朝鮮初期に開発された「ミサイル」とは(上)
朝鮮王朝は太祖・李成桂(イ・ソンゲ)の「神弓」と呼ばれた武術の腕があったがゆえに成立し得た。普通の弓より3倍以上も強力な弓を使い、鉄でできた重い矢を放っても、常に百発百中だったという。敵をも味方に引き入れるほど懐が深かった上に、当時は最先端の武器だった弓矢を使いこなせたがために、李成桂は朝鮮王朝を打ち立てることができたのだ。
だが、すでに火器の時代が迫りつつあった。太祖は即位した年(1393年)、高麗末期に火薬を作った崔武宣(チェ・ムソン)の息子・崔海山(チェ・ヘサン)を軍器監主簿(従6品)に抜擢(ばってき)し、本格的な火薬の開発を進めた。太宗7年(1406年?)には軍器監に所属する火薬匠らが作った火薬が「非常に強力なものだった」と記録されている。さらにその2年後には、興味深い記録がなされている。
「王様が解オン亭にお出ましになり、火車を発射するのをご覧になり、崔海山に馬1頭を下賜された。また、火筒軍に布50反を下賜された。火車は鉄リョン箭(鉄製の矢)数十本を銅製の桶に入れて小車(小さな台車)に載せたもので、火薬を用いて発射すれば破壊力は非常に強く、敵を打ちのめすことができた」というものだ。
この中には重要な情報が非常に多く記されている。解オン亭は昌徳宮の北東にあった東屋だ。10年近くにわたり、崔海山が火薬の開発に全力を傾け、大きな成果をもたらした。火筒軍は「第1次王子の乱(李成桂の息子たちによる、王位の継承をめぐる争い)」の際にも、李芳遠(イ・バンウォン)=後の第3代国王・太宗=が動員しているところから考えて、高麗末期から朝鮮王朝初期に存在した軍事組織であったと考えられるが、火車が火筒軍の主力兵器として採択されたのはこのときが初めてだ。これは現代風に考えれば、「独自のミサイルの開発に成功した」と考えることができるほど、重要な意味を持つ出来事だった。
だが、問題はその次の文章だ。「火車は鉄リョン箭数十本を銅製の桶に入れて小車に載せたもので、火薬を用いて発射すれば破壊力は非常に強く、敵を打ちのめすことができた」という記述は、世宗30年(1448年)に誕生したという「神機箭」についての説明と、そのまま一致するためだ。つまり、世宗(第4代国王)の代に作られた「神機箭」は、太宗の代に開発された火車を改良したものと見るべきだ。
イ・ハンウ記者
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