風間洋一(総合文化研究科・教養学部教授/素粒子論・弦理論)[東大教師が新入生にすすめる本 2008年「UP」4月号より]

(1) ビュフォンは「文は人なり」と喝破したが、奥行きの深い名言である。翻って言えば、達意の、そして人の心を捉える文を書こうとする営みを通じて、文はまた人をつくる。分野を問わず、人の思考の緻密で深い部分は文によって支えられ表現される、と言ってよいだろうから、若い多感な時代に、言葉、特に書き言葉に対する感性を磨くことを勧めたい。それには文章の達人たちの作品に広くまた深く接し、その律動を音楽のように体に浸透させる他はない。私感であるが、近頃の日本において、言葉の達人と感服するような作家はめっきりと少なくなってしまったような気がする。そこで、学生時代に濫読した書物の中で、最近読み返したものの中から、例として2、3推薦してみたい。
『金閣寺』『近代能楽集』三島由紀夫(新潮文庫、2006)
 三島の思想や人間としての生き様については賛否両論あるだろうが、その表現力に関しては間違いなく希有の才能を持った作家であった。『金閣寺』では緻密な研ぎ澄まされた表現を、また『近代能楽集』では古典を奔放に現代化した想像力を、味わって欲しい。
『雪国』川端康成(新潮文庫、2006)
 冒頭ばかりが不当に有名なこの珠玉の作品をゆっくりと読み返してみると、三島の才気とはある種対極的な日本語の美に浸ることができるだろう。
『死霊I II III』埴谷雄高(講談社文芸文庫、2003)
 ほぼ50年に渡って書き続けられたこの比類なき精神探求の書の持つ革命的なエネルギーと独異な文体は、学生時代の私を震撼させた。このような書を読破することによって、世界の奥行きが拡がるかも知れない。
(2) 偏見かも知れないが、最近の若い人たちは、授業科目に関して教科書的な書物しか読まなくなったように思える。よくまとまった教科書を勉強するのは大事だが、時には学問の生き生きとした息吹に満ちた次のような書物を味わって欲しい。
『ファインマン物理学I〜V』リチャード・ファインマンほか/坪井忠二ほか訳(岩波書店、1986、IVのみ増補版2002)
 真に独創的な物理学者の一人であるファインマン自身が、自らの業績の中でも高く位置付けた有名な講義シリーズ。特に2レベル系を基本に据えた量子力学の展開の仕方は、誠にユニークであり、本質を衝いている。出来れば原文で読むことを勧める。高校の頃私が物理に惹かれる原点となった本でもある。
(3) 『Dブレーン─超弦理論の高次元物体が描く世界像』橋本幸士(UT Physics 2、2006)
 宇宙の統一理論の有力候補である超弦理論において中心的役割を果たしているDブレーンなる物体に対する初めての一般向け「本格書」。数式が散在するにも拘わらず好評なのは、考え方が丁寧に述べられているせいであろう。
(4) 『物理はいかに考えられたか』(岩波書店、1990、現在絶版)
 「統一するとはどういうことか」を中心テーマに据え、読者に語りかけるつもりで物理学の歴史を俯瞰した一般向けの書。(復刊できないものか。)
『相対性理論入門講義』(培風館、1997)
 私の担当する東大前期課程の講義を基に生まれた。概ね特殊相対性理論に限定し、その誕生までの歴史から初めて、アインシュタインの原論文に即して解説している点がユニークであると自負している。

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