2008年9月13日(土)
行動学者
「この本本当に良く書けてるよ。自閉症に対する本だと思えば本当に良く出来てる」
妻が病院に行く度に、待合室で読んで毎回感心しながら帰ってくる。
「徹底的な行動学者が冷静に観察しているからいいんだね」
「これを読んでくれれば、私も働けたかもしれない」
妻が心底感心している本は、何処でも手に入る本だ。
その本の名前は「いぬのきもち ねこのきもち」
なにも、自閉症の子供を犬猫に例えろという訳じゃない。
そこにあるのは、学者の予断でも、教育学者の配慮想像でもない。
行動だけを見つめ分析する行動学者の冷静な目だけだ。
今、私自身が積極奇異についてどの様に書いたらいいか迷うように、
自閉症はSAMが無いから、自分のことすら見ることが出来ない。
その自分を見ることが出来ない自閉症の心をあれこれ詮索されても何の意味も持たない。
それならば、毎日の行動を冷静、いや冷徹なくらいに静かに観察した方が、
本人が違うと言っても、観察者の目の方が正しい場合があるのだ。
私たちに「心」は無い。
中途半端な期待と、「心情」を理解するよりも、彼らの行動を静かに見て、何か見落としが無いか。良く注意することが、共に幸せに過ごせると思うのだ。
私も猫の行動学の本を読むのが好きです。
ねこのきもちって雑誌も好きです。
自閉症やアスペルガーの本を読むと、よく腹がたったり気分が悪くなって吐いたりおなかを壊すんですが(テンプルさんと森口さんの本は別)、犬や猫の本を読むと気持ちが落ち着いてきます。
山岸さんが何度も説明しているSAMについては自分ではよくわからないのです。
わかりかけたような気がしたとたんにスルリとすり抜けていく感じです。
自分のことを振り返ってみると、アスペルガーの定義の「相手の気持ちがわからない」「相手の気持ちを考えられない」というのは全然当たってないような気がするのです。
「自分の気持ちがわからない」「相手の気持ち・立場を考えすぎて、相手の言いなりみたいになって、自分が本当にどうするべきか、どうしたいのかを完全に見失う」みたいな感じです。
もっとタチが悪いですが。
心が無いってのはなんか違う。
心の在り方が違うだけだと思う。
そもそも定型だけが人間ではありません。
わたしの心はロジックで出来ています。
情報の演算過程に心や感情があります。
渡されたデータを展開して演算過程を同化出来た時、リアルな内面的感覚を感じるでしょう。
それがわたしたちの持つ心だと思います。
コメント