桜井淳所長に拠れば、Alvin M. Weinbergは、Oak Ridge National Laboratoryの研究員の時(戦後すぐ)、今日のPWRの概念を提案したことで知られており、最終的には、Oak Ridge National Laboratoryの所長を務め、哲学論文や著書を発表しましたが、中でも話題になった哲学論文が、Alvin M. Weinberg "Science and Trans-Science", Minerva, Vol.10, pp.209-222(1972)で、その一節のMany of the issues which arise in the course of the interraction between science or technology and science hang on the answers to questions which can be asked of science and yet which cannot be answered by science.(p.209)(科学に問うことはできても、科学には答えられない問題がある)は、あまりにも有名になり、Alvin M. Weinbergは、そのようなグレーゾーンに満たされた分野のことをtrans-scientific(超科学)(p.209)と定義し(領域横断科学と訳している例もありますが、意味からすると、超科学の方がぴったりします)、いくつかの具体例を挙げておりますが、それらの中で、今日、なお、超科学のままなのか否か、ここで吟味しますが、まず、論文の構成と事例をピックアップしてみると、(1)Examples of Tran-Scientific Questions(Biological Effects of Low-Level Radiation Insults, The Probability of Extremely Improbable Events Engineering as Trans-Science, Trans-Scientific Questions in the Social Sciences,Axiology of Science as Trans-Science), (2)Trans-Science and Public Policy, (3)The Republic of Trans-Science and the Political Republic, (4)The Impact of Trans-Science on the Republic of Scienceとなり、The Probability of Extremely Improbable Events(p.210-211)において、発生確率の極めて低い事例として、破滅的原子炉事故と大地震が挙げられており、いずれも計算でき、前者の場合には、「もっともらしい"事象の樹"と"失敗の樹"を設定でき、個々の機器の故障の統計的数字から、破滅的事故のシーケンスを決め、発生確率を機械的に算出することはできるものの、その数字(炉・年当たり10のマイナス7乗)は疑わしく、途中の計算で使用したデータの信頼性の証明がなされていない」(関係箇所の要訳)としているが、この論文が書かれたのは、1971-1972年であり、当時、米国では、NASAで開発された"事象の樹"と"失敗の樹"を採用し、商用軽水炉(PWR, BWR)の破滅的原子炉事故の分析がなされており、Alvin M. Weinberg は、その手法と暫定的な数値を把握した上で、この論文を書いており、確かに、当時としては、Alvin M. Weinberg の指摘どおりでしたが、AEC "Reactor Safety Study", WASH-1400(1975), その後のNRC "PSA Procedures Guide", NUREG/CR-2300(1983)とNRC "Severe Accident Risks : An Assessment for five U.S. Nuclear power Plants", NUREG-1150(1990)を見る限り、手法とデータは、洗練され、信頼に値するレベルに達していることが分かり(trans-scienceとは位置付けられません)、よって、問題は、ふたつの事例の前者の大地震に対して、最近、世界(特に日本)で発生した大地震(中地震の大も含む)を吟味してみると、事前に発生メカニズムも分からず、当然、発生時期の予知もできないことからして、今日でも、依然、trans-scienceと位置付けることができ、つぎに、Engineering as Trans-Science(p.211-213)の内容についてですが、ここでは、「エンジニアが設計する時、特に、先端技術分野ではそうですが、時として、設計に必要なデータが揃っていないにもかかわらず、データの蓄積を待つことなく、定められたスケジュールと予算の中で、保守的条件(安全側に評価する条件)での設計条件を課し、仕事を進めなければならないという問題がある」という主旨の議論をしていますが、エンジニアのそのような判断は、確かに不確実性はあるものの、大きな安全係数を採用する等のengineering Judgementにより、処理できる問題であり、採りあげるテーマにも拠りますが、trans-scienceと言うほど大きな問題でないように思え、多かれ少なかれ、時代ごとに、ひとつのtrans-scienceが消え、新たなtrans-scienceが発生し、その循環によって、科学と技術が進歩していると解釈でき、現代社会におけるtrans-scienceが何であるかを分析し、社会が認識しておくことは、欠かせないことです。