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2008年08月27日

田中 早苗 弁護士 経歴はこちら>>

「医療の実情」理解深める報道を

 8月20日、業務上過失致死罪を問われた医師に福島地裁が無罪を言い渡した。胎盤が子宮に癒着する「胎盤癒着」だった。1万件に1件という珍しいケース。医師が手で胎盤の剥離手術をしたところ、妊婦は大量出血で死亡した事件である。

○相次ぐ訴訟が産科医を萎縮させる

 検察は、胎盤癒着と診断した場合は胎盤剥離をせず、子宮摘出に移行すべきだったと主張。しかし、裁判所は「(移行手術の)具体的な臨床症例は検察側からも被告側からも示されていない。検察側証人の医師のみが検察官と同じ見解を述べるが、同医師は腫瘍が専門で癒着胎盤の治療経験に乏しく、主として文献に依拠している」とした。他方、弁護側証人の医師の証言により、最後まで胎盤をはがした判断を「標準的な措置」と判断した。

 また、仮に、検察がいう子宮摘出に移行したとしても安全とも言い切れない。2006年の東京都内の病院で、胎盤癒着がみつかり、ただちに子宮摘出手術に移ったが、大量出血が起こり、母親を救命できなかった。この病院はリスクの高い出産を扱う総合周産期母子医療センターだったという(21日付け朝日)。

 本来、お産には危険がつきものだ。ただ、日本の周産期死亡率は、世界で最も低いといわれており、「無事生まれて当たり前」という状況に私たちは慣れてしまっている。また、昨日まで健康だった母親の死亡や死産は、被害が甚大なので、「なぜ、私たち家族だけが…」という遺族感情が激しく、産科は医療過誤訴訟が多い。世界最高峰の医療なのに訴えられやすい分野。医者が産科医を敬遠する一つの理由に医療過誤訴訟があるのは確かだ。

 産婦人科または産科医の人数は90年以降、2000人以上も減少。産婦人科医が民事で訴えられる確率は全診療科平均の3倍を超えるというデータもある。事件のあった福島県では事件後、11病院でお産を受け付けなくなり、10月にも1病院が撤退を予定している(読売ウィ-イクリー9月7日号)。17日付け朝日では、片道2時間ほどかけて診療に通っている妊娠10か月の20代女性を紹介している。地域で診療を受けられない“産科難民”だ。

○緊急医療も崩壊していく

 産科ばかりではなく、救急医療も崩壊しつつある。

 大阪高裁は、03年10月24日、「担当医の具体的な専門科目によって注意義務の内容、程度が異なると解するのは相当ではなく、救急医療に求められる医療水準の注意義務を負うと解するべきである」とし、専門外の医師がほどこした救急医療に損害賠償義を命じている。

 確かに、救急病院を定める省令には救急医療の専門医が常時診療に従事していることが要件とされているが、実際、救急認定医は2000人程度(当時)。救急認定医がすべての救急患者を診療することは現実には不可能で、専門外の医師が当直医として救急医療に従事しているのが現実だった。

 しかし、この裁判以降、各地の救急医療施設が指定を次々に撤回している。07年3月20日付け読売によると、01年3月末に全国で5076施設あった救急告示医療施設が06年3月末までに約8.5%にあたる432施設減少し、4644施設になった、と報じている。

 昨年12月、大阪富田林市。救急要請した89歳の女性を30以上もの病院が受け入れることができず、翌日死亡する事件が起きた。救急車は、受け入れ先がなく、「動かぬ救急車」となり始めている(朝日放送「動かない救急車~救急医療崩壊の現場」4月21日放送)。

○医師不足の解消を急げ

 医療現場の実情を理解しないのは検察や裁判所ばかりではない。

 医療崩壊の最たる原因は、医師不足である。その原因は、国が80年代から大学医学部の定員を削減したからだ。OECDによると、日本人口1000人当たりの医師数は2.0人とドイツ(3.4人)やフランス(同)、米国(2.4人)などに比べて少ない(25日付け日経)。

 厚生労働省の「安心と希望の医療確保ビジョン具体化に関する検討会」は8月24日、大学医学部の定員を10年後に現在の1.5倍の1万2000人程度にすべきだとの中間報告書骨子案をまとめた(25日付け日経)。これが、仮に、実現することになったとしても、明日、医療を受けなければならない患者にとっては、意味のないことだ。

 医療崩壊をくいとめるためにも、医療の現場で何が起こっているのか私達は知るべきだ。今後の各紙の報道に期待したい。

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