エウメネスを知るための史料


エウメネス関しては同時代史料は散逸してしまって残されていないものの、ローマ時代になると彼についてまとまった記述を 残している古代の歴史家・著述家がいるため、我々はエウメネスがどのような人物であり、どのようなことを知ることができ ます。それらの著作の中には邦訳があるものもれば無いものもありますが、どのような人物がエウメネスについて書き残して いるのかを取り上げてみます。

  • 伝記およびそれに類する物
  • エウメネスに関して書かれた古代の著作のなかにはプルタルコスによる伝記とネポスによる2つの伝記があるほか、 ポリュアイノスの戦術書にもエウメネスについて扱った項目が見られます(今ではいずれも邦訳で読むことができます)。 ポリュアイノスについては伝記というわけではありませんが、軍事面に関してエウメネスがとった作戦などをまとめて いるため、ここでは伝記と同じ項目に加えておきます。

    プルタルコス(50〜120頃)は帝政期ローマに生きた文化人でカイロネイア出身のギリシア人です。アテナイに遊学して哲学 や修辞学を学び、ローマの上流階層に顔が利く人物であり、そのことが対比列伝執筆のきっかけとなったと言われています。 対比列伝以外にも倫理論集と題して様々な著作を残した人物であり、晩年はデルフォイの最高神官に就任しています。彼の 「対比列伝」の中にセルトリウスの伝記と対になる形でエウメネスの伝記が含まれています。

    ネポスは詳しい生涯は分かっていませんが、共和政末期に活躍した人物であるとされています(前100〜前25と推定)。内乱の 渦中、キケロと文通したり同世代とされるアッティクスと交流を持ち、詩人カトゥッルスともつきあいのあった人物(カトゥッルス は自作の詩集の献辞に彼の名をいれている)で、様々な著作を残しましたが現存する物は「英雄伝」としてしられる著作のみです。 そのなかにエウメネスの伝記が残されています。

    ポリュアイノス(2世紀)はマケドニア出身のギリシア人で弁論家であったことしか分かっていません。161年のパルティア戦争 当時ローマで法廷弁論の仕事に従事し、パルティア戦争開戦が戦術諸執筆の動機・きっかけとなったようです。執筆された戦術書 は当時のローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスとウェルスの2人に献上されたと言われています。その中にはエウメ ネスに関する項目も見られます。

  • エウメネスと関連する歴史書
  • エウメネスが活躍した時代はアレクサンドロス大王がバビロンで死去した後に勃発した後継者戦争の時代であり、その時代を扱った 歴史書には彼の活躍も書かれています。その時代を扱った歴史書としてディオドロス、ポンペイウス・トログス、アッリアノスの 著作が現在完全な形であれ抄録や断片あれ残されており、エウメネスに関する史料として利用されているようです。

    ディドロスは前1世紀、カエサルやオクタウィアヌスに歴史家として活躍した人物で共和政末期の混乱の中でトロイア戦争の終わり からカエサルのガリア戦争までの時代と地中海世界からメソポタミア、スキュティアまでの広大な地域を扱った「世界史」を書いた 人物です。彼の歴史書については年代の不正確さや事項の配置の混乱、細かいが数多くの誤りゆえに低い評価を受け、単に様々な 史料をつぎはぎしただけとも言われますが、一方で彼独自の価値観も反映されているとする説もあります。エウメネスの活躍につい ては18〜19巻で詳しく扱われています(というか、エウメネスやアンティゴノスの動きが話の中心になっています)。

    ポンペイウス・トログスはアッシリアからアウグストゥス時代に至るまでの世界史を書いた歴史家で祖先はケルト系で、祖父が ローマ市民権を得てからは叔父・父親と軍人を排出した家柄であるとされ、時代的には紀元前後まで活躍した人物のようです。 彼の作品は扱っている時代や地域は広い物の「フィリッポス史(フィリッピカ)」という題名がつけられています。彼の作品は 完全な形では残されておらず、3世紀の人ユスティヌス(この人については生没年・出身地・経歴など一切が明確でない)による 抄録のみが残されています。抄録時の方針が面白いかどうかで話を残しているため序文と内容にずれがあったり内容が不正確で あるなどの問題はあるようです。この本でもエウメネスについて触れられています。

    アッリアノスはニコメディア出身のギリシア人で元老院身分のローマ市民としてローマの政界で活動し、ハドリアヌス帝の時代 にはコンスルやカッパドキア総督を務めた人物です。政治家、軍人としての活躍(実際に軍を指揮した経験もある)とともに、 哲学者、歴史家、文人としても名を挙げ「第一級のローマ人」とうたわれた彼はアレクサンドロス大王の史書の著者としても有名 です。彼はアレクサンドロス大王の史書(東征期)のみならず彼が死んだ後の時代の歴史をあつかった「アレクサンドロス没後史」 を著しています。現在は断片とポティオスによる抜粋が残っているようですが、アンティパトロスがマケドニアに帰還する頃まで の記述が残され、そこでもエウメネスについての言及があるようです。

  • 基となった史料は何か
  • 以上、取り上げてきた作家の作品はいずれもローマ時代に書かれた者であり、エウメネスが生きた時代からは300年以上の隔たりが あります。しかしこれらの著作に書かれたエウメネス像などを見ていくと、きわめて類似した記述も見られたり、エウメネスの活躍 を詳しく書く一方で、エウメネスの敗北は彼の部下や同僚のせいにされていたり、彼と敵対した人物や彼を取り巻く人物に対して きわめて厳しい評価が為されていたりします。このような記述をたどりながら歴史書で主に参照された原典史料が何かを考える研究 もすすんでおり、現在ではこれらの著作(特にディオドロスやプルタルコス、ネポス)ではヒエロニュモスの歴史書が主要史料として 用いられたと考えられています。

    ヒエロニュモスはカルディぁ出身のギリシア人でエウメネスとは親戚であったとか親友であったと言われています(「ヒストリエ」の なかでは兄(もっともあとでエウメネスの出自が明らかになると血縁関係は全くないことが分かるのですが)という設定でした)。 ヒエロニュモスはエウメネスと同郷であっただけでなく、後継者戦争初期の段階ではエウメネスに仕えていたことが知られています。 ノラ包囲戦の時にはアンティゴノス陣営に捕らえられてしまったこともありますが、エウメネスが死ぬときまでエウメネスに仕えて いたようです。エウメネスが死んだ後はアンティゴノスに仕え、アンティゴノス家に忠実に仕えたと言われています。アンティゴノス が死んだ後にはデメトリオスに、さらにアンティゴノス・ゴナタスに仕えたことが知られています。アンティゴノス家に仕える彼の 仕事は様々で、ある時は使者として、またあるときは行政官や軍人として働いていたと言われます。そして彼は自分の生きた時代の 歴史についての本を書き残したのです。

    エウメネスについて書かれた歴史書には、ヒエロニュモスを主要な史料として書いたと考えると分かりやすい点があり、それは エウメネスと彼の同盟者、彼の敵をいかに書き表しているのかということです。エウメネスが優れた人物として書かれているの はもちろんのこと、アンティゴノスについてもかなり高い評価がなされ、ペルディッカスについてはかなり否定的な描き方が され、その他敵対した部将(クラテロス以外)はかなりひどい評価がなされています。エウメネスに対する高い評価とともに アンティゴノスについても高い評価がされている(粗暴、傲慢といった否定的な描写もありますが)と言うことから、こういった 記述の主な部分はヒエロニュモスに由来するのではないかと言われています。もちろんヒエロニュモス以外の史料も使って書かれた と思われる箇所も歴史書にはありますが、やはり主要な史料としてはヒエロニュモスが用いられたと考えて良いようです。もし、 ヒエロニュモスの歴史書がなければエウメネスについてはもちろんのこと、後継者戦争についても分からないことが多かったでしょう。


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