芥川流敷島ノ道
西行法師ト芥川流徒然ノキサラギ
「願わくば 花の下にて 春死なむ その きさらぎの 望月の頃」 西行法師
旧暦では 「きさらぎ」 は、桜の時期だそうです。
「満月の桜の花のしたで、一生を終えたい・・・」
西行(さいぎょう)は、院政期から鎌倉時代初期にかけての僧侶・歌人であります。
保延元年18歳で兵衛尉に任ぜられ、鳥羽院の北面の武士として奉仕していたことが記録に残ります。
俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)といいました。
23歳で出家して円位を名のり、後に西行とも称しました。その動機には、友人の急死にあって無常を感じたという説が主流ですが、失恋説もあります。
晩年東大寺再建の勧進を奥州藤原氏に行うた
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