川幡穂高（新領域創成科学研究科・海洋研究所教授／海洋地球化学・古海洋学）［東大教師が新入生にすすめる本 2007年「UP」4月号より］
理科系の学生はこれから授業で自然科学を主に学ぶことになる。化学実験や物理実験を行なうと、例えば気体の状態方程式に関する実験などではデータがきれいな直線や曲線の上にプロットでき、自然界を支配する美しい法則に接することとなり、自然の偉大さに感動するであろう。一方、人間は複雑で、しばしば嘘をつく。これには意図的な嘘もあれば、本人の期待などが入って、本人は意識せずに嘘となってしまう場合もある。人間は生物進化の果ての産物なので、これもまた広義の自然界の営みと言えるかもしれない。私達は人間社会の中で生活しており、その価値も多様である。
21世紀には「生命とは何か？」という問いに答えが見いだされるかもしれないと期待されているが、人間にも興味を持って暮らしてもらいたいと思い、以下の書を推薦する。
� �『蒼穹の昴』浅田次郎（講談社、1996）
中国清朝末期の激動の時代を背景に、人々の生き様が映し出されている。西太后、李鴻章、袁世凱など実在した人物も生き生きと描かれ、中国史に興味や縁のなかった人にとっても興味深い本である。貧しさゆえに自ら宦官となった春雲、科挙登第を果たした梁文秀、順桂、王逸たち俊英官僚。「ひたむきに生きる」、「潔く生きる」姿をまざまざと見せつけられた思いがする。
『千住家にストラディヴァリウスが来た日』千住文子（新潮社、2005）
日本画家の博、作曲家の明、そしてヴァイオリニストの真理子を育てた母、文子さんが語る千住家のエピソードの数々。声高に訴えていなくても、いかに家庭で教え、育てる日々の積み重ねが大事かということを示している。「近道を探すな。そういうずるい方法を考えるな。遠い道を苦労して歩きなさい。そして音をあげずに頑張りなさい。僕はずるい人間は嫌いだ。」これは妻と三人の子供たちを残して逝った千住鎮雄氏（慶応義塾大学名誉教授）の言葉である。
『ローマ人の物語』（全15巻）塩野七生（新潮社、1992-2006）
昨年末に完結した大著である。ヨーロッパの文化はギリシャに根源をもち、ローマ帝国で大発展し、現代に受け継がれている。時間に余裕のある学生時代にこそ、悠久の時の流れを考えてほしい。4巻、5巻のユリウス・カエサルは著者の「お気に入り」だけあってとてもおもしろい。
『大江戸見聞録』江戸文化歴史検定協会編（小学館、2006）
昨年秋に行われた第一回江戸文化歴史検定の公式テキスト。「日本橋にて」、「隅田川にて」、「深川の長屋にて」などの章に分かれおり、読み物としても楽しい江戸のガイドブックである。受験勉強から解放された上に、季節もよい。本郷キャンパスが加賀前田藩上屋敷跡ということは有名だが、その他にも東京には見どころが沢山ある。現代地図とともに古地図を片手に、近い過去・江戸ウォーキングに出かければ、何気ない街角にも人々の営みがあったことに感動するかもしれない。
�◆�『海と環境─海が変ると地球が変わる』日本海洋学会（講談社サイエンティフィク、2001）
この本は日本海洋学会の創立60周年を迎えるにあたり海洋のトピックスを集めたものである。海は、その大きな熱容量によって地球の気候を穏やかにしている。現在、地球温暖化問題で悪者にされている二酸化炭素は、地球誕生当時の太陽光が現在の70％程度しかなかったにもかかわらず、地球が全球凍結することなく生物を育む土台を作った重要な物質である。私はこの本の中で、海に浮遊する粒子状物質について話題を提供した。
�� 『地球生物学─地球と生命の進化』池谷仙之・北里洋（2004）
地球の特徴は生物が存在する星であることである。この本は入門書としてよい教科書であると自信をもってお勧めできる。全体を通して、生命の歴史と地球の歴史を通史として概観した上で、生物と地球がいかにして密接にかかわりながら進化してきたのかを明らかにしている。生物の絶滅あるいは進化などは地球表層環境によって規制されているが、逆に、生命の存在が地球の内部にも影響を与えてきたことが最近明らかになりつつある。そのような生物と地球の相互作用が面白い。
�ぁ�Global Climate Change and Response of Carbon Cycle in the Equatorial Pacific and Indian Oceans and Adjacent Landmasses, Elsevier Oceanography Series Vol. 73, Kawahata, H. and Awaya, Y., eds. （Amsterdam: Elsevier, 2006）
これは、海洋と陸域の炭素循環とその気候変動への影響を扱った最新のものである。英語であるので多少とっつきにくいかもしれないが、地球表層環境がさまざまな営みの下に成立していることが理解できると思う。