がない、と言うことはどう見ても不可能であって、黒古君は何かの必要があって詭弁を弄していると見られても仕方がない。
あんたみたいな、いい加減な「実感(記憶)」で少年犯罪を語る輩は、「市中引き回し」発言の鴻池みたいなのと寸分も違わねーんだよ! これで自分では「進歩派」「リベラル」気どりなんだから、救いようがない。
保守反動ブタ、社会統制権力のイヌめ。何が原爆ブンガクだ。何が戦後民主義だ。あんたの世渡りダケのための左派ポーズにはうんざりだ。
あんたの頭の中にあるのは、偏見と差別意識と俗情との結託と地位への執着(筑波大学長への抗議をにおわせたら、あわてて訂正陳謝する卑怯さ!)と……そんなガラクタばかかりだ。
大学教員どころか、市井の言論人としても、あんたは完全なニセモノだよ。
>「匿名」(訳のわからないペンネームも同じ)を隠れ蓑にしている人には一切応接しませんので、悪しからず。
だよ。「タケ」と名乗る人にはちゃっかり返答してるじゃないか。
逃げ回るのもいい加減にして、前エントリに付した私のコメントにさっさと応答しろ、このクズ。
ここを見ている筑波の学生さんたちや同僚の先生方(if any)はどう思ってるんだろうね。黒古一夫が大学教授にあるまじき凄まじいまでのバカであり、しかも一言論人としての誠実さの欠片も持ち合わせていない、卑怯千万、厚顔無恥の愚物である――要するに完全な不適格者であることを示す、これまでの経過をまとめて文書にし、大学に送りつけてやったらどうなるだろうね。
旧約聖書ではヤハウェ(とその名前を発音することにしますが)は、従えば(或いは現に従ったので)子々孫々に到るまで繁栄させるが逆らえば(或いは現に逆らったので)子々孫々に到るまで侮りを受け恥辱にまみれさせるぞ、というタイプの飴と鞭をことあるごとに使っています(カインやハムやエサウの子孫はいい迷惑です)。ということは、酷い目に遭っている子孫が「なぜですか?」と問うと「お前の父祖が〜したからだ」という応答だけが帰ってくるわけなので、これは「親の因果が子に報い」の典型ですね。ヨブ記に見るように「義とされた人」がこの世に於いて繁栄を享受するかというとそんなことはなく――ヨブ記だと最後に無理やりとってつけたようにまた家産が増えて子孫が繁栄するわけですが既に死んじゃった子孫なんざ気にも留められていない――仮に子孫が「義人」だったとしても(つまり「罪人」ではなかったとしても)、親の因果のせいで酷い目に遭うということは旧約聖書的に不思議なところはない。
ユダヤ人迫害はどうなんでしょうね。福音書にはピラトとのやり取りで、ユダヤ人の会衆が四シュア殺害の咎を自分たちと自分たちの子孫が引き受ける(から是非とも処刑せよ)という宣言をしたことになっているわけですが――これも子孫の側からしたらいい迷惑で子孫自身が咎を引き受けたわけじゃないのですが――先祖の行為のせいで子孫もその咎を引き受ける(つまり「罪人」)ということになるのでしょう。こっちは一応「罪人の子は罪人」という発想なんでしょうかね。ただ、現実のユダヤ人差別は基本的には日本の部落差別なんかと一緒で理由なんかありはしない(いやまあ利子とって金融業営んでれば逆恨みは買うでしょうが)、しかし「どうして差別するのか」と問われてから後付の理屈として初めてこういった聖書的言い訳が出てくるに過ぎないでしょう。だから、キリスト教徒がユダヤ人差別以外の日常の場面で「罪人の子は罪人」というような発想をしていたかというと、それは良くわからない。
> 通俗西洋史ですね。
> キリスト(ナザレのイエス)自身が
> 純粋なユダヤ人なのにね。
ヨシュアの人性を否定するタイプの(或いは少なくともカルケドン型三位一体説ほどに人性を重視しない)古代教会の教派なら、ミリアムがユダヤ人であろうと、ヨシュアのユダヤ人性を否定するのになんの苦労もなかったでしょう。それにヨシュアのユダヤ人性を認める三位一体説の場合だって、「メシア」殺しの「罪」はヨシュアが死んで初めて成立するわけなので、ヨシュアが生まれてから死ぬまでユダヤ人であったとしてもヨシュア本人は「メシア」殺しの「罪」を負ったりしないわけですよね(ヨシュア以前のユダヤ人が遡及的に「メシア」殺しの「罪」を負ったりしないのと同じ & ユダヤ人である旧約聖書の預言者たちが「メシア」殺しの「罪」に問われたりはしないわけで)。従って、ヨシュアのユダヤ人性についてどのような見解を取ろうと、ユダヤ人の「メシア」殺しを以降のユダヤ人の「罪」として糾弾する妨げにはまったくなりませんね。
ところで、黒古がいかに「筑波大大学院教授」の地位に驕っているかという一例。黒古ブログ2007・8・11付け参照です。
司修法政大学名誉教授と一緒に与謝野蕪村の調査をやった時、地方のコレクターが「筑波大大学院教授」の名刺出したのにお宝見せてくれないというので怒っている。何じゃ、これ。突然あらわれた人間が小うるさくて見せてやらないというのは、フツーの人の常識的な反応だろう。自分を何様だと思っているのかね。また、そのコレクターが司修を知らないというのにも怒る。一般人が司修知らなくて当たり前でしょ。これって権力意識丸出しじゃないですか。村会議員みたいですね。
この間のコメント欄の相対的にリーズナブルな批判にレスポンスしようとしない傲慢さに通じます。
本当に、自分が権力的でないというのなら、答えてみなさいよ。
しかし、別に司修とか知らなくても全然構わないような。たいした画家でも作家でもないでしょう。黒古先生は自分が知り合いであることが誇らしい「有名人」が実はそんなに有名じゃなかったので、虎の威を借るなんとやらおとしてはご自分の自尊心も傷ついちゃったのでしょうね。でも先生の本丸ご本尊であらせられる立松和平も全然有名じゃないですから安心してくださいね。知ってたとしても、テレビに出てきてキモい栃木弁で知った風なナレーションするウザい奴くらいなもんです。
> まだ大学院生の時、依頼されて各地の同人雑誌や文化活動を
> 取材したことがあるのだが、地方文化人の対応はおしなべて
> 2通りに分類できるものであった。一つは、取材に来てくれた
> ことにひたすら感謝して全面的に協力してくれるタイプで、
> もう一つは「俺は地方文化を支える偉い人なのだ。聞きたい
> ことには答えてやるが、余り協力はしないぞ」という
> ふんぞり返っているタイプ。
その2007年8月11日の記事のこれも実に味わい深いなぁ。取材如きで舞い上がって色々しちゃう奴の方が地方コンプレックス丸出しでキモいだろう。ちやほやしてもらえないと、思わず相手が傲慢だということになってしまう黒古先生でした、の巻。
まあそもそも同人とかやってる時点で自意識過剰――取材と見れば私を見てみてみてとばかりに飛びつく or (ふんぞり返っているかどうかはともかく)取材なんかに舞い上がらず阿らないオレ偉いなあ――のキモい人が多いという点に関しては、黒古先生に同意しますね。確かにその2種類しかいないもんな。
そうなると昨今のマスメディアの報道のされ方と半世紀前の報道では、少年犯罪に対する扱いが違っていたりするのでしょうか?
テレビがほとんどなかったとおっしゃっているので、新聞とラジオの報道のみの時代とは、マスメディアの少年犯罪の報道の仕方も代わり、現在の少年たちは自分自身がテレビのニュースで気軽に事件を知れることも要因なのでしょうか。
先生は少年犯罪の報道を「大人たちや教師たち」から聞いて知ったということなので、先生の時代には少年たちはあくまでまわりの大人たちからの聞き伝えが主だったわけですよね?
先生の時代の少年たちも今の子どもたちと同様にあまり新聞も読まないし、ラジオでニュースを直接には聞かなかったと(と解釈してしまってよろしいでしょうか?)なると、いかに現在のテレビ中心のニュース報道が少年たち自身に直接的な影響を与えているか、とも受け取れます。
ニュースを周りの大人たちを経由して(身近な大人のバイアスをかけて)耳から知る先生の世代と、ニュースを直接テレビの映像から目で知る世代とでは、影響が異なるように思います。
少年犯罪報道の過程やあり方も考えなければなりませんね。
新聞やラジオではなく、周りの大人からニュースを知って育ったという先生の体験談は参考になりました、ありがとうございます。
> 経済的にも精神的にも追い詰められていた「浮浪児」を中心とした当時の少年たちの犯罪には、僕の記憶を元にした思考では、何らかの「理由」があったのではないか。
半世紀前の少年たち(「浮浪児」という言葉は初めて知りました、勉強になりました)には経済的、精神的な理由があったと述べておられます。
しかし現在の少年犯罪にも、経済的にはともかく(それだって物が溢れている昨今では友達の家庭と比較することでの所得格差は子供ながらに感じるとは思うのですが)、精神的な理由はあると思うのですが、先生(を始めとする多くの大人たち)の「何不自由なく育った中学生たち」という言い方には、現在の子供たちの精神的な理由を探ろうとする思考が欠け、経済面しか指摘されていないように思います。
私は「何不自由ない」という状況は、常に自分自身での行動の選択決定を迫られるという意味で、むしろ「不自由」であると考えています(むしろお前がこれをやれ、と一方的に決められていたほうが楽な面があります)。
「あなたは何をやってもいいよ、けど何をやるかはあなた自身が決めなさい」という状況は、それに対応できない人間にとって、きつい社会になると思います。
また質問をよろしいでしょうか。
半世紀前の少年たちで犯罪をしていた者は、精神的経済的に追い詰められていたとのことですが、それで全員が全員精神的経済的にも追い詰めらる少年ばかりではなく、普通の家庭の子供や裕福な家庭の少年たちもいたはずですが、半世紀前には経済的精神的に余裕のある立場にいる少年の犯罪は存在しなかったのでしょうか? 当時の少年犯罪は全て「浮浪児」の仕業だったと言い切れるのでしょうか?
半世紀前は新聞とラジオだけがマスメディアの時代と言うことは、今よりもずっとニュース報道の数も少なかったわけですし、少年犯罪自体も今よりもずっと多い時代と考えると、裕福や普通レベルの家庭の少年犯罪が、「浮浪児」の犯罪の影に隠れてしまった可能性があるとは考えられませんか?
それ故、このブログとコメント欄、小谷野、栗原両氏のブログ、それに付随する2ちゃんねるでの書き込みは近来の快事である。益々の発展を望む者である。