影浦 峡(教育学研究科・教育学部准教授/言語メディア論・図書館情報学)[東大教師が新入生にすすめる本 2008年「UP」4月号より]

(1) いわゆる「古典」(正典?)の中にも強く印象に残っているものは色々ありますが、それらは随所で紹介されているでしょうから、ここでは少し斜めから見たものを紹介します。
『ドガ・ダンス・デッサン』ポール・ヴァレリー/清水徹訳(筑摩書房、2006)
 最初に読んだのは吉田健一訳。一昨年、清水徹訳が出ました。「ボードレールとマラルメとの線に添って、象徴主義の知的傾向を完璧になるまで高めた」(渡辺一夫)ヴァレリーによる、明晰さへの意志が伝わる著作。逆説的ですが歴史というものが少しだけわかったかなと思うきっかけになった一冊です。
『構造と力─記号論を超えて』浅田彰(勁草書房、1983)
 自分が現在、文理の境界領域で素人的に活動していることのもとをたどると、結局、ここに行き着くようです。私は、本書が大評判になった発売当時、楽しく消費した世代。認識のために数理的な枠組みの粒度を上げようと考えたのは、その後に続出した「現代思想」本を(否定的に)目にしてのことでした。
『貧困襲来』湯浅誠(山吹書店、2007)
 まるで毛色の異なる本ですが、2007年に最も印象に残った一冊。知的な格好つけなしに実践に即して書かれ、日本で社会権も自由権も崩壊しつつある危機的状況が生で伝わります。
(2) 『代数的構造』遠山啓(新装版、日本評論社、1996)
 手元にあったのは新装版。最初に読んだときは別の版だったと記憶しています。とりわけ文科系の学生にお勧めしたい一冊です。第二言語として数学を用いるスキルの基本を身につける第一歩となります。ソシュールやレヴィ=ストロース、バルトなどを正当に理解するために、早いうちに読んでおくことをお勧めする一冊。
『集合・位相入門』松坂和夫(岩波書店、1968)
 友人の数学者もお勧めする名著。根気よく、丁寧に、しっかり読み進め、それから回りを見回して、考えてみて下さい。数学としての技術的な詳細は忘れたとしても、認識の可能性は大きく広がるでしょう。今回、読み直そうとしてみたら、字が小さくて∈と∉ฺの区別がつきませんでした。是非若いうちに読んでおくべき一冊。やはりとりわけ文科系の学生にお勧めするものです。
『資本論』(全9巻)カール・マルクス/向坂逸郎訳(岩波文庫、1969-70)
 文学も哲学も重さがないように感じて苛立ち、様々な手法を駆使した論文を読んでも触れなくてはならないことに何一つ触れられていないように感じて苛立っていませんか? 今はそう感じていなくても、そのうちそんな風に感じるかも知れません。そんなときのために『資本論』。自己満足ではない切実さを伴う知的興奮を感じることができるでしょう。翻訳は色々ありますが、手軽に手に入るので岩波文庫を挙げました。繰り返し目次を見ることをお勧めします。
(3) 『日本政治思想史研究』丸山眞男(新装版、1983)
 「だいぶ年上の著名な知識人」として私の中で何となくひとくくりになっている丸山眞男、鶴見俊輔、加藤周一等々。なぜか丸山眞男が(というかこの本が)圧倒的に好きでした。大学時代に無理して読んだ本。今調べてみたら、新装版が1983年に出ていたもので、出たてのものを買って、ちょっと背伸びして読んだのでしょう。
言語態の問い』(シリーズ言語態1、2001)
 言葉から、認知・脳・計算へ行くのではなく、社会的編成・記録・歴史・出来事へと向かう展開への好案内。シリーズ言語態は全6巻で、このほかに第3巻の『書物の言語態』もお勧めです。適当に拾い読みができて、考えるネタも盛りだくさん。職業として、図書館情報学や言語学、計算言語学、メディア論の研究者を目指す人に、とりわけお勧めです。
(4) 『ソシュール一般言語学講義 コンスタンタンのノート』フェルディナン・ド・ソシュール/田中久美子との共訳(東京大学出版会、2007)
 現代言語学の祖と言われるソシュール。「ソシュール研究」としてではなく、もっと自由に読みたい、せっかく読むなら講義の原ノートを、と田中久美子先生と読み始めたものが出版物になったもの。気楽に読めて、読むたびに、その時折の自分の関心に応じて新しいことが見つかります。皆さんにも味わっていただけると幸いです。
『子どもと話す 言葉ってなに?』(現代企画室、2006)
 はじめて一般向けに書いた本。自分の額に貼り付いて離れない言葉というもの、これまでできるだけ避けてきたものに向き合ってみた、個人的にはリハビリ本です。小さな本ですが、書き終わるまでにずいぶん時間がかかりました。

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