2008-09-14 「篤姫」の(訂正)
<今日の「篤姫」は夏ばてでスタッフがボケていたのじゃないか。
最初のほうで篤姫が、薩摩から来た中に「小松尚五郎という者がいるか、調べられるか」と問う。続いて久光に会うのだがその際小松帯刀もついてくる。その後、将軍に頼んでもう一度帯刀と会う機会を作ってもらい、そこで篤姫は、肝付尚五郎が小松家へ養子に入り小松帯刀となったことを初めて聞くのである。
たとえフィクションだとしても、それなら最初の「小松尚五郎」という台詞は「肝付尚五郎」でなければおかしいのだ。
さらに言えば、久光に一人だけ小松帯刀がついてくるのに、その名を天璋院が知らされずにいるのもおかしいし、後で将軍から帯刀を呼び出しているのに相変わらず小松帯刀の名を知らずにいるのもおかしい。
それもこれも、小松帯刀と対面して、初めて小松家のちかと結婚し養子になった、と帯刀の口ずから聞かせたいがために重ねた無理である。だいたい、七年もの間、天璋院がそのことを知らずにいたのも激しく不自然だ。
しかし、他をどう言い繕おうとも「小松尚五郎という者」の台詞はフィクション内での大ポカである。さあNHK、土曜日にも同じものを再放送するのか。>
http://d.hatena.ne.jp/tonmanaangler/20080915/1221477793
なるほどそうか。そういえばそんな記憶もある。あとでここは消す。
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黒古一夫先生が、匿名でのコメントに対して、モラル・ハザードがどうとか書いておられる。いったいなぜモラル・ハザードなどという英語を使わなければならないのか私は常々疑問なのだが、では黒古先生は「東京新聞」の「大波小波」とか、『群像』の「侃侃諤諤」などの匿名批評についてはどうお考えなのだろう。私はこれらは、編集長とか新聞社が責任を担保しているからネット上の匿名とは違うと思うが、しかし別に匿名での批判に対して私が批判的だからといって、それが、倫理道徳が低下したからだとは思わない。仮に五十年前にインターネットがあったら、同じことが起きていただろう。
(小谷野敦)