鈴木 泉（人文社会系研究科・文学部助教授／哲学）［東大教師が新入生にすすめる本 2007年「UP」4月号より］
� ＼犬�るために今まで手にしてきた地図を一旦ご破算にして迷路に入り込み、好奇心を組織化して未知のものへと自らを開いていくことが、若者の特権だと思う。そのような意味において永遠の若者である芸術家の著作は常に刺激的である。音楽と映画をめぐって思考してきた二人の芸術家の思索は、20歳の私を揺り動かし、今も揺り動かし続けている。
『高橋悠治コレクション70年代』高橋悠治（平凡社ライブラリー、2004）
『ゴダール／映画史 I・II』ジャン＝リュック・ゴダール／奥村昭夫訳（筑摩書房、1982）
他方、20歳の頃までに出会えなかったことを後悔している書物が幾つかある。出会いの可能性をもっている若者に向けて嫉妬を込めつつ二点挙げたい。
『ランボー全詩集』宇佐見斉訳（ちくま文庫、1996）
『失われた時を求めて』（全13冊）マルセル・プルースト／鈴木道彦訳（集英社文庫、2006-07）
前者は一度限りの出会いに向けて、後者はその後何度も繰り返し読まれるために。（なお、翻訳は複数あるが、入手しやすくて新しいものを挙げた。小林秀雄訳や井上究一郎訳を初めとして、他にも魅力的な翻訳が存在する。どの訳と共鳴できるかを試してみるのも楽しい作業だ。）
�◆．廛薀肇鵝悒愁�ラテスの弁明』、アリストテレス『形而上学』からハイデガー『存在と時間』、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』に至るまで、哲学史上の古典を濫読して欲しい、と言いたいところだが、哲学の古典を読むのはなかなか難しい。一見すると難解な術語が理解を拒むということもあるけれども、哲学として何が問題であるのかを理解することそれ自体が難しいからだ。こういった企画で勧められることの多い古典中の古典であるデカルト『方法叙説』など、易しそうに見えて、デカルト研究を看板に掲げている私自身、その面白さがわかるようになったのは実はここ数年のことだ。だが他方で、一つの纏まった知識の体系というよりは、独特な知の活動に他ならない哲学の場合、古典はまさしく「哲学すること」を体現しており、その実践を共にする者を哲学という営みのなかに引き込んでいってくれる、という利点をもつ。そのような意味で、
『純粋理性批判』（全3巻）イマヌエル・カント／原佑訳（平凡社ライブラリー、2005）
は、カント的な思考そのものへの評価は別にして、格闘すべき第一の古典だろう。哲学の基本的な問題群を殆ど全て扱っているだけでなく、うねるような思考の道筋の難解さが適度の躓きを与え、その道筋に付き従いつつ立ち止まって考えるという労苦を経た者に、「哲学すること」の喜びをもたらす。そして、躓きつつも「哲学すること」に魅了されたら、少し背伸びすることになるが、
『カント研究』久保元彦（創文社、1987）
にチャレンジして欲しい。40代前半で早逝した著者による、古典研究を哲学そのものに結実させた模範的な実践の足跡である。
�� 東京大学出版会からは、大森荘蔵と黒田亘の著作を初めとして、独創的な哲学の営みの成果が多数刊行されているが、ここでは二点だけ挙げる。前者は哲学が職業的哲学教師の占有事項ではないこと、後者は西洋哲学（研究）だけが哲学なのではないことを、それぞれ如実に示す。
『分裂病と人類』中井久夫（1982）
豊かな臨床経験・学殖と繊細な詩人的感性を有する精神医学者による、統合失調症（＝分裂病）と精神医学に関する人類史規模における考察だが、「兆候空間＝微分回路」・「積分回路」といった、現実との関わり方に関する魅力的な概念─―後に「徴候」・「索引」等へと展開される─―を提示している。
『仮面の解釈学』坂部恵（1976）
現在著作集が刊行中の哲学者による若き日の思索の結実。「おもて」・「しるし」・「うつし」といった大和言葉をもとにした人格や差異をめぐる思索が、ドゥルーズやデリダといった構造主義以降の思考とスリリングに切り結ぶ。20世紀後半のフランスのすれっからしの思想家達の思考に惑わされずに、日本において思索することの可能性を教えてくれる。
�ぁ�『真理の探究』（共著）、村上勝三編（知泉書館、2005）
17世紀の大合理主義の哲学は、古代ギリシアのそれと共に、西洋哲学の頂点の一つである。神学との競合を背景にしながら西洋のロゴスが自由かつ多様な展開を遂げたその哲学の意味を、デカルト・スピノザ・マルブランシュ・ライプニッツといった巨人たちの思索に探る。私はマルブランシュを扱ったが、この方面に関する最前線の研究者による古典研究を哲学に結実させる試みの一端である。