佐藤直樹(総合文化研究科・教養学部教授/植物機能ゲノム学)[東大教師が新入生にすすめる本 2008年「UP」4月号より]
(1) 私に限らず理科系の学者は、専門の論文を読むのが仕事になっているので、あまり普通の本を読まないし、読んでも講義のための材料である。そこで、学生の頃に読んだ本のことを書こう。学生時代には日本の古典、ギリシアから現代までの哲学、心理学などの本を読み、また、フランス思想などを原典で読んだ。学生諸君には専門にとらわれず、幅広く文化や歴史について考えて欲しい。古典としては、
『古事記』倉野憲司校注(岩波文庫、1963)(または岩波古典文学大系など)
『源氏物語』石田穣二、清水好子校注(新潮日本古典集成、1967)(文庫も多数ある)
の2つをあげておきたい。『古事記』は中学生の頃に古代史に興味をもち、上の巻だけは暗記した。官製の書物であるから、古代の人々の素朴な気持ちがそのまま表れているとは言えないにしても、古代のものの考え方の枠組みが垣間見える。『源氏物語』は日本人の必読書であるので今更あげるまでもないが、ヨーロッパにまだまともな文化がなく、中国にも歴史書しかなかった時代に、「もののあはれ」という機微に優れた文学作品があったということを再認識したい。
哲学・思想では、次の2つをあげておく。
『国家』プラトン/田中美知太郎訳(岩波書店、1976)
プラトンのイデア説は、現代の複雑化した科学を考えるとき、抽象的な学問の枠組みと現実世界との隔たりを見直すよいテーマを提供する。
『表徴の帝国』ロラン・バルト/宗左近訳(ちくま学芸文庫、1996)
バルトの難しい理論の本とは違って、著者が日本に来たときに見聞した異文化体験を、フランスとは異なる「表すもの」と「表されるもの」の関係の不思議さとして描いた書。日本人から見ると滑稽な面もあるが、文化の相対性を考える入り口である。日本人は西洋のものをみてもただ崇めるだけで、「自分らとは違う変なこと」とは感じないのが不思議だ。
その他、文化の比較に関連して、3点ほどあげる。
『西欧精神の探究─革新の十二世紀』堀米庸三・木村尚三郎編(日本放送出版協会、1976)
西洋文化の歴史で、いわゆるルネサンス以前に起こった文化革新について、文学や科学ばかりでなく美術や音楽も含めて幅広く紹介されている。とても印象的な本で、これを読んでからルネサンスの音楽を聴くようになった。
『オリエンタルな夢─小泉八雲と霊の世界』平川祐弘(筑摩書房、1996)
私が学部一年の時に当時まだ第三外国語ですらなかったイタリア語のゼミを受講したのが、この著者からである。小泉八雲をめぐり、日本とヨーロッパのものの考え方の対照を具体的な例を示しながら丁寧に解説した書。
『古代アフリカ王国─アフリカ史への第一歩のために』マーガレット・シニー/東京大学インクルレコ訳(理論社、1978)
西洋文明に侵略される以前、世界の各地には独自の文化が栄えていたが、アフリカの歴史についてはあまり知られていない。文字がないために繁栄した過去の歴史が砂漠の中で風化してしまったアフリカの王国についてのとても衝撃的な解説である。現代文明の陰に光を当てる試みでもある。同じシリーズでいくつかの書物が出版されている。
(2) 私の研究領域は植物ゲノムであるが、目先の話題に引きずられないで、生命に関わる本質的なことを解明したいと思っている。長いこと生化学や遺伝子関係の学問を中心として仕事をしてきたが、駒場に戻って改めて原点に立ち返って考えてみることにした。昔読んだ(実際には少ししか読んでいないが)2冊の書物を蔵書の山から掘り出して眺めたとき、大事な問題は昔から変わっていないなと感じる。
『サイバネティックス 第二版─動物と機械における制御と通信』ノーバート・ウィーナー/池原止戈夫ほか訳(岩波書店、1962)
『散逸構造─自己秩序形成の物理学的基礎』G・ニコリス、I・プリゴジーヌ/小畠陽之助・相沢洋二訳(岩波書店、1980)
後者に関しては、新しい教科書が出ているので、生命の神秘を解明したいという方で、数式や物理学がいやでない方は、是非読んで欲しい。
『現代熱力学─熱機関から散逸構造へ』イリヤ・プリゴジン、ディリプ・コンデプディ/妹尾学・岩元和敏訳(朝倉書店、2001)
『生命と複雑系』田中博(培風館、2002)
物理法則と生命現象の橋渡しを考える上で、物事をうまく整理して説明してくれる。
『生物がつくる〈体外〉構造─延長された表現型の生理学』J・スコット・ターナー/滋賀陽子訳(みすず書房、2007)
生命関係の本は専門書なのであまりこのような場にはふさわしくないが、この本は動物植物を超えてさまざまな生物が全体として作る不思議な構造について紹介している。生命の世界についての少し変わった見方から、長い生命の歴史の不思議に思いを馳せる。
(3) 出版会の書物、特にUPバイオロジーには学生の頃からお世話になった。
『細胞 第3版』佐藤七郎(1984)
二年生冬学期の細胞学でとても印象的な講義を受けたことが、今の講義にも反映している。
『多様性の植物学』(全3巻)岩槻邦男・加藤雅啓編(2000)
多様性の話は日々進歩しているが、その出発点を整理するのによいだろう。
(4) 私の単著はないが、共著として、
『光合成の科学』東京大学光合成教育研究会(東京大学出版会、2007)
がある。最近、光合成の本があまりないので、有志で何とかしようと出版した。これまでの光合成の本は、電子の移動のところばかりが詳しく難解だったが、地球環境からはじめて、植物、葉緑体と階層をくだり、代謝、植物個体機能、生態、ゲノム、進化までを通して扱った点で、これまでにはない光合成の本になったと思う。
この他、英文による解説書はさまざまあるが、新入生向けではないので、省略する。